第7話 火蓋

 ティオが部屋を飛び出していく。細い体に見合わない俊足で宿の階段を駆け下りるのを見て、アルたちも慌てて彼女を追った。彼女が心配なのも勿論だが、突如響いた爆発音の原因をきちんとその目で確かめるべきだという冷静な判断力も働いている。

 三人が宿先へ出て、音の聞こえた場所は何処だったか視線を動かす。部屋にあった窓の向く方向だったはずだが……と考えるまでもなく、セレネが叫んだ。


「あっち! ティオちゃんが向かってる!」


 彼女が指差す先にティオの姿が見えた。既にかなり遠くまで進んでおり、元々幼い背中がさらに小さくなっている。


「足速すぎだろ、あの子!」


 アルは悪態をつきながらその姿を必死に追った。

 たんに脚力が優れているというだけでない、あまりにも人間離れした速度で突き進むティオ。全速力でその背中を捉えるアルだったが、ジリジリと引き離されている。彼のさらに後方にいた女性陣二人はもっと後ろに取り残されていた。

 しばらく追いかけっこが続いたが、ようやくティオが足を止めるのが見えてアルたちもスピードを落とす。村の一角にある民家から火と煙が立ち上っているのが確認できた。


「アルさん! 魔物たちが!」


 追いついたシアが息も絶え絶えに言う。

 壊された民家の向こうにいくつか邪悪な影が待っていた。一体は巨大な狼のような魔物、二体目は尾を広げた鳥のような姿をした魔物、そしてもう一体は――。


「オピロンの成体!?」


 アルが驚いて声をあげる。そこにいたのは昨日光明の旅団が敵わなかった黒い竜、オピロンと呼ばれる種族の魔物だった。

 三体の魔物がキョロキョロと視線を動かしている。何かを探すような動作だったが、対象が自ら名乗りをあげたことで探し物が何かはすぐ分かった。


「七二柱の魔族たちがわざわざ出迎えとは、気前が良いな」


 魔物たちの前に立ち、そう言い放ったのはティオだ。姿を堂々と晒し、逃げも隠れもしないというポーズをとっている。

 彼女は魔物たちの目と鼻の先にいる。腕を伸ばせば一捻りされそうな距離感での会話に、アルは背筋が凍る思いだった。

 昨日助けたばかりの少女が、目の前で殺されたら――。


「あの馬鹿! 魔物の前であんな無防備に……!」

「でも変じゃない? だって、ほら」


 セレネが魔物たちを見やる。

 確かに三体の魔物はそれぞれティオをしっかり視認しているが。攻撃したりする素振りは見せていない。

 それどころか、彼女の言葉を聞いた狼のような魔物が口を開いた。


「こんなところにおられましたか、姫」


 魔物が、人語を介した。

 アルたちが冒険者になって数年。弱小チームなりに研鑽を積んできたが、今まで話のできる魔物とは接敵したことがない。基本的に魔物というのは人に仇なす存在で、コミュニケーションを取ろうという素振りすら見せないものだ。

