第29話 ちょっと、衝撃的すぎるかも
八年前の一月三一日、大学付属病院の医師である桧木
辻村の居場所が判明したのは二月三日。廃ビルに立てこもっていた彼は取り押さえられたが、彼を刺激しないよう説得するのには時間を要し、結局鎮圧に成功したのは翌日の二月四日だった。
その三日半ほどの間、桧木は食事も水分も与えられておらず完全に衰弱していた。保護後ただちに緊急搬送されたという。
「なるほど」
「……ちょっと、衝撃的すぎるかも」
苦しそうな顔をしている宇久井。恐らく俺も似たような表情を見せているだろう。
記事によれば、辻村京子は手術前から大病によって体力的に無理をしている状態だったという。それを親が強く希望したことから手術に至り、負荷に耐えられず命を落としたらしい。医療ミスではないことを記事は克明に伝えている。
他の紙面を確認しても、概ね同じことが書かれていた。日付を遡ったものには誘拐された段階の速報が載せられており、大きな事件であったことを伺わせる。
「小さなニュースなら当時の新聞しか情報が無いと思っていたが……これならスマホでちょっと調べれば出てきたかもしれないな」
こんな大事件の中心に桧木がいたのは想定外だ。
そして、何故彼女の両親が過保護になったのかもすぐに分かる。相手の逆恨みとはいえ、医師である自分の仕事が原因で娘が殺されかけたのだ。こんなの、守ってやると心に誓うのも当然と言える。
「私、千央に何かあったんだとは思ってた。でも怖くて、今までなんとなく調べるのを避けてた」
「しかも、それで出てきたのがこれじゃあな……」
宇久井は今まで真実に蓋をしていたことを後悔しているようだが、そんなことを言っても仕方がない。
この事件は桧木自身も記憶の奥底に封印しているし、第一これを知ったからといって俺たちに何かできることはない。
桧木の親がただ厳しいだけならば、まだ説得の余地はあると思っていた。たとえば天文部全員で部活動を認めてもらうようお願いに行くとか、誠心誠意対応すれば何とかできた気がする。
でもこれは……彼女も、彼女の両親も悪くない。親心として娘を守ろうと最善を尽くしている人たちと、事件を忘れているが故に今の窮屈さに苦しんでいる娘。
真相は分かったが、だとしてどうするべきか。
「伊久里、これからどうするの?」
俺の頭の中を読んだように、宇久井も同じ質問をしてくる。
「分からん」
「分からんって……」
俺が端的に告げたのを聞いて、ジトーッとした目で見てくる宇久井。
いやだって仕方ないだろう。八年前とはいえこんな大事件を経験した家族に向かって「もう大丈夫なんで桧木を自由にしてやってください」なんて馬鹿げている。それも、どこの馬の骨とも知れぬ同級生の男がしゃしゃり出てきて、はいそうですかとなるものか。
ただ。
「分からんが、俺は……桧木に天文部を続けてほしい。あいつの星好きは相当なもので、部活は天職だった」
「天職。星だけに?」
「茶化すな」
重苦しくなっていた空気を和らげてくれたのかもしれないが、ツッコミを入れると宇久井はむくれてしまった。
「とにかく、俺はできることをする。天文部には俺よりもアイツの方が必要だし、最悪この身を差し出してやるさ」
「伊久里」
あくまで冗談だが、それぐらいの気概は見せておかないとな。俺は意気込んで宣言する。
しかしその言葉に宇久井は待ったをかけた。
「駄目だよ」
「え?」
駄目とは?
「伊久里もいなくちゃ駄目。伊久里が入部してくれて、私嬉しかったから」
え? これ何、どういう意図の発言?
わずかに宇久井の頬が上気している気がするのは気のせいだろうか。俺が入部してくれて嬉しかった。マジで言ってるのか?
俺はポカンとしたまま彼女を見つめる。宇久井はいつも通りの無表情に戻っていたが、こちらが落ち着かない。
「あ、あの……宇久井さん?」
「何? 私でも案外ドキッとした?」
特に何の感慨も無さそうに告げてくる宇久井。
こいつ、からかってやがる! 毎回毎回、俺になんかしないと気が済まないのか。
俺は咳払いをして平静を保とうとするも何か見透かされているようで彼女の視線が痛い。俺は桧木の彼氏ではないし宇久井もそのことを知っているのだから、これは浮気でもないし別にドキッとしてもいいのだ。開き直ろう、うん。
「別に嘘はないよ、部活は人多い方が楽しいし。あと男が部長一人だと視線が
「あの人も散々な言われようだな……」
そうは言っても、なんだかんだであの人も彼女である副部長を第一に考えていて他の子へ言及するときは冗談ばかりだ。
天文部は分け隔てなく仲が良い。その輪に俺も加えて貰えているなら、それはやっぱり嬉しいことだと思う。
さて。
あまり感情を表に出さない宇久井からありがたい言葉を頂戴したので、いよいよ本腰入れてどうするか考えるべきだろう。
俺は開いていた新聞を畳んでカウンターへ戻しに向かう。
この件は非常にデリケートだ。触れ方を間違えれば今度こそ桧木の星明高等学校での生活は終わりを余儀なくされる。ご両親を刺激してはいけない。
だが、彼女に課せられた重い呪縛は解き放たないといけない。門限がある家庭はそこかしこにあるだろうが、部活動の時間すら制限されている現状は窮屈がすぎる。あれほど星が好きな桧木には、自由に天文部を楽しんでほしいところだ。
「なあ、宇久井」
「何?」
カウンターに新聞を預けて俺たちは図書館から出る。駐輪場までの道すがらに俺は問いかけていた。
「前にお前や部長たちが言ってくれたよな。桧木は俺の前だと心を許しているように見えるって」
「言った。今もそう思ってる」
「それって……なんでだ?」
俺と桧木はまったくの他人で、恋人という演技をしていただけの関係。
それなのに桧木が心から俺を受け入れてくれているように見えるというのは、少々不思議な気がした。
すると、質問に面食らった様子で宇久井が立ち止まる。
「……伊久里ってさ。マジで鈍感なんだ」
「は? どういうこと?」
はあ、と深めの溜息を吐き出す宇久井。いや本当にどういう意味だ。
「学校でも言ったけど。千央が珍しく他人を巻き込んだ。それだけ信用に足る人間だと見てたってこと」
「それが分からん。教室での振る舞いだけで、そんなところまで見込めるものか?」
宇久井は心底呆れた顔をすると、俺を無視して歩き出した。
すっと隣を通り過ぎて、我先に駐輪場へと向かっていく。どうやら答えは教えてくれないらしい。
「千央の気持ちも、私の気持ちも、伊久里は自覚なく過ごしてくんだろうね」
「え? なんだって?」
「なんでもないよ。バカ」
何故か最後に罵倒されて、俺たちはそれぞれの自転車に乗り込むと自宅に向かって解散した。
結局宇久井が何を言っているのかはよく分からなかったが、桧木は俺のことを信用して偽彼氏作戦に巻き込んだということだ。
なら、俺は。
もう少しだけ、あいつのわがままに付き合ってやってもいいだろう。
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