第4章 正直者には祝福を

第27話 最初から知ってた

 翌日、桧木ひのき千央ちおは学校を休んだ。

 クラスメイトたちは当然のように俺のところへやってきて何があったのか聞いてくるが、俺は答えを持ち合わせていない。彼女の話を鵜呑うのみにするならば、おそらく帰ってからご両親にこっぴどく叱られたのだろう。そのショックか、何か言いつけられたか。

 このまま学校に来なくなる可能性もあった。彼女は成績優秀で、星明せいめい高等学校の偏差値には見合っていなかったと思う。親がもっと上の学校を推薦していたという話が本当ならば、この機会に転入試験の話が出ていても不思議はない。


「どうすっかなあ」

伊久里いくり、お前それ今日だけで三回目だぞ」


 友人である宮下みやしたに指摘される。桧木がいないので珍しく昼食を一緒に摂っていたが、どうやら俺は何度もこの発言を繰り返していたらしい。


「悪い」

「本当に大丈夫か? お前が心配してるの、桧木さんのことだろ。何かあったのか」

「えっ……。なんで?」


 鋭い推理を披露され、俺は狼狽うろたえた。

 桧木との関係が解消されたことも、彼女が今どういう状況なのかも誰にも告げていない。にも関わらず俺の悩みが桧木に関することだと看破されてしまった。これは一体どういうことだろう。


「なんでもクソもあるか。あんだけゾッコンだったんだ、あの子が休んでる時にお前が悩む理由なんて一つしかねぇよ」

「……ゾッコン?」

「今更しらばっくれるのかよ。お前が桧木さんを見る時はいつも目がハートになってたぞ」


 そうだったのか。

 全く自覚していなかった、というかたぶん誤解である。

 俺と桧木が付き合っているという前提があるとそう見えるのかもしれないが、俺たちは嘘を共有していただけの他人だ。彼女に恋愛感情を抱いていたわけではないし、彼女もまたこちらを利用していただけ。

 まあ、向こうはどう思っていたのか分からないが、俺は友情ぐらい感じていたのだが。


「……なあ宮下」

「あ?」


 呼びかけただけなのに妙に圧の強い返しをされてしまう。俺は少し顔をしかめるも、気にせず続けた。


「恋愛って、なんだと思う?」

「ブーッ!」


 問いかけると、宮下は飲んでいたお茶を盛大に噴き出した。やめろ汚い。

 これは真面目な質問だ。俺は自分が桧木に向けていた感情に対する名前を知らない。恋だ愛だと騒がしいやつが周りに多い中で、イマイチその言葉にピンと来ていなかった。

 むせている宮下が落ち着くのを待つ。


「お前、マジで言ってんの?」

「? あ、ああ……」


 何を聞き返されているのか分からないのでそのまま首肯すると、彼は心底呆れた顔でこちらを見ている。


「桧木さんの顔を思い浮かべながら、胸に手でも当てとけ」



 放課後、相も変わらず地学準備室へ歩みを進めていると、ふと後ろに気配を感じた。

 音もなく忍び寄ってくる相手を俺は一人しか知らず、振り返りながら声を掛ける。


「なんだ宇久井うくい

「あ、バレたか」


 前にもこのやりとりあった気がするぞ。

 肩の高さで切り揃えられたミディアムヘアと眼鏡が特徴的な大人しそうな少女が立っている。宇久井らんだ。

 正体を見破られた宇久井は特に悪びれる様子もなく、いつもの平坦な表情のまま俺を見ている。


「伊久里。部室行く前にちょっといい?」


 その一言で、彼女が桧木のことを聞きたいのだとすぐ分かった。心を読むエスパーになれたのかもしれない。

 昨日の帰りに宇久井が俺たちを二人きりにしてくれたのは、桧木から俺に話があることを知っていたからに他ならない。幼馴染ならば今の状況についてもある程度聞き及んでいる可能性があるし、その確認がしたいのだろう。

 だが、聞きたいことがあると言うならば俺の方が先だ。


「俺から誘おうと思っていた。場所変えるか」

「え? うん」


 逆に言われるとは思っていなかったのだろう。キョトンとした顔をする宇久井を連れて、俺は中庭へと進行方向を変更した。一階の部室に行く途中の道ならば、そこが一番近くて都合がいい。

 昇降口を出ると蒸し暑い風が吹きつけてくる。梅雨入りはまだ先だが、曇り空が俺たちを待っていた。

 いつものベンチに腰掛けると、隣に宇久井が座る。

 ここで横にいるのが桧木じゃないのはなんだか落ち着かないなと感じて、自分が毒されているのを察した。

 さて何から聞こうか。俺がほんの一瞬だけ逡巡した隙を見逃さず、宇久井が先に口を開く。


「まず、伊久里に謝らないといけないことがある」

「……ん? 謝る?」


 意外な切り出し方だった。てっきり桧木について質問されると予想していたので、一瞬言葉を捉えきれずポカンとしてしまう。


「私、千央と伊久里の関係については最初から知ってた」


 俺と、桧木の関係?

