第20話 何とかできるのは

 改札前のベンチは既に多数の人が占拠しており、仕方なく少しずれた位置で立ったまま駅から出てくる人の波を眺めていた。

 部長たちの提案はあっさり受け入れられ、宇久井も来ると言ったおかげで天文部全員参加のお出かけイベントが決定。今日がまさしくその日曜日だ。

 一番驚いたのはやはり桧木が来ること。どうにも怪しい彼女の態度を見ていると、俺の中で心配する気持ちもある。それでもせっかくみんなで出掛けるのだから、今日は気兼ねなく楽しみたいところ。


「部の活動とはいえ……結局桧木と休日も一緒にいることになるとはなあ」


 最初に彼女の偽彼氏役を引き受けた時、その効力は校内に限定すると約束した。休みの日には迷惑をかけないという彼女の言葉を受けて俺は了承し、実際この三週間少々の付き合いで彼女と休日に出掛けたりはしていない。

 なんなら、交換したメッセージアプリでのやりとりも殆ど無かった。あくまでも学校の休み時間を共にして対外的にアピールすることで、彼女を狙う変な虫を追い払うためだけの関係。

 そのはずが、放課後を部活で共にするようになり、その時間は天体観測で夜遅くにまで延び、気づけばこうして休日に遊びに行くことになった。


「流されてる気がするな、俺」

「伊久里は利用しやすそうだもん」

「うおっ!?」


 急に声を掛けられて俺が跳ね退くと、隣に宇久井が立っていた。

 ミディアムヘアに眼鏡姿はいつもと変わらないが、頭にはキャップを被っており、Tシャツにワイドパンツのボーイッシュな姿は制服と違った印象を見せている。学校では大人しい文学少女だと思っていたが、こうして見ると結構活発な子にも見えるな。

 彼女は隙あらば気配を消して近づいてきて、こうして不意打ちで話しかけてくる。心臓に悪いヤツだ。


「宇久井、早いな」

「伊久里こそ。まだ一〇分ぐらいあるよ?」

「人を待たせるのは苦手なんだよ」


 定刻に間に合っても、他が集合していると他人を待たせた気がしてあまり心地よくないのが俺の心境だ。

 とはいえ、友達も全然いないので普段待ち合わせなんてしないが。


「ねえ。千央のことなんだけど」


 宇久井が話題を切り出してきた。

 幼馴染だけあって、彼女も様子が気がかりなのだろう。


「私と千央は保育園での付き合いだったけど、あの頃って別に千央の家もそんなに厳しくなかったの」

「えっ。そうなのか」

「うん。家族ぐるみで出掛けたりもしたし、互いの家が忙しい時に預かってもらったりとか、そのままお泊りとかもあった」


 門限にうるさい家なのでずっと縛られてきたのかと思ったが、少し意外な話だ。

 俺は学校以外での桧木を知らない。家のことはおろか、彼女自身についても知識が不足している。保育園という遠い過去の話ではあるが、宇久井の語るエピソードは興味深かった。


