第22話 想いを馳せているから

 宙と森の科学館は、名前のとおり宇宙だけでなく地学や自然に関する展示も行われている博物館だ。地元の地層や生き物に関する資料も多数揃えられており、これはこれで興味をそそられるモノになっている。

 家族連れの多さから小学生の喧騒に呑まれているが、別に気にならない。静かな環境で見るより騒がしいぐらいの方が肩の力を抜いて過ごせるというものだ。

 俺が一つ一つの内容をじっくり眺めていると、隣の桧木がうずうずした様子でこちらを伺っている。


「ねえねえ恵人くん。星の資料は二階の方が多いんだって」


 一階にも惑星の写真が大きく並んだ壁面があったが、天文の資料はそれだけのようだった。なるほど、メインは二階になるらしい。

 が、それはそれとして自然資料は面白い。今いる緑地公園で見られる生き物が標本で並んでおり、普段意識していなかった動物の存在に心惹かれる。やたらと存在感を放つタヌキの剥製と目が合った。

 俺が腕組みをして解説を読んでいると、先ほどまで視界の端にいた桧木が頬を膨らませてから離れていった。

 彼女としては天文資料が見たくて催促していたのだろうが、分かってて敢えてスルーしてみた。せっかく遊びに来たのだから、他の展示も楽しむのが筋だろう。

 代わりに、隣に根古屋先輩が並ぶ。


「伊久里さんは動物もお好きですか?」

「まあ、人並みです。でもこういう資料を読むのは楽しいですね」


 残念ながら俺は星も自然も知識があるわけではない。そうでなくても勉強は空っきしで、科学分野なんて一切頭に入っていなかった。

 それでも、知らない情報を見ること自体は嫌いではない。ここまで好奇心があるのに勉学が見につかないのは何故なのか、自分でも不思議である。

 副部長は俺の返事にフフッと笑った。口元を抑えた微笑みはこの人の清楚さをよく表している。


「天文学と地学は無関係にも見えますが、一括りにされることも多い分野です。どちらにも興味が持てるなら、尚のことうちの部活に向いていると思いますよ」

「そんなもんですか?」

「ええ。青野先生も地学の先生ですから、気になることがあったら質問してみると良いかもしれません」


 そうだったのか。たしかに天文学という授業は高校分野で見たことがないし、地学の先生が受け持っているのは妥当かもしれない。

 俺は一旦資料から目を離し、根古屋副部長に視線を向ける。


「先輩も両方好きなんですか?」

「ええ。地学も、言ってしまえば地球という星にまつわる天文学です。私は星に関する浪漫にすべからく興味があります」

「なるほど」


 深く聞いたことはなかったが、話し振りからこの人もかなりの星好きで天文部に入ったんだと理解した。

 副部長を追いかけて入部したらしい部長は……どうなんだろう。

 チラりと見てみると、そんな部長は桧木を含めた他の女子部員たちに囲まれてご満悦な顔をしている。この人は浮気性なのか何なのか。特に桧木が二階に行きたくて仕方ないらしく、三人を誘うように必死に手を仰いでいた。

 ハイテンションな桧木の様子を見て、根古屋副部長も微笑む。


「私たちも行きましょうか」

「ですね。これ以上桧木を待たせるとどうなるか分かりませんし」


 俺と副部長はガヤガヤとしている他部員に向かって歩いていく。


「ダーリン? 随分と鼻の下を伸ばされているみたいですけれど」

「そそそそんな事はないよ! 部長としての威厳ある態度だっただろう? ね、みんな?」

「いや全然」


 どう見てもにやけていた部長の態度について、宇久井が一蹴する。

 根古屋先輩は柔和な笑みをそのままに、部長へ一歩にじり寄った。

 そんなやりとりをさておき、待ちかねた様子の桧木が動く。躊躇なく俺の手をとると、引っ張るようにして階段を駆け上がっていった。


「早く早く!」

「ちょ、ちょっと桧木!」


 彼女のスキンシップが過剰なことは充分理解していたが、それでも今まで手を繋いだりはしていない。俺は手のひらから伝わる体温を受けてひどく緊張した。手汗が滑って抜けたりしないだろうか。この勢いのまま放り出されたら階段から転げ落ちて俺がお星さまになってしまうぞ。

 二階に辿り着くと、そこには太陽系の星々に関する資料がずらりと並んでいた。

 見ると、実際に撮影された宇宙の写真などを用いて解説が行われているらしい。大きな図解は圧巻で、桧木はパタパタと資料の目前まで近づいていく。

 離れた手にわずかながら寂しさを覚えつつ、俺も写真の迫力に思わず感嘆の息が漏れた。


「おぉ……」

「すっごいね! あたし図鑑はよく読むけど、こんなに大きな写真で見れるなんて!」


 やっぱり図鑑とかは読んでいるんだな、と桧木にも感心。天文好きについて今更疑う余地はないが、それでも口にされると玄人感がある。

 一階とは逆に、今度は桧木の方がじっくりと資料を観察していた。

 俺も解説文を読んだり、音声ガイドに耳を傾けたりしたが、先ほど繋いだ手の感触が思い出されて集中できない。天然でアレをやるのだから、桧木は危険人物だと思う。

 純粋な目で写真を見つめている桧木。その横顔が、気恥ずかしくて上手く見れなかった。


「ねえねえ恵人くん! 持ち上げられる隕石があるらしいよ!」


 振り返ってくる彼女はそれはもう楽しそうで、先ほどの行動を気にしている様子はない。

 そうなるとドギマギしている俺が馬鹿みたいだ。仕切り直すように、素っ気なく返事をする。


「おう。じゃ、見に行くか」

「うん! ただちょっと待ってね。あたしは今、この前観測した金星の資料に想いを馳せているから」


 金星の写真とにらめっこしている。何の想いを馳せているのかは知らないが、星にしか興味のない彼女の態度を見て少しだけクールダウンした。

 その後もあれやこれやと資料を眺める一行。

 館内は無料ということもあり大規模というほどではないが、それでも天文の内容は面白かった。星雲や銀河の説明、宇宙の成り立ちなど細かな情報もあり、一度に覚えきることはできないがそれでも魅力は伝わってくる。桧木たちが星を好きな気持ちも少しは共感できるようになっただろう。

 何より、本当に桧木が終始楽しそうで安心する。俺として今日という日に不安材料もあったが、今は何も考えず遊びに集中しているのが一番だ。

 こうして館内を一周し全体を見終えた頃、部長は全員に声を掛けた。


「プラネタリウムは午後の席を取ったから、しばらく時間がある。お昼も近いし、移動しようか」

「ご飯! 恵人くんとろこちゃん先輩が作ってきてくれたんですよね」


 食事と聞いて、これまた元気になる桧木。今日一日そのテンションでつのだろうか。


「ふふーん。これはアタシといくりんの料理対決だからね」

「え、そうだったんですか。めちゃめちゃ普通なのしか作ってないですよ」


 津々木先輩が不敵に笑むが、張り合う意思も無かったので俺は何も考えていなかった。たぶんこれは料理研究会の部員として先輩の意地があるのだろう。

 まあ俺は家庭料理専門で、先輩のように器用なお菓子作りとかが出来るわけではない。負けたとて矜持も何もないので、気楽に挑ませてもらうか。


「よし、じゃあ公園広場を陣取ろう」


 部長の号令と共に、俺たちは科学館を後にした。

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