第25話 利用することを決めたの
それって、どういう……。
てっきり桧木は自身の事情や家庭について何かを隠していて、今日はそれを打ち明けてくれるのだと思っていた。もしかすると重い話かもしれないが、それがどんな事になろうとひとまず受け入れる覚悟はしていたつもりだ。
ところが、彼女は俺を利用していたという。何に? まったく分からない。偽彼氏役についてなら今更だし。
上手く意味を理解できずにいると、桧木は続けて言う。
「あの日山田くんに告白されて、たしかにあたしは困っていた。でも、恵人くんが来ることは分かってたの。だから待っていた」
「俺を待っていた……? なんで?」
やっぱり意味が分からない。
桧木が中庭で山田という生徒に告白されていた時、俺があそこを通ったのはまったくの偶然だ。昇降口から出れば自ずと中庭は視界に入るが、そうは言っても俺が出てくる時間をコントロールすることなんてできないだろう。
だが、疑問を打ち消すように桧木は告げる。
「恵人くんはクラスに友達が多くない。放課後は教室を出てまっすぐ昇降口に来る。だから、あたしは山田くんとの待ち合わせをホームルーム終了後すぐの中庭にしたんだよ」
言われてみれば、授業が終わってすぐ俺が教室を出たのに、既に待ち合わせていた二人は結構せっかちではある。先に中庭へ向かったのが全部計算だったと言うのか。
けれど、それだけでは全然納得できない。
「そもそも俺と桧木には接点がなかっただろ。俺を待っていた意味が分からん」
俺たちはクラスメイトだが、面識はほぼ無かった。挨拶として一言二言声を掛けたことはあったかもしれないが、そんなものは知り合いに入るかすら怪しい。
偽彼氏役が仕組まれていたと言っても、偶然通りがかった人を指名することと大差あるようには思えない。
「恵人くん、四月のホームルームでクラス委員を引き受けたでしょ? 目立つ人でもないし、他人と接点を持ちたがらないのに立候補するって、変わった人だなって思った。最初に気になったのはそこだよ」
「いや、あれは……どうせやりたがる人もいないだろうと思って仕方なく手を挙げたんだ」
嘘はない。
まだ顔見知りすら少ないクラスの代表なんて誰もやりたがらないだろうし、聞いてみれば業務自体はプリントを配ったり回収したりといった雑用ばかりで尚更立候補する人なんていないであろう仕事だ。
あの場で一度面倒事を引き受けておけば、クラスで浮かない立ち位置でいられるだろうと思っただけ。業務的にも目立たないのなら、先にクラスへ恩を売っておくのが処世術として正しいと判断した。
「違う。恵人くんはその後もさりげなく、クラスで困ったことがあるたびに手を貸してた」
「そうか……?」
「うん。先生から頼まれた小さな雑事とか、クラスの子が忘れ物をした時に自分のものを貸してあげたりとか」
「忘れ物って、それ消しゴムかなんかだろ。大した事じゃない」
宮下が忘れたと騒いでいたので、予備で持っていたものを貸したことはあった気がする。先生からの頼まれごとも、それこそプリント運ぶのを手伝ってくれとかそんなことだ。クラス委員を引き受けた手前断るわけにはいかないし、別に苦労というほどではない。
全部些末な出来事。それに、だから何だと言うんだ。
「だからだよ」
「は?」
彼女が、嗤った。
これまでの快活で純粋な表情ではなく、こちらを試しているような小悪魔的笑顔で俺を見た。
「この人は、大したことじゃなくても他人が困ってるのを放っておけないんだって思った。あたしは四月の間ずっと恵人くんを観察して、偽彼氏作戦に利用することを決めたの」
「作戦?」
偽彼氏作戦。
山田の告白がしつこくて、桧木は咄嗟に「彼氏がいる」と嘘をついた。必死だったが故に仕方のないことで、その後も噂が飛び交っていたからしばらく恋人関係を演じて周りに牽制したいと言っていた。
それが、作戦? 四月中観察して決めた?