「千央の家は確かに教育熱心だったし、小学校でお受験したから別々に進学したけれど。近所だったし、その後も変わらず結構遊んでた」

「……なんか、今とは全然違うな」

「そうなんだよね。たぶん、変わったのは一年生の終わり頃かな」


 彼女は考え込むように腕を組んだ。


「突然、もう遊べないからって。千央じゃなくて、お家の人が連絡してきたの」

「理由は?」

「分からない。電話に出たのはママだったし、聞いても教えてくれなかった」


 なんだそれは。ますます謎が深まってしまった。

 小学校一年生の終わり頃に何かがあって、彼女の家は厳しくなった。門限が設けられ、友達と遊びに出掛けることもできなくなったと言うことか。

 さっぱり分からない状況だ。


「問題は今日。千央、来るんでしょ?」

「あ、ああ。せっかくだからとか言ってたが……」


 桧木は笑っていたが、どう考えても無理している顔だった。嘘をつく時に出る鼻のひくひくも確認したし。

 絶対に大丈夫じゃないのに、彼女は来ようとしている。


「この前、千央に何かあったらよろしくって言ったじゃん?」


 たしかに言われた。女の勘ではなく、もっと具体的な何かだと。


「私の予感は、千央がこれまでしてきた行動の違和感が積みあがったもの。今日なんて、特にね」

「分かるよ。あいつは何か無理して此処に来る」


 違和感は俺も覚えている。

 何より、彼女は目的を達成したと呟いていた。終わらせるとも言っていたはずだ。

 どう考えても、近いうちに何かが起きる。


「千央の友達として、もう一回お願いする。千央に何かあった時、何とかできるのは伊久里だけだから」

「俺に何かできるのかな」


 宇久井の期待は、おそらく俺を桧木の彼氏だと思っているからだ。

 桧木が俺を頼っていて、俺も桧木のために行動する。それを恋愛的感情が基になったものだとするなら、たぶんそういう期待を込められるだろう。

 けれど本当は違う。俺はもうあいつを友達だと思っているが、それでもただの友達だ。宇久井と何も変わらない。

 けれど宇久井は、何か確信を持っているように俺を見た。


「できるよ」

「いや、俺は――」


 思わず、本当のことを伝えようとしてしまった。

 そんなに期待されても困る。俺はあいつの彼氏じゃないのだからと。

 しかし、そこを第三者の大声で遮られた。津々木先輩が到着したのだ。


「やっほー! ランラン、いくりん!」


 俺と宇久井は目を見合わせ、ふっと気持ちを切り替える。桧木の件はなんとかしたいが、それよりも今日は全員で出掛けるのだから。目一杯楽しむ方に集中しよう。


「お疲れ様です、先輩」

「うんうん! 私服のランランもまた格別だねー!」


 相変わらずスキンシップの多い人だ。挨拶した宇久井にべったりとくっつき、服装をまじまじとチェックしている。

 そんな津々木先輩も今日は一段とお洒落だ。前に偶然出会った時も派手だと思ったが、輪をかけてバッチリ決めている。フリルのついたキャミソールからは大胆にお腹が見えているし、下もジーンズ生地のスカートがこれでもかと短い丈で纏われている。伸びる足先はロングブーツで、元々高い身長をさらに底上げしていた。

 ネックレスを初めとしたアクセサリー類も変わらず盛られまくっている。これから行く場所が科学館であることを思うと、気合を入れすぎではないだろうか。


「んー? なあに、いくりん。お姉さんをじろじろ見て」

「あ、いやすみません! ……よくお似合いで」

「あはは! 冗談だって。なんならもっと見るといい。お洒落は人に見せるためにあるからね」

「いやいや!」


 いつも思うが、目のやり場に困る人だな。露出が多すぎる。

 そこで、宇久井がふと聞いてきた。


「そういえば、先輩って伊久里のことあだ名で呼んでたんでしたっけ」


 先輩は俺をいくりんと呼んでいる。以前鉢合わせた時にカフェで突然命名された。

 問われて、先輩はにやりと笑った。


「ふふーん。秘密のデートで仲良くなったんだもんね? いくりん」

「デっ!? 違います!」


 スーパーで会っただけのアレをデートとか言わないでほしい。

 ましてや宇久井から見て俺は桧木の彼氏。浮気話なんて心象の下がることはしたくないぞ。

 が、宇久井は特に気にも留めてない様子だった。


「伊久里はギャルの方が好みか」

「なんだそれ! 違うし、分析しなくていい!」

「駄目だよいくりん。ピノっちを大事にしてあげなきゃ!」

「先輩が火をつけて先輩が宥めないでください」


 あ、遊ばれている……。俺は確信した。

 津々木先輩も宇久井も完全に手を組んで俺をからかっている。分かっているなら堂々とすればいいのだが、あいにく俺はそんなに肝の据わった男じゃない。

 二人に手玉に取られながら、残りの面々の到着を待つしかなかった。

 はやく誰か来て、俺を助けてくれぇ。

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