第4話 素性不明の迷い人

 彼女の堂々とした名乗り口上を聞いて、アルたちは何と返すべきか言葉に詰まってしまった。


「魔王の……実子?」


 魔王オルク・アイルトーン・ハーデスといえば、人類に仇なす大いなる邪悪。アルたち冒険者にとって討ち倒すべき最終目標であり、また多くの者がそれを願いながらも届かなかった強大な存在だ。

 この世界に魔物を放った敵の親玉。

 そんな魔王の身内、それも娘を自称する少女。何が目的でそのようなことを言っているのか理解できなかったが、幾度となく魔物による被害を受けていた人間としては嘘でも笑える話ではない。

 特に、ここまで苦難を重ねてきたアルたちにとっては。

 少女のことを心配していた表情から一転して、セレネが少しだけ苛立ちを滲ませて言葉を漏らす。


「……ティオちゃん、でいいかな? ちょっと、その冗談は許されないよ」


 唇を震わせつつ、感情を押し殺して困ったような笑顔を見せながらセレネは言う。

 過去にアルとセレネは魔物に甚大な被害を受けたことがある。シアが仲間に加わるよりもずっと前、二人が冒険者になる以前の記憶。

 セレネにとってはトラウマとも言うべき思い出で、こうして冒険者になるキッカケとなった出来事。

 たとえ弱った小さな少女であっても、魔王の名を出すことはセレネの神経を逆撫でする行為になる。ましてや娘を名乗るなど。

 だがティオという少女もまた、折れずに声を荒げた。


「何を言うか! 余こそ父上のただ一人の娘、ティオである! お主こそ、人間の癖に余をちゃん付けなどと……馴れ馴れしいのではないか!」


 憤るティオの表情は真剣そのもので嘘をついている様子はない。

 であれば尚のことセレネには許せない話になってしまう。魔王の娘なら今すぐ切り捨てて復讐の一手にしてしまいたい、そんな感情が彼女の中に渦巻いていた。

 怒りで拳をギュッと握りしめながらも、最後の理性から飛び掛かることはしない。複雑な顔をしているセレネを見て、アルは慌ててティオに声を掛ける。


「あ、あのなティオちゃん! 分かってると思うが、俺たち人間は魔物と戦ってる。本当に魔王の娘なのかは置いといて、あんまりそういうこと言わない方がいいと思うぞ」

「戦っている? そもそも、それは人間が一方的に――」


 ティオは反論の言葉を紡ごうとしていたが、途中で場の空気を感じ取って言い淀む。押し黙り、自分を囲む三人の様子をぐるりと見回した。

 焦るアル、怒りで表情を曇らせるセレネ、困り顔で様子を見ているシア。その反応から顔をしかめる。


「やはり……そういうことなのか?」

「え?」


 ボソッと呟いたティオは、思い悩むような表情をして固まってしまった。

 その反応をアルたちが疑問に思うも、彼女は部屋の床に視線を落としたまま沈黙している。

 しばらく間が空き、少ししてティオはゆっくり顔をあげる。そのまま再びセレネに視線を向けた。


「すまない。人の子……いや、冒険者の少女よ。余の下らぬ与太話じゃった。許してほしい」

「え? ……う、うん」


 突然態度を変えて謝罪されたので、どう対処していいか分からずセレネはおどおどしている。怒りの収めどころを見つけられず、ふうと息を吐いた。

 さらにティオは、アルとシアにもそれぞれペコりと頭を下げる。


「お二人も。助けてもらったにも関わらず無礼を働いて申し訳ない」


 アルとシアは顔を見合わせた。

 急にしおらしい対応になったのでどう出ていいのか悩んでしまう。彼女が魔王の娘というのはにわかに信じがたいが、魔物の仲間だというのならこちらの隙を誘っている可能性もある。

