第5話 一夜明けて
翌朝。
ティオに一人部屋を渡したあと野宿で夜を明かしたアルは、疲れの抜けきっていない体で仲間の待つ宿に戻ってきた。元々金欠の旅団なので野宿用の道具は常に持ち歩いており、今回はなんとか難を逃れた形だ。
宿の入り口までやってくると、そこで既に目覚めていたシアと顔を合わせる。陽の光を浴びて大きく伸びをしていた彼女が、アルに気がついて柔和な笑みを浮かべた。
「おはよう、シア」
「おはようございますアルさん。……え? まさか外で一夜を過ごしたんですか?」
「まあな。自称魔王の娘と同じ部屋で寝るワケにはいかなかったし」
どんな事情を抱えているかは分からないが、相手は年端もいかない少女。同部屋で寝るのはアルの男気として拒否せねばなるまい。
アルの説明を聞いて目を丸くしたシアが申し訳なさそうに返事をする。
「そんな! 言ってくだされば私が代わったのに」
「いやいや、シアを外に放り出す方がおかしいだろ。セレネと同じ部屋で寝るのも変だし、これでいいんだよ」
ティオを含めた女性三人に泊まってもらって自分が外で過ごす。アルとしては合理的な判断のつもりだったが、施しを受けた側であるシアは納得いかない顔で彼を見つめていた。
しかし、既に夜も明けているためこの議論に意味はない。シアも軽く溜め息をついてから気持ちを切り替える。
「しかし、アルさん。どうしますか?」
「どうって?」
「あの子のことです。魔王の娘……は流石に何かの冗談だと思いますが。この場で別れるにしてもお家まで送り届けるにしても、今後の判断をしないと」
昨夜、ティオは自分を魔王オルク・ハイルトーン・ハーデスの娘だと名乗った。
魔王の家族構成など知る由もないが、とはいえ彼女は頭の小さな角を除いて人間にしか見えない姿をしている。ただの幼い少女が魔王の子どもであるというのはにわかに信じがたい。それはアルたち三人の総意だ。
しかし、だとしたら彼女がそんな分かりやすい嘘をつく理由が分からない。魔王は人々に疎まれる存在で、その娘という立場を騙っても受けられる恩恵はごく僅かだろう。
「ティオちゃんが何者なのか、俺たちはもう少しちゃんと知らなきゃいけない」
シアの疑問に、アルは冷静に答えた。
角が生えている以上、魔物の類であることも憂慮すべきだ。あそこまで人間そっくりの魔物に心当たりはないが、危険な相手である可能性は否定できない。
だからといって、助けた手前この場で「はい、さようなら」というのも後味が悪い。
今後も彼女を助けるか、それともここで見捨てるか。どのような結果を選ぶとしても今は判断材料が足りない。
そんなアルの言葉に、シアも同意の頷きを見せる。
「では、今日は彼女を問い質すところからでしょうか」
「だな。聞き出して本当に魔王の娘だったら、戦うことになるかもしれないし……」
昨日はひと悶着あったため、ティオの素性について調べることができなかった。
今日こそきちんと話を聞こうと思い、入り口から宿の中へ視線を移す。宿屋の主人は既にカウンター席に座り、ボーッとしながら時折欠伸を嚙み殺していた。
ティオに話を聞くなら善は急げだ。そのまま踏み出そうかというところで、シアが再び声をかける。
「それと、今日のスケジュールも決めないといけません」
「今日?」
言われてから少し考え、アルは思い出す。
請け負ったギルドの依頼を完了していない。竜族オピロンの子どもを森から遠くへ追い払うというFランク任務。昨日は何故か成体の竜に遭遇したことで敗走を余儀なくされ、結果報酬を得ることもなくギリギリの中で宿に帰ってきた。
ティオの件ですっかり考えから抜け落ちていたが、生活という意味ではアルたちの最重要議題と言えるだろう。
「そっちも、今夜こそ手を打たなきゃいけないな」
「成体オピロンが現れた以上、任務のランク自体が変わってきます。村の安全も考えないといけないですし、ギルドに掛け合ってみてもいいかもしれませんね」
シアはそう言うと同時に、お腹が音を立てた。少し恥ずかしそうに顔を赤らめて苦笑する。
