第2話 ある一夜[後編]
一人は小柄な少年。髪を高めに結い、括袴に水干を着こめている。もう一人はやや背の高めな、男のように見えるが、黒い頭巾を被り、黒い布を羽織っていて正体がわからない。
勘次郎は気が動転して動けないまま、二人を見つめていた。
「お前、何者だ?」
少年が尋ねた。
「お……おらは、村の者だべども、馬が逃げでしまって……」
恐る恐る答えた。
「逃げたくもなるな。ムカデが出た。今から退治に行くから、お前はここで待ってろ」
少年が勘次郎に話しかけているにも関わらず、頭巾の男はスタスタと先を行く。
「ちょっと!
少年は駆け足で追いかけた。
勘次郎はもちろん怖かったが、村のことが心配で二人についていくことにした。
二人は歩いているのだが、とてつもなく速い。
勘次郎も駆け足には自信があったが、全速力で走っても彼らに追いつけなかった。
二人を見失ったが、やっとの思いで村に辿り着いた。村の入り口から、倒れている二人の人間が見えた。平助とイチだ。腹が裂かれて無造作に地面に横たわっていた。
「ひぃっ……!!」
勘次郎は腰を抜かして、その場にへたり込んだ。
ギチギチギチギチ
何かが軋む音がする。
近くの家屋の裏から、ゆっくりと大きなムカデが顔を出してきた。目のようなものがいくつも頭につき、触角があり、胴体から牙のようなハサミのようなものがつきでている。もちろん無数の足も。
ヒヒンと鳴きながら馬が飛び出して来た。ムカデは目にも止まらぬ早さで馬に飛びかかり、全身に巻きついた。足が馬の体に食い込み、牙が馬の首に深く刺さる。血が吹き出て、馬はムカデを振り払おうと暴れるが、ムカデは顎の力で馬の首を折った。馬は折れ曲がった首をがくがくと揺らしながら倒れると、ムカデはさらに馬の腹を裂いて、剥き出しになったはらわたに頭を突っ込み、馬を喰い始めた。
勘次郎の目が馬に釘付けになっていると、どん、と音がしたのでそちらを見た。
村長の家の屋根を突き破り、目の前のムカデよりさらに大きなムカデが出てきた。あの布のようにゆらめいていたのは、こいつが立ち上がったからだ……。勘次郎はそう思った。
そこに、どこからともなくあの少年が現れ、屋根へひらりと飛び乗った。両手に赤く長い棒を持っている。そのうちの一つをムカデの顎に鋭く投げつけた。棒はムカデを貫き、ムカデはギャアアという叫びながらのけぞった。さらに少年は呪文を唱えると、手に残った棒が剣の形になり、少年はムカデに駆け寄り、胴体を剣で切りつけた。ムカデは真っ二つになり、全身の体の連結が無くなってバラバラになって地面に落ちた。
少年が屋根の上から、馬を喰っているムカデを見下ろした。ムカデは上体を起こして少年と向き合おうとしたが、その時、サキが家屋から足を庇いながら出てきた。ムカデがサキの動きを見て、飛びかかろうとした。少年がまたどこからか出した赤い棒を投げつける。ムカデはそれをひらりと交わし、向きを変えてそのまま少年に向かっていく。少年は剣を構え振りかざすが、わずかにムカデの方が動きが早く、少年の腕にムカデが噛み付いた。馬の首を落とすほどの力で噛まれてはひとたまりもないはずだ。勘次郎は恐ろしさで悲鳴をあげた。
急にムカデの頭が吹き飛んだ。頭部を無くしたムカデの体は、やはりバラバラになって崩れ、屋根の上に散らばった。
「……煌様! すみません、お手を煩わせて……!」
いつの間にか、勘次郎の近くに頭巾の男……煌が立っていた。どうやら煌がムカデを吹き飛ばしたらしい。煌は頭巾を被っていることもあるが、なんの怒りも興奮も無く、静かに佇んでいる。
ちょい、ちょい、と腕をつつかれた。見ると、怯えた表情のサキが四つん這いで勘次郎のそばにいた。着物は血まみれだ。
サキの両親は明らかに死んでいる。一体、あの化け物が何で、煌と少年も何者かわからない。村長一家や他の人は無事なのだろうか……。頭が混乱する。
サキが、涙をこぼした。怖かっただろうに。
みなしご……。
この瞬間に、サキもそうなってしまった。
サキが、勘次郎に抱きつこうと手を伸ばした。勘次郎もサキの手を取ろうとした。
勘次郎は襟首を掴まれ、放り投げられた。掴んだのは、煌だった。地面に転がされたが、急いで半身を起こした。
煌がサキに右手をかざすと、サキの頭が、ぱん、と破裂した。
飛び散る血肉。
勘次郎が息を呑んだとき、頭部を無くした体が飛び上がり、煌に回し蹴りをした。煌は左手で受けつつ右手をサキにかざすと、サキの体は衝撃をうけ、
サキの腹が突然裂け、中から腸のようなミミズのような、得体の知れない肉肉しいものが出てきた。そいつは空に浮いたまま、サキの体に巻きつき、団子状になった。
