第2話 行き倒れの少女

 アルたちが今滞在しているエピダの村は、戦乱極まる今の世では比較的平和な印象の片田舎だ。元々の人口も少なく、それゆえに魔物たちもわざわざ襲ってきたりしないのだろう。

 そんな村に彼らがわざわざやってきたのは、他でもないギルドの依頼。竜の子どもが村近くの森まで迷い込んだので、それをなるべく遠くへ送り返してほしいというもの。

 モンスターを誘導して他の場所へ送り届けるだけ。討伐するのではなく、そもそも戦闘自体必須でないFランク相当の簡単な任務だということで、光明の旅団は意気揚々とクエストを請け負った。

 だが結果として巨大な竜に追い返される手痛い結末を迎えてしまったのが現在の状況である。


「改めて考えると、あんなデカいオピロンが村の近くまで来てるのは大問題だよな。俺たち、取り逃がしたし……」


 アルは想像する。今、この村があの巨大なオピロンに襲われたとしたら。

 エピダの村にも自警団は存在するが、魔物に狙われることが少ない今の村では実践経験を積む機会が殆ど無い。危険が身近でないというのは平和で素晴らしいことだが、その分だけ腕は鈍り、いざという時に対処できないリスクを背負っていた。

 今この場所でまともに戦えるのは恐らくアルたちしかいない。彼らが主戦力に数えられるほどに、村は平和ボケしている。


「つっても、成長前はともかく。大人のオピロン相手じゃ俺たちでも手出しできない」


 状況を整理しながら考えていると、アルは段々ギルドそのものに腹が立ってきた。

 今回のクエストは旅団のランクに合わせた適正依頼として受けている。報酬もそれに見合ったささやかなもので、だからこそ身構えたりせず気楽に挑んだ。

 それがいざ現地に到着してみれば上位の冒険者に任せるべき強大な竜とご対面。危なすぎるというのもそうだが、追い払うにせよ討伐するにせよ報酬は格段に上げてもらわないと割に合わない。

 この仕事はアルたちにとって例外だ。請け負った任務と実際の条件が揃っていない、最初から自分たちの手に負えないものだったのだ。

 なので、任務に失敗しても仕方がない。踵を返して帰路に着く選択肢も残されている。

 とはいえ。


「じゃあ、村を見捨てて出ていくのかっていうと……そうもいかないワケで」


 正直に言えば、アルが一人ならさっさと村から逃げ出していたかもしれない。

 それだけ敵との戦力差はハッキリしているし、Fランクの弱小冒険者が成体オピロンを見逃したところで咎められることもないだろう。アルが去った後に村に被害が出ればエピダの住人から恨まれはするだろうが、この田舎村に再び訪れることもほぼ無いので気にする必要もない。

 しかし、仲間たちはそれを許さないだろう。

 セレネもシアもお人好しの部類に入る人物だ。アルがなんと言おうと彼女らは村を助けるため策を弄するだろう。そしてアルも、彼女らがやると言えば一緒に戦うだけの情は持ち合わせていた。


「結局、俺もお人好しなんだろうなあ」


 自己分析をして自嘲気味にふうっと息を吐き出すと、空気が白く色づいた。

 エピダの村は昼夜にかなり寒暖差がある。雪こそ降っていないものの夜は冷え込んでいた。今日の宿泊は壁の薄い安宿なので、今頃部屋にいるセレネとシアも布団にくるまって震えているかもしれない。

 文字どおり頭を冷やしたアルも、このままでは風邪を引いてしまうかもしれない。そろそろ戻るべきだろう。

 ちなみに、持ち合わせが少ないとはいえ女性陣とアルはきちんと別部屋に宿泊している。三人で旅をする際の協定として、二部屋取れないなら野宿も辞さないという約束をしていた。

 お金のことを思うと今後妥協すべき時が来るのかもしれないと考えながら、アルは宿に向けて歩き始めた。

 すると。


「? なんだあれ」


 ふと、村外れにある井戸が目に入った。その近くに何かの影が見える。

 放っておいてもよかったのだが、アルは何故かその影が気になってしまった。金目のものが落ちているかもという悲しい詮索ではなく、純粋に影から妙な存在感を受けて引っ掛かったのだ。