 だがティオの表情や言葉は常に真っ直ぐで、それゆえに全員がこれ以上追及する気持ちにはなれなかった。

 とにかく、とアルは切り出した。


「改めて自己紹介だ。俺はアルピニス・デポーロン。光明の旅団のリーダーをしている。よろしく」


 彼がティオに挨拶を始めたことで、一度空気を切り替える雰囲気が出来た。

 流れに合わせ、続けて他のメンバーも名乗る。


「私はシアリーズ・デメテス。皆さんからはシアと呼ばれています。よろしくお願いしますね、ティオさん」

「セレネ・アルテミアよ。その……さっきは急に怒って、ごめんね」


 それぞれの名前をじっくり聞き、ティオは頷いた。


「アルピニス。シアリーズ。そしてセレネ。この命、助けてもらったことに感謝する」


 流石に今すぐ仲良くとはいかない空気の中だったが、互いに一度感情の波を抑えるように会話を交わす。

 確認したいことはまだ沢山あったが、今それを聞いても場が乱れるかもしれない。アルはパンッと手を叩いて提案した。


「夜も遅いし今日は一度休もう。ティオちゃんは俺の一人部屋に泊まって、セレネとシアはこのまま寝てくれ。俺はどうにかするから」

「アル、大丈夫なの?」


 発言内容に困惑するセレネ。

 多少和解の空気を作ったとはいえ、ティオと他のメンバーを同じ部屋に泊めるわけにはいかないだろう。かといって助けたティオに出て行ってもらうのもおかしな話だ。

 アルはこくりと頷いて、とにかく解散の雰囲気を作った。



 轟々と燃え盛る炎の勢いに恐怖を感じ、身動きが取れない自分の存在を恥じた。

 逃げ惑う人々の声が耳に残り、暴れる巨大な魔物の姿が目に焼き付いて離れない。

 幼いアルに向けて、父親であるゼピターの叫び声が響く。


「アル! セレネちゃんを守って大空洞まで避難しろ!」

「でも、父さんが!」

「俺も村を守る! お前も仲間を守り抜け!」


 煙の臭いと、耳を劈く爆発音。増していく火の手。

 すべてがこの状況を乗り切れないと告げている中で、それでもゼピターの背中は大きかった。何かを変えてくれるのではないかと思わせてくれる圧倒的信頼感。

 アルは大きく頷き、足が竦んで動けなくなっていたセレネの手を掴む。


「セレネ、逃げるぞ!」

「うぅ……でも、でも……!」


 魔物により破壊された村。セレネの両親もまた、はぐれて行方知れずになっている。

 親の安否を確認したいと思い足を止めるセレネの気持ちは理解できた。だが悠長なことは言ってられない。

 アルは迫る魔物たちの脅威から、幼馴染である少女だけでも守るべく必死に手を引いた。愚図りながらもセレネはアルと共に走る。

 村を抜け出して森の中を駆ける。複雑な道だが行き方は頭の中に叩き込んでいるので心配はない。

 森の奥に、隠された大空洞がある。何かあった際に村人が避難できるよう用意されたものだ。


「セレネ! 入って!」


 入り口を隠している巨大な岩をアルが必死に動かす。普段から父ゼピターによって鍛えられた自慢の腕力で岩に少し隙間を作ると、セレネとアルはそこに飛び込んだ。

 内側からでも動かせるように岩の裏面が細工されている。アルは隙間を再び埋めて、後はじっと息をひそめる。

 大空洞の中に他の村人の姿はなかった。まだ誰も逃げ出せていないのかかもしれない。

 他の人がここに辿り着くことに期待しながら、アルとセレネはひたすらに時が過ぎるのを待ち続けた。


「ねえアル……。あたし、怖いよ……」

「大丈夫! 大丈夫だ、父さんが何とかしてくれる」


 怯えるセレネを励ましながら、優秀な剣士であるゼピターが魔物を討伐してくれることに一縷の望みをかける。

 だが、どれだけ待ってもゼピターが彼らを迎えに来ることはなかった。

 それどころか、逃げ遂せた他の村人がこの大空洞に辿り着く瞬間も……終ぞ訪れなかった。

 疲れたまま大空洞の中で眠ってしまった二人は、目が覚めると慎重に入り口を開き外へ出た。既に太陽は登っている。


「あ、あぁ……!」


 魔物の姿がないか警戒しながら二人は村に戻ったが、そこに残されていたのは焼け野原になった家々の残骸と、朽ちた炎の煙だけだった。

 彼らの故郷は、二人を遺して――全滅した。

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