煌は、頭巾と羽織っていた布を外し、少年がそれらを預かる。煌は長い黒髪をゆるく結んだ男だったが、容姿の詳細がわからないほど目立つのは、顔と上半身裸の体に描かれている文字である。勘次郎は文字は読めなかったが、直感的に僧侶が口にする経の類に感じた。
化け物は、サキの手足と胴体を引きちぎりながらつぎはぎで長くして、巨大でひょろ長い、頭部の無い人間のような形になった。
「危ないからこっちに来い!」
勘次郎は少年に抱き起こされ、二人で近くの家屋の玄関に逃げ込んだ。土間に食い散らかされた村人の家族の残骸が散らばっている。
化け物は巨大な手で煌を握り潰そうと腕を伸ばしてきた。煌の体の文字が光を帯びる。煌の右手が化け物の腕に向かって伸ばされると、右腕から文字が剥がれて、化け物の腕に絡みつき、文字の光で化け物の腕が焼かれていく。腕は焼け爛れて地面に落ちる。落ちた腕の残骸も、さらに文字が生き物のようにへばりついて焼き尽くした。
片腕を無くした化け物はよろめいたが、今度は自分の腹を、ぱか、っと開けて、無数の自分の分身―ミミズのような肉の紐―を煌に向かって吐き出した。煌が両腕を広げると、煌の体を覆うように光る球体が現れた。球体の表面にはやはり文字が描かれている。ミミズどもは球体に触れると、先程と同様に光で焼かれる。ぽっ……と光って散っていく様は、むしろ蛍の群れが飛んでいるように美しかった。
「煌様は、”怪”を祓う呪文を全身に刻んだ状態で生まれてきたんだ。簡単に化け物と向き合っているように見えるけれど、もはや仏神の領域だよね」
少年はうっとりとした目で煌を見ている。
はらわたを出し尽くした化け物は、体を屈め、煌に向かって歩き始めた。煌を見ると、体に描かれていた文字が一部消えている。文字が残っているのは、顔と左腕だけだった。
化け物が腕や足をしならせ、煌を打ち据えようとする。煌はひらりひらりとかわしている。化け物の腕が家屋に当たり、縁側は粉々になった。
煌は、屋根の上に舞い上がった。ちょうど化け物の肩と同じくらいの高さだ。化け物が腕を振り下ろす。煌は左手を化け物にかざす。煌の前に文字による円形の模様が現れた。まばゆいばかりの大きな光が生まれ、村全体に広がっていく。化け物は光に呑まれていった。
光が止むと、化け物の姿は無かった。全身から文字が消えた煌は月明かりに照らされ、美しい男なのだとようやくわかった。
屋根からひらりと飛び降りた煌に、少年が駆け寄り、黒い布を纏わす。
「本日もご無事で何より……いえ、煌様なら当たり前なのですが……」
少年はもじもじして言う。
「僕も……頑張ったと思うんですけど……」
少年は上目遣いで、煌をちらっと見た。
煌は、うん、と言って、少年の頭をなでた。少年は照れたように笑顔を浮かべる。
煌が布をまとい、二人が村の外に出ようとするのを、勘次郎は追いかけた。
「あ! あの! お、おらはどうしたら……!!」
少年が振り返る。
「あ、忘れてた。今日は久遠寺様の屋敷に泊まりなさい。夜が明けたら、改めて調べるから」
「な、何だったのすか、これ……」
勘次郎は化け物がいなくなったことで落ち着きを取り戻し、逆に混乱していた。
「ああ。この化け物三人組ね。元は人間で、親子のふりをして善人の家に上がり込み、強盗をしてたんだ。途中で”怪”に取り憑かれたらしく、集落を渡り歩いて人間を喰い始めた。退治を頼まれていたところだったから、すぐに出くわせてちょうど良かったよ」
「じゃ、じゃあ……む、村の人たちは……?」
「何人かやられたが、他の人は山に逃げてるんじゃないかな」
「……村長一家は……」
「……さあ。明日調べるよ」
そう言って、屋敷に戻る二人の後ろを、勘次郎はとぼとぼとついて行った。
♢♢♢
明る日、久遠寺の人と町の人で、村の調査が行われた。村長一家はハクのいななきで目を覚ましたことで、化け物に気づき逃げることができた。その際、大声をあげたことで周囲の村人も避難できた。日頃、夜盗に気をつけていたおかげだった。逃げ遅れた二世帯が犠牲になっていた。
その後、勘次郎は久遠寺の家の馬の世話をする仕事についた。馬の世話をしながら、ハクは父と母の代わりに自分を守ってくれたに違いないと勘次郎は思い、みなしごである寂しさは無くなった。
敷地内で煌を見かけるが、普段の体には文字が無かった。いつもあの少年がそばにいて、煌の世話をしている。話によると、怪の存在を感じると文字が浮かび上がるらしい。
「はあ……煌様、美しや……」
少年はうっとりとした表情で、よく独り言を言っている。
久遠寺の一族には、大きな秘密があるのだろう。
―― ある村の一夜(完) ――
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