第3話 応急処置

 アルは自分たちの宿泊部屋である二階を目指して階段を駆け上がる。夜も遅くなってきたからか、カウンター席にいた主人の姿は既になかった。

 腕に抱えた少女の宿代を請求されるとそれこそ財布は火の車だったので、見つからなかったことは好都合。自分用に借りている部屋の一つ隣、女性陣が二人が過ごしているであろう部屋の扉をノックした。


「どちら様ですか?」


 部屋から少し怪訝そうな声が問いかけてくる。シアのものだ。

 比較的平和な村とはいえ、女の子二人で泊まっている部屋に夜分の来訪者があれば誰だって怖がるだろう。無理もない反応だ。

 しかし相手の気持ちに配慮している時間的余裕はない。少女の様子を一瞥して、アルは強い語調で投げかける。


「アルだ! すまんが急用で、開けてくれるか」

「アルさん……?」


 内鍵のロックが外れる音がして、ゆっくりと扉が開く。

 キルト素材の柔らかそうな部屋着を見に纏ったシアが姿を現す。少し眠そうな顔をしており、手にはハードカバーの書籍が掴まれていた。睡眠前の読書を楽しんでいたのだろう。

 彼女は目を擦りながらアルを見て、続けて腕に抱えられている少女に視線を移した。

 少し間があってから、シアはもう一度アルへ視線を戻して目を丸くする。


「あ……アルさん!? そそそそそそんな幼い女の子を捕まえて、どどどどどどうするおつもりですか!?」

「いや捕まえたというか、」

「不潔です! 破廉恥です! ケダモノです!」


 顔を真っ赤にして両手で覆うと、シアはそのままそっぽを向いてしゃがみこんだ。

 明らかに誤解されている。アルは急いで弁明した。


「違うって! 彼女、村外れで倒れていて目覚めないんだ! 体も痩せ細っているし、助けてやれないか?」


 矢継ぎ早に釈明するアルの言葉を聞いて、シアは静かに顔をあげる。そもそも少女をどうにかしようというならシアたちの部屋に出向く理由などないのだが、動揺からか理解されなかった。

 再びじっくりと少女へ目を向けるシア。ようやく少女の衰弱した体を確認し、表情が真剣なものへと切り替わる。

 状況が分かるとその後の判断はすばやく、その場からスッと立ち上がると自分のベッドにかけられたシーツを綺麗に整えてアルへ手招きする。


「その子をこちらへ。応急処置でしかありませんが、回復魔法を使います」

「頼む!」


 アルが部屋に入り少女をベッドへ降ろした。用心のために部屋の鍵をかけようと入口へ戻る。

 その間にシアは荷物から自身の装備品であるステッキを取り出すと、流れるように魔法を呼び起こすための呪文を唱え始めた。


「主に祈ります。生ある者に祝福を授けたまえ――治癒の加護!」


 先の戦いでもアルの防御ダメージを軽減してくれた治癒魔法が放たれ、少女の体を淡い光のベールが包み込む。

 就寝前の部屋は灯りを消しており、それゆえに治癒の魔法はより眩しく映る。ほんのりと温かい力の流れが少女を癒していた。


「うーん、何ぃ……?」


 不意に声が聞こえて、アルが視線を移す。バタバタしていてすっかり忘れていたが、もう一人の宿泊人のものだった。

 セレネは部屋にあるもう一つのベッドの上で体を起こしていた。シャツとハーフパンツの緩い部屋着はだらしなく着崩れており、まだ覚めきっていない半開きの目がぼうっとシアとアルを見据えている。

 チーム解散の可能性を提示した後だったので彼女も思い悩んでいるのではないかと考えていたが、すぐに爆睡していたようでアルは一安心。基本的に楽天家であるセレネの性格に助けられる。

 そんな彼女も周囲の様子が見えてきたのだろう。急に焦りつつ、肩からずれ落ちた自分の服を着直して叫んだ。


「あ、アル!? アンタ、なんでこっちの部屋に!?」

「急用だ。とりあえず静かに」


 アルは言いながらも心配そうに少女へ視線を向けたまま。シアも真剣に魔力を注いでおり、二人の緊迫した雰囲気にセレネも思わず固唾を呑んだ。

 ベッドから立ち上がり視線の先を追うセレネ。ようやく、ベッドに横たわる少女の姿が目に入る。


「女の子?」

「ああ。街外れに倒れていたのを見つけちまって。かなり衰弱している」

「なるほど。人助けだったのね」


 状況を理解し、少しだけ小声になるセレネ。

 しばしの間、シアの魔法による処置が続く。アルは少女が目覚めた時のためにコップへ水を注いでテーブルに置いた。それぐらいしか出来ることがなく、セレネと二人で手持無沙汰に様子を見守るしかない。