 慎重に影へ近づいていくアル。

 遠くからでは暗がりでよく見えなかったその輪郭がハッキリしてくる。人の足だ。靴を履いていない子供の足。

 そう認識した瞬間、アルの心臓がトクンと跳ねた。

 人が倒れている。井戸を越えた先に誰かが横たわっていた。


「ちょっと君!? 大丈夫?」


 アルは言いながら井戸の向こうへ駆け出す。

 冒険者たるもの、他人の命に関わる機会は決して少なくない。旅先でモンスターに襲われた知り合いもいるし、不幸にも帰らぬ人となった同業者の話はいくらでも耳に入ってくる。

 だが、こんな平和な村の中で突然そうした死の気配に出会うと、経験の浅いアルでは平静を保つ自信がない。

 ましてや彼にとって人の死は……。

 急いで井戸を越えた先まで辿り着くアル。目の前に一人の少女が伏していた。


「おい! 大丈夫か!」


 声をかけながら彼女の体を抱きかかえる。

 深い赤色をしたセミロングの髪を持つ、まだ十歳ぐらいの幼い少女。肌は雪になって溶けてしまいそうなほど真っ白で、華奢な体はかなり痩せ細っている。

 抱えた体重の軽さに顔を強張らせるアル。まさか、もう……。


「う、水……」

「! 意識がある」


 少女がうわ言を呟いたことで少しだけ安堵した。まだ生きている。

 水、と言っていた。恐らく飲食をきちんととれていないのだろう。それに関しては光明の旅団に助けられるか自信がなかったが、それでも見つけてしまった以上このまま放置しておくワケにはいかない。


「これを助けるのも、お人好しかなあ」


 先ほど仲間や自分の性格を分析したことを思い出し、少し苦笑いになってしまうアル。

 ともかく、彼女の体を揺すって目を覚まさないか確認する。


「しっかりしろ! この村の子か? お家は分かる?」

「……」


 返事がない。呼吸は正常だが昏倒したままだ。

 体重が軽すぎることから、栄養不足で力が入らないのかもしれない。この村に住んでいたとしても、こんな状態で放置されていた子どもを家族に引き渡していいのか分からなかった。

 迷っている猶予はあるのか。こうして判断しかねている間にも目の前の少女は危ういのではないか。

 焦って思考が鈍るアル。

 こんな時、ふと頭によぎるのは信頼を置く仲間の顔だった。


「とにかく、宿に連れていくしかないか」


 言いながら、彼女を両手に抱えて立ち上がる。少女一人を軽々と持ち上げられるのは日頃の鍛錬のおかげと言えそうだが、そうでなくても彼女は軽い。アルは生命力の希薄な彼女にもう一度目をやった。

 他ではあまり見ない不思議な服装に身を包んでいる。

 黒い布地で体を巻いたような形で、布には金色の刺繍で幾何学的な模様が刻まれていた。少なくとも近くの地域で見かけるような衣服ではないと思う。どこかの民族衣装か、なんらかの祭事に使う服だろうか。

 それに。


「これ……ツノ?」


 すぐには気づかなかったが彼女の深い赤髪の間に小さな突起物が二つ生えている。装飾品だろうか。これもまたアルの知らない文化だった。


「ほ、本物だったりしないよな」


 少女の見た目は人間そのものだが、角の違和感から少女が魔物ではないかと少しだけ疑うアル。

 実際のところ、人間に近い容姿をした魔物は存在する。羽や角、牙など身体的な違いは勿論存在するが、そうした特徴を隠してさえいれば人の世に紛れていても気づけないような種族にも覚えがあった。

 角は怪しいが、抱えている少女から他に変わった特徴は見られない。うわ言と共に開かれた口の中には普通の歯が並んでいたし、羽や尻尾などの類は外見には見当たらない。服の下に魔物の証が隠れている可能性はあるが、流石に見知らぬ少女を疑念から脱がしたりはしなかった。


「って疑うのは後だ! とにかく食事……は買えるか分からんが、水ぐらいは飲ませてやらないと」


 アルは一度思考を捨てる。

 宿に戻ればシアの治癒魔法で少しは回復できるはずだ。少女のために急いで宿に向かった。

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