「あたしが困っていて、恋人のフリをして協力してほしいと懇願したら、恵人くんは断われない」
「……」
マジで言ってるのかこいつは。
俺の性格をじっくり吟味して、使えると確信したから彼氏役に仕立て上げたのか。
つまり、山田という第三者の前で公言したのも逃げ場を一つ潰すため。言っちゃった手前引き下がれないという状況を作るための舞台装置。
「分かった? 最初から、恵人くんならこの遊びを引き受けてくれるって確信してた。だから巻き込んだんだよ」
「待て待て! だからって、偽彼氏作戦って何だよ?」
好きでもない男とそんなことをして何の意味がある?
第一、利用していたというなら今までだってそうだ。偽彼氏役が故意であろうと無かろうと内容が変わるわけじゃない。わざわざ今この場で打ち明ける理由が見当たらない。
「じゃあ、今度はあたしの家の話をしないといけないかな」
「……家?」
感情の乗っていない平坦な声で、桧木は次の話題を切り出そうとしている。
次から次に何を言い出すのか。
しかし、それは当初聞きたかった話でもある。やたらと厳しい彼女の家庭事情については教えてもらうつもりだった。
「あたし、小学生の頃にすっごく危ない目に遭ったらしいの。かなりショックだったみたいで、記憶の奥底に封印されたまま自分でも思い出せない何か。事故か事件か、たぶんそんなところ」
判然としない話を始める桧木。本人が思い出せないというなら仕方ないのかもしれない。
人がトラウマから記憶を封印するというのは聞いたことがある。それだけ彼女の心に負担のかかる何かが、小学生の時に起きたのだろう。
けれど話の繋がりが全く見えない。困惑しつつも俺は聞き続ける。
「それから、あたしを危ない目に遭わせないようにってお父様とお母様は気を使ってくれた。習い事の先生は家に呼んで、学校以外はほとんど外に出ず過ごした。登下校も、中学校まではお手伝いさんが車で送り迎えしてくれたしね」
過去を懐かしむように話す桧木。どこか遠くを見るその目は、楽しんでいるようにも悲しんでいるようにも受け取れる。
「友達とは遊べなくなったけど、愛されてるから守られてるんだって分かってたし、ずっと我慢してた」
「……宇久井も言ってたな。小学一年の終わりから遊べなくなったって」
何かの事故をきっかけに、親から過保護なほどに守られることになった。宇久井が桧木の親から電話を受けたという点とも状況が合致している。
それが今の門限にも繋がっているのだということは理解できる。
「でもね、あたしはワガママでどうしようもない子なんだ。裕福な家庭で習い事も受けさせてもらって、進学校で一所懸命勉強して。それで――嫌になった」
「嫌にって……」
彼女が空を見上げる。
月の光に照らされた彼女は相変わらず端正な顔立ちをしているが、その顔はクラスで見せる笑顔ではなく無表情に近いものだ。奥底が読み取れないその瞳に俺は息を呑む。
「もっと偏差値の高いところを受験するように言われてたのに、突っぱねて
「やっぱ許可取ってなかったのか」
桧木の態度からそうだろうとは思っていたが、そんなことして大丈夫なのか。
そして、そもそもうちの学校に入学するところから反抗だったとは。確かに桧木は成績優秀だし、本来もっと上の高校を受けられるレベルなのは間違いない。
「禁止されていたことを勝手にやって、ちょっと悪さをしている気分になって。でもね」
悪さの度合いは分からない。家の規律を守らなかったのはいけないことかもしれないが、別に部活動を頑張ることはおかしなことではない。
だが、それでも彼女なりに精一杯の背伸びだったのだろう。
「それでも気がつけばクラスで良い子のフリをしてしまう、根付いてしまった偽りの自分。それが……気持ち悪かった」
「偽りって……桧木は良いヤツだろ。皆に慕われて、好かれてるし」
フォローのつもりで所感を語ったが、桧木はそんな俺を見て呆れたような顔をする。
いつもと態度が違いすぎて少し怖い。
「やっぱりあたし、演技派だね。恵人くんを完全に騙し切ってたみたい」
ふう、と彼女が小さく溜め息を吐き出す。
冷たい視線を向けられて、俺は背筋が震えるのを感じた。
「あたしは、良い子の桧木千央を演じてたんだよ」
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