「任務にケチをつけるのもいいけど、今日こそ仕事しないと、俺たち大ピンチだぞ」
「ですね。セレネさんともきちんと話し合って、今後を相談しましょう」
アルは頷いて、今度こそ二階に向けて歩き出す。
オピロンは夜行性の魔物であるため、クエストを続行するなら夜まで待つ必要がある。ギルドに対し任務情報不備の文句をつけに行くかは後で考えるとして、目下の議題はやはりティオについてだ。素性もそうだが、彼女自身が今後どうしたいかも聞いておかないといけない。
彼女の正体について警戒心もありながら、勇み足で階段を駆け上がるアル。自分が借りていた部屋の前まで来ると、緊張しつつ扉を開いた。
「入るぞ」
元々アル自身が借りている部屋だったので深く考えず扉を開いたが、後から考えると軽率だった。せめてノックぐらいしていれば。
「へ?」
部屋の中には当然ティオがいた。入ってきたアルの方へと顔を向け固まっている。
部屋の隅に立て掛けられた全身鏡で自分の体を確認していたようだ。真っ白な肌を惜しげもなく晒した、一糸纏わぬ姿で立ち尽くしている。
そう、彼女は今何も身に着けていなかった。
「……え?」
アルもティオも、状況を把握するのにしばらく時間がかかっていた。
互いにしばらく無言で見つめ合い、やがて。
「ぶ、ぶぶぶぶ無礼者! 何を考えておるのじゃ!」
ティオが白い肌を上気させて叫ぶ。
手元にあった荷物を手あたり次第アルへと投げつけてきたが、アルは冒険者としての動体視力が功を奏したのか、迫りくる小物を俊敏に躱していく。
「すまん! いや違うんだ、これは不可抗力で!」
必死に謝りながらも、やけに冷静な判断で回避運動を取り続けるアル。
ティオは涙目になりながら、さらに大きく声を荒げた。
「謝るのはいいから! と、扉を閉めんかぁ!」
そう言われて、アルはようやく部屋を出る。最初から扉を閉めればよかったのに、焦りからか判断がうまくついていなかった。
閉じられた扉の向こうでティオがぜーはーと息を切らしているのが聞こえてくる。
「……アルさん」
アルがへなへなと廊下に座り込むと、彼の後ろからゆっくり階段を登ってきたシアの冷たい視線が待っていた。
「ヒィっ! 違う、わざとじゃないぞ!」
シアがギュッと左拳を握り込む。右手で拳を押すと、ポキポキと骨が音を立てて威圧した。
アルは生唾を呑み込む。
普段は大人しい回復術師のシアだが、温厚な表情の裏には誰にも手をつけられない厳しい顔を隠している。弱き者の味方をする正義感溢れる性格。
今着替えを覗かれた少女と、不可抗力とはいえ覗いてしまった男。どちらがか弱き者で守るべき対象かは言うまでもない。
「待てシア! 本っ当に、不可抗力だ! 謝るから、ていうかティオちゃんには謝ったから!」
「それが遺言でいいですか?」
「流石に殺さないでくれ! これからも一緒に冒険したいって、昨日言ってくれたよな? な?」
「解散には反対しましたが、不慮の事故で亡くなったのなら仕方ありません」
「事故じゃなくてこれは殺人だろ!」
笑顔を崩さぬままアルを威圧感だけで押し潰そうとしているシア。
駄目だ殺される。ありがとう父さん母さん、俺も今そっちに行くよ。
アルがそんなことを思いながらシアの鉄拳制裁を受け入れようとした時、隣の部屋の扉が開いた。
「なーにぃ? 朝から騒々しいわねー」
相変わらず着崩れた、だらしない部屋着姿のセレネが顔を出す。
アルはあまりにも情けなくセレネに泣きついた。
「た、助けてくれセレネ! 俺たち光明の旅団、最大のピンチだ!」
自分の足元にまとわりつくアルを鬱陶しそうに見つめるセレネ。
それから、怒りながら笑う器用な表情のシアに視線を向けた。
二人を交互に見て、しばらく考え込んで髪をぐしゃぐしゃを掻くと、至極当然の疑問を漏らす。
「えーっと……。何これ?」
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