 すると、セレネが少女の外見に気づく。


「ねえアル? あの子の頭、あれって……」


 アルも気づいた少女の角。助けた直後は装飾品かと考えていたが、ベッドに寝かせた際に髪が乱れ、地肌から直接生えているのが見て取れた。

 つまり、あれは飾りでもなんでもなく本物の角。


「アル。アンタまさか」

「……魔物の子どもを助けたのかもしれないな」


 冒険者と魔物は当然敵対関係にある存在だ。魔物は人を餌として見ているだろうし、逆に冒険者たちも明日の食い扶持のため魔物を討伐して報酬を得ている。

 だから助けた少女が魔物だとしたら、これは冒険者という矜持への背信行為と言えるかもしれない。

 角を見た時から懸念していたがやはり責められるだろうか。仲間が何と言うか不安になり、アルはチラリとセレネを見る。

 すると彼女は、明後日の方向に嫌疑をかけてきた。


「アンタ……お腹が空いたからって、弱った魔物の子どもを捕まえて食べようって言うんじゃないでしょうね?」

「は?」


 突然向けられた疑問に思考停止するアル。

 隣に立つセレネは至って真剣な顔で睨んでいた。


「な、なんでそうなる!?」

「だって、流石にお粥だけじゃしんどいでしょ!」

「それはお前だろ!」


 弱小パーティによる旅路なので食事を満足に得られる場面は多くない。それ故に忘れていたが、セレネは本来結構な大食らいだ。その細い体の何処に質量が収まるのか見当もつかないが、何人前もの食事をペロりと平らげる。

 だからこそ今日の食事はかなり我慢をしていて、そこから思考が広がってアルに疑いを持ったのだろう。

 確かにアルにとっても満足な食事量とは言えなかったが、流石にほぼ人間の見た目をしている少女を調理したいとは思えない。

 二人が中身のないやりとりをしていると、シアが魔法を掛け終えて息を吐きだした。


「お二人とも、少し静かに」

「うお、スマン」

「本当よ。アルは声デカすぎ」

「あのなあ!」


 不毛な議論が続きそうになるのをシアは静止する。


「魔法の効果は出ています。後は起きるのを待つだけですが、当然空腹や栄養不足を補うことはできないので、彼女の生命力次第といった状態です」

「充分だ。本当にすまないな、変なことに巻き込んで」


 戦いとは無関係なところで魔法を使わせてしまったことに少し引け目を感じるアル。

 魔力も人の内から生み出されるもの。使えばそれだけ疲れるし、シアだって食事の量を思えば全力を出せる状況ではない。そんな中で頼ってしまったことを心苦しく思う。

 しかし、申し訳なさそうにするアルに向けてシアは柔らかく微笑んだ。


「構いません。私だって、小さな女の子が倒れていたとなれば同じことをしますから」

「そう言ってもらえると助かる」


 話がまとまったところで、セレネが切り出した。


「で? この子、何?」


 穏やかな寝息を立てている少女。

 今のところ、角以外は普通の人間と言っていい。見慣れない服装と真っ白な肌からこの辺りの人とは国籍が違うように思えるが、他に疑うべきところはない。迷子なのか、もっと深い事情があるのか。

 それでも角だけは気になってしまう。

 帽子を被れば隠せるような小さな隆起だが、これだけで小柄な女の子に畏怖を感じる人もいるだろう。それだけ人々は魔物に対して敏感になっており、命を守るため必死なのだ。

 普段から文献などを嗜み、魔物に対する知識を蓄えているシアが少女の特徴から考察する。


「人に近い魔物というとエルフやハルピュイアのようなものが挙げられますが、どちらも羽が生えている種族です。彼女も服の中に仕舞っているかもしれませんが」

「尻尾とかもなさそうよね? どうする、一回脱がせてみる?」

「私としても体に怪我などがないか確認したい気持ちはありますが、アルさんもいらっしゃるので……」

「む。何見てるのよ!」

「そんな理不尽な」


 考えてもらちが明かない。三人は顔を見合わせ、少女へ再び視線を向けた。

 まさにその時。

 少女の瞳が、ゆっくりと開かれた。


「うーん……ここは……?」

「良かった! 目が覚めたみたい」


 少女に駆け寄るセレネ。魔物かという疑いを持ちつつも、何より心配が優先されている。そういうところがお人好しらしいのだとアルは改めて感じた。

 目覚めた少女はアルたち三人を順番に見回しながら、体を起こそうとする。


「ひ、人の子じゃと!」

「人の子……?」


 また随分と不可思議な物言いだとアルは思った。やはり人間ではないのだろうか。

 少女は痩せ細った体に上手く力が入らないようで、起き上がる動作を止めて再びベッドに体重を預ける。

 シアが心配そうに告げた。


「無理しないでください。治癒はしましたが、かなり弱っていたみたいですので」

「……お主ら、余を助けてくれたのか」


 やけに固く古めかしい言葉遣いで現状を確認する少女。

 その話し口調にアルたちは呆気にとられたが、ひとまず返答した。


「ああ。村外れに倒れていたのを見て、思わず連れてきちまった。……迷惑だったか?」


 彼女は一度口を開いて何かを言おうとしたが、再び閉口して思案するように黙り込んだ。

 表情は大きく変わらないが、何やら随分と考え込んでいる。


「お主ら、余を誰か心得ているのか?」

「え? いや、まったく」


 初対面だし知る由もないとアルは首を横に振った。当然ながら他の二人も少女と顔見知りではなさそうだ。

 少女はその反応を見てまた悩む。

 三人が訝しげに少女を見ていると、彼女はコホンと咳払いをした。


「助けてもらった恩もあるし、隠しても仕方あるまい。名乗っておこう」


 どうやら、自己紹介をする決心をしたらしい。

 名前を告げるだけで何をそんなに悩むのかと疑問に思っていると、少女はしっかりした語調で言い聞かせるように声をあげた。


「余はティオ・アイルトーン・ハーデス。魔王オルク・アイルトーン・ハーデスの実子にして、次代の世を統べる王であるぞ」

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