 それが、ティオと会話している。しかも。


「姫? じゃあ、あの子は本当に?」


 昨夜に聞いた名乗りをアルは思い起こす。

 ――余はティオ・アイルトーン・ハーデス。魔王オルク・アイルトーン・ハーデスの実子にして、次代の世を統べる王であるぞ。

 あり得ない。小さな角以外はとても魔物に見えない、偶然助けた人間の少女。万が一あの角が本物で魔物の種族だったとしても、宿敵である魔王の子どもなどと。

 しかし状況が、少女の言葉を真実にしようとしていた。

 狼の隣にした昨日の難敵、オピロンが声を荒げる。


「手間をかけさせるな姫! 俺たちは王の命令に従い、姫を追ってきたのだ」

「知っておる。そして、余計なお世話じゃ」


 会話からも、少女があの魔物たちに敬われていることが伺える。姫という敬称も聞き間違いではないだろう。

 家出をしていると言っていたティオが自ら姿を晒すことで危険はないのだろうか。アルは手出しすべきなのか判断がつかず、しばらく様子を見る。


「お主ら、余を捜していたのだろう。何用にして、民家を焼いた?」

「それは愚問でございます。我々魔の者は愚かな地上人への復讐を誓う同士。姫もそれは同じでしょう」

「それは、罪のない民間人へ攻撃する言い訳にはならん!」


 ティオの問いに、やけに流暢な狼が返す。その言葉に彼女は動揺していた。

 地上人への復讐? アルは魔物たちが生物的本能ではなく、なんらかの意思を以て人間に危害を加えている可能性に恐怖した。

 様子を見ていたシアが焦った顔でアルへ問いかける。


「どうしますかアルさん! 雰囲気が不穏ですし、ティオさんを助けた方が……」

「っ! けどあの戦力じゃ!」


 昨日追い返すことができなかったオピロンと、それと同等以上に見える二体の魔物。実力を図ることはできないが、その存在感による威圧だけでこちらが根負けしそうだった。

 ティオ自身にもそう伝えたとおり、ここで彼女を見捨てるような考えなら最初から行き倒れていた彼女を助けたりはしない。だが、手を貸したところでどうなる相手でもない。

 まだいきなり戦いになったりはしないはず。アルは緊張の面持ちで会話の続きを聞く。

 すると、口を開いていなかった鳥の魔物が嘲るように話し始めた。


「姫。勘違いしてるわ」

「何……?」


 上擦った声色で挑発的に話す巨大な鳥の怪物に、ティオは疑念を向ける。

 魔物は呆れたような物言いでさらに続ける。


「アタシたち、姫を連れ戻しにきたんじゃないのよ?」


 意図が掴めないようで、ティオは言葉を返すことができない。

 話を聞いていたアルたちも、その発言にどういう意味が込められているのか理解できなかった。

 連れ戻しにきたんじゃない? 魔王自らが、家出した娘を追わせていたのではないのか?

 混乱する一同に向けて、狼が冷淡に告げた。


「我々は、姫を――殺しに来たのです」


 刹那。

 狼の魔物はその前脚に光る鋭利な爪を、ティオへと振るった。


「クッソ、マジかよ!」


 言いながらアルは駆け出し、寸でのところで狼の斬撃を防ぐ。盾にぶつかった相手の爪がガキンッとけたたましい衝撃音を鳴らした。

 不意を突かれ驚いた表情のティオ。呆然としていたが、すぐに我を取り戻してアルに叫ぶ。


「お、お主! なぜ助けた!?」

「なんでじゃねぇだろ! ボーッとしてたら殺されるぞ!」

「お主らの敵う相手ではない! 逃げろ!」


 敵う相手ではない。そんなことは分かっている。

 今の一撃を往なしただけで、実力差ははっきりとアルに伝わってきた。なんとか防ぎ切ったものの、重く強烈な打撃を受けて盾を持った腕が痺れている。咄嗟に飛び出したので魔物側も驚き腕を引っ込めたが、本気でこちらを始末しようとすれば一溜まりもないだろう。

 アルの姿を見て、狼が忌々しそうに言葉を吐き出す。


「ほう? 姫様、人間を篭絡していたのですか」

「ち、違う! この者たちは関係ない!」


 焦りながらティオが叫ぶ。仲間だと知られればアルたちも殺されると判断して咄嗟に庇ったのだ。

 しかし、相手からすると仲間であろうが無かろうが関係ない。


「助けられて無関係と? まあ、どちらにせよ地上人は皆殺しですが」


 再び狼が構える。今度はその鋭い牙でアルを嚙み砕こうという動きだ。

 挟みこまれるように食い千切られれば盾での防御など何の意味もない。やはりここまでなのか。

 アルがゴクりと唾を呑み込む。

 すると。


「月よ。光の恩恵を以て我が杖に応えよ――ライジングブレイク!」


 詠唱の声が聞こえ、即座に眩しい閃光と共に稲妻が狼の顔面にぶつかった。光と熱が空気を伝わり、着弾点である狼に火柱が上がる。


「やった! 当たった!」


 セレネの魔法がしっかりと相手に直撃するのは珍しい。本人も驚いたようで、飛び跳ねて喜んでいる。

 狼の魔物が大きく仰け反って、右頬から黒煙をあげながらゆっくりと態勢を立て直した。攻撃が当たったと言っても、たった一撃で仕留められる相手でないことは分かっている。

 相手が苦々しそうに発した。


「下らぬ真似をしますね、人間風情が」


 怒りを隠そうともせず、相手の毛が逆立っていく。

 噛みしめる牙がギリィッと音を立て、アルたちを威嚇している。

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