 彼女の言葉を整理するのにさらに時間がかかる。ナウローディング。

 つまり。


「まさか、偽彼氏作戦か……?」

「そう」

「マジかよ!」


 こいつ、全部知っていたのか。

 確か途中で「伊久里は千央のどこが好きなの?」とか訊かれた気もするんだが。あれも含めて把握した上でのからかいだったのか。

 昨日から度々やってくる衝撃の真実に心が麻痺し始めているが、とりあえず宇久井の話を聞くことにする。


「家の厳しさに嫌気が差して、ごっこ遊びでいいから彼氏役を立てたいと千央が言い出した。四月すぐのこと」

「本当に最初から知ってたんだな……」

「で、私のお兄ちゃん……大学生の兄がいるんだけど。そいつを休日に貸そうかという話もしてた」


 兄貴を貸し借りに使ってやるなよ、可哀想に。というか宇久井ってお兄さんがいるのか。


「でも千央はキッパリ断ったの。一人、適任がいるって」


 話の流れ的に、それが俺なのは分かる。

 だが適任と言われても素直には喜べない。彼女が一番利用しやすそうな男を選んだというなら、要するに俺はチョロそうだったということだ。

 複雑な心境の俺に対して、宇久井は意外な事実を話し続ける。


「彼ならあたしを助けてくれるかもしれない。そう千央は言った」

「助ける? 利用するじゃなくてか?」


 そりゃ手助けしたという意味ではそうかもしれないが、なんだか変な言い回しだ。

 俺の疑問に、宇久井も怪訝けげんな表情を見せている。


「待って。昨日千央に何を言われたの?」


 俺は昨日聞かされた話をかいつまんで伝えた。

 山田やまだという男子生徒に告白された時、俺が通りかかるのを計算してこの遊びに巻き込んだ。ちょっと悪さをしてみたかっただけだった。天文部に誘ったのも、桧木自身が辞めた後の人数調整だった。恋人ごっこを楽しんで、飽きたから俺も部活も捨てるのだ。だから別れよう。

 宇久井は特に表情を変化させず経緯を聞いていたが、俺が話し終えると即座に聞き返してきた。


「それ、どこまで信じてる?」

「そう言われると、なんともだな」


 少なくとも、飽きたから捨てると言った最後の言葉は彼女の嘘だと思っている。

 津々木つづき先輩も気づいていたが、桧木は嘘をつく時に鼻をひくひくさせる。不自然なドヤ顔で明らかに取り繕った表情を作るのだ。あの時の彼女にその特徴が出ているのを俺は見逃さなかった。

 しかし、その手前については判断がつかないことも多い。


「分からんことばっかりだが。嘘があることは分かる」

「いいね。千央のこと、分かってきてるじゃん」


 何故か褒められてしまった。そんなこと言われても嬉しくない……こともないか。

 宇久井は眼鏡を指でクイッと持ち上げた。司令官みたいで格好いい。


「私、前に言ったよね。千央に何かあった時、なんとかできるのは伊久里だけだって」

「……ああ」


 科学館へ向かう前の駅で、たしかそう念押しされた。

 あの時は、彼氏なら何とかしてあげてという意味だと思っていた。けれど彼女は俺が桧木の本当の恋人ではないと最初から知っていたという。

 じゃあ真意は?


「千央は嘘をつく時、出来る限り他人を傷つけないようにする。……ううん、他人を傷つけないように、期待を裏切らないように嘘をつくって言った方がいいか」

「なんか、そんなことも言ってた気がするな」


 前に、クラスメイトから恋愛相談を受けたと言っていた。周りに彼氏がいると吹聴した桧木は、恋愛マスターとして期待され、なんとか答えを捻り出そうと苦心したという。

 もっと小さな話では、望遠鏡を使ったことがあるか聞いたら、何百回もあると答えたこともある。星が好きな桧木なら経験者かもしれないという予想だったが、彼女はその期待に応えようとした。

 他にも細かなことはいくつか思い浮かぶ。でも、それにどういう意味が?


「千央が伊久里を巻き込んだ時、私は結構驚いた。あの子は普段絶対そういう事をしない」

「でも、最初から目を付けてたって言ってたぞ」

「そう。だから桧木は、伊久里のことを――」


 宇久井が不意に言葉を止める。


「これは、私が言うことじゃないよ」

「なんだよ勿体ぶって」


 非常に続きが気になるところで止められてしまったが、宇久井はそれを最後に我関せずという顔をした。

 まあ、それはいい。今度は俺からの話を聞いてもらおう。元々そっちが俺の本題だ。


「宇久井。お前、図書館とか詳しいか?」

「図書館に詳しいとか乏しいとかある?」

「ある。俺は行ったことすらない」


 彼女が俺を原始人でも見るような顔で見つめている。いや図書館を利用したことのない一般人は沢山いると思うぞ。

 何故か人間として格下認定された気がするが、気にせず続ける。


「地方新聞のバックナンバーが何処に置いてるか分かるか?」

「おっきい図書館なら大体あると思うけど……何? どういうこと?」


 検討がついていない宇久井の反応。だが、バックナンバーを調べられるなら善は急げだ。

 俺は立ち上がり、自分の鞄を肩にかける。


「部長たちに今日は帰ると伝えてくる。宇久井もついてきてくれ」

「ちょ、ちょっと待ってってば。何するの?」


 ええい、じれったい。俺は端的に表現できる言葉を探して、たった一言だけ返した。


「桧木の過去を調べる」

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