久遠寺と闇の旅商人レバンジ

千織

第1話 ある村で[前編]

 東北の春は遅い。雪深い山あいにある小さな村にも、やわらかな陽射しが注ぐようになり、梅の花が咲き始めたのはついこの間だった。


 勘次郎は朝早くから馬の世話をしていた。針を刺すような冷たさの水が温み、凍った息を吐きながらだった勤めがようやく楽になった。まだ体の小さい勘次郎は、やや背伸びをしながら馬の体を拭いてやっていた。



 勘次郎が川から水を汲もうと村の外に向かうと、外から三人の人影が現れた。見るに、三人家族。父、母、勘次郎と同い年くらいの少女だった。少女は父におぶられていた。


「すみません、峠を越えて隣町に行こうとしているのですが、娘が足を挫いてしまいまして。この村には宿がありますか?」


 母は丁寧な言葉づかいで勘次郎に言った。


「それは気の毒に。あいにく村さ宿はねぇので、村長さ話ししますか?」


 勘次郎はそう答えた。


「それはご親切に、ありがとうございます。ではお言葉に甘えて」


 父親も軽く頭を下げた。娘は無表情のままおぶられている。四人で村長の家へ向かった。



 村長の家に着くと、村長の妻オキヌが土間に出てきて事情を聞いた。父の名は平助、母はイチ、娘はサキという。


 三人は住んでいた村の貧しさに耐えかね、隣町の親戚の家に世話になるところだと言う。擦り切れ、つぎはぎだらけの旅の服は、もう少し早ければ山の寒さに耐えきれなかっただろう。


 オキヌは三人を家にあげた。おかっぱ頭のサキは相変わらず無表情だった。



♢♢♢



 勘次郎はその後、大人に混じって畑仕事をし、ゆうげの時刻に村長の家に帰った。勘次郎は両親が幼い頃に亡くなったので、村長の家で奉公しながら暮らしている。


 村長の家には、村長とオキヌ、姉二人に弟の子ども三人、そして勘次郎が住んでいた。オキヌと姉たちが食事を並べ、平助たちとみんなで食べ始める。


 村長が、最近出没する夜盗の話をした。奴らは村まで来て、物を盗り、女、子どもを攫うという。少しでも暗くなったら、出歩かない方がよいと言った。


 勘次郎がちらりとサキを見ると、無表情のまま味噌汁をすすっていた。色白で、小さな鼻と口。目元は涼しげだ。足には包帯が巻かれている。三人は明日、早朝には旅立つという。



 夜中、勘次郎は眠れずにいた。突然の訪問客に興奮していたのかもしれない。横になっていても仕方ない、と布団から起き上がろうとしたとき、世話をしていた馬、ハクのいななきが響いた。勘次郎は急いで馬屋に駆けつけた。


 ハクは、馬屋の中を苛立ったようにうろうろしていた。


「何した、ハク。お前も寝られねぇのが」


 勘次郎が声をかけると、ハクは勘次郎のもとに来て、また興奮したようにいななき、外に出たがって柵に脚をあてる。その日、雲は無く、月明かりが煌々として辺りは明るかった。勘次郎は、ハクを少し散歩させようと柵をあけ、ハクを引いて村の外に出た。



 道は慣れたものだが、慎重に歩いた。辺りからオオシラビソの甘く、みかんのような爽やかな香りが漂う。


 亡き父はハクの世話係で、勘次郎をよくハクの背に乗せてこの道を歩いた。母はハクの頭をなでてハクはお利口さんだね、とたくさん言ってくれた。優しい父母は、山菜取りに出かけた時に熊にやられてしまった。




 突然、ハクが脚をバタつかせていなないた。風がわっと吹いて、木々がガサガサと騒ぐ。何羽かの鳥が木々から勢いよく飛び去り、勘次郎は驚いて身を屈めた。


 ハクは、村から遠ざかるように走り始めた。


「ハク! 何した?!」


 追いかけようとしたが、ふと村の方向を見た。

 

 木々の向こう。村の辺りに大きな長細い影がゆらゆらと伸びている。こうもりが集まっているのかとも思ったが、それよりも確実に実体のある影が、布がたなびくように動いている。


 勘次郎は恐ろしくなり、ハクを追いかけながら逃げた。



 隣町に入る手前には、久遠寺の屋敷があった。不思議な力を持つ一族だと聞いてはいたが、勘次郎は詳しくは知らなかった。ハクは、久遠寺の屋敷の門の前に立って、またしてもいななく。勘次郎は息を切らせながら、ハクに近寄った。


 すると、屋敷から二人の人影が出て来た。

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