第19話 それで終わらせるから

 天体観測は滞りなく終了した。

 俺は宇久井の後、つまり部員の中で一番最後に望遠鏡を覗き月をまじまじと観察した。

 肉眼ではぼんやり模様のように見えていただけのモノが、実際の月面に形作られているのを見ると神秘的なものを感じる。クレーターの存在は知っていたが、自分で見るのは興味深い。

 メインディッシュは月の観察だがその後も全員で星を眺め、やれあの星は髪の毛座という変な名前の星座なのだとか、やれコップ座が見つかったので紙コップで乾杯だとか、まあ殆どバカ騒ぎしていた。

 喋った内容は半分ぐらいしか頭に入っていないが、一九時で打ち止めとなるその時まで、気の良い部員たちと過ごしたは本当に楽しかった。

 だが、やっぱり桧木の言葉が胸の奥に引っかかっている。


「なあ、桧木」


 翌日になって、いつもどおり中庭で昼食中。俺は発言の意図が気になって桧木へ問いかけた。

 が、彼女はどうにも心此処に在らずだ。弁当の米に視線を集中させていて、俺の声も聞こえていない。箸も進んでいないので考え事をしているのだろう。

 もう一度、少し声のボリュームを上げて話しかける。


「桧木!」

「わっ! 何、恵人くん」


 本当にさっきまで一切聞こえていなかったのか。初めて話しかけられたという雰囲気で驚き、その大きな瞳をくりくりと動かしている。

 どうしたんだろう。天体観測中の不可思議な会話もそうだが、今に至るまで明らかに様子がおかしい。

 昨日のことについて質問するつもりが、心配が先に出てしまう。


「ボーっとしてるけど、大丈夫か?」

「うん……ちょっと、ね」

「まさか、またあの告白男子か? それとも別のやつ?」

「ち、違う違う! そういうのじゃないよ!」


 桧木の学校内での悩みと言えば男子から好意を向けられることだと思っていたが、予想は外れた。

 では、やはり家のことか? 昨日、部活に参加する許可が取れたのかと聞いた時も彼女ははぐらかしていた。


「俺にできることがあるなら言ってくれよ。別に大したことできないけど……」


 偽彼氏がどうというより、部活仲間でもあるクラスメイトとして手を貸してあげたい気持ちはある。今の関係性は充分友達と呼べるもので、俺は数少ない友達への協力を惜しまないつもりだ。

 そんな俺の言葉に、桧木は弱々しく笑う。


「ありがとね。でも……もう、大丈夫」


 どう見ても反応が大丈夫ではない。

 だが、彼女は露骨に話題を変えてきた。


「そういえば、昨日は勢いのまま正式入部するって言ってたけど、いいの?」


 あまりにもあからさまな話の方向転換だったので気になったが、言いたくないことを無理に聞き出すわけにもいかない。

 一旦考えるのを止めて、彼女の質問に頷く。


「ああ。部活無くても毎日遊びに行ってたし、もう入っても変わらないと思ってたから」

「あはは。確かに、あたしたちずーっと紅茶飲んでたもんねえ」


 それこそ桧木は門限で早々に帰宅するが、俺は毎回みんなと駄弁だべって下校時刻まで過ごすのが日課になっていた。

 既に部の仲間として受け入れられている感じもしたし、部員数の少なさ故に俺を逃すまいとする空気も分かっている。結論を長引かせるまでもない。

 それに、やっぱり天体観測が楽しかったのは大きい。

 俺が何をしたということではないが、あの空間に居合わせたことが特別だったと思える。ああいうのが青春というやつなのだろうか。

 桧木も俺の入部を歓迎してくれた。


「良かった、恵人くんが入部してくれて。誘った甲斐があったよ」

「実際、桧木が言ってくれなければ知らない部活だっただろうしな」


 天文部なんて存在も知らなかったわけだし。人の縁を結んでくれたわけだ。


「うん。これで……目的達成かな」

「え? 目的?」


 何やら意味深な言葉を呟く桧木。聞き返したが、彼女は笑って誤魔化す。


「近いうちに教えるよ。それで終わらせるから」


 さらに不穏な言葉を付け足すと、そのまま食事を再開した。みるみるうちに三段重弁当の中身が消化されていく。

 終わらせるって、昼飯をか……?



「さて伊久里くん!」

「うわ! なんですかいきなり」


 放課後。桧木と二人で部室まで足を運ぶと、部屋の中から物凄い勢いで部長が飛び出してきた。

 ちなみに、此処に来るまでの間も桧木の表情は何だか浮かない。全然「もう大丈夫」に見えないが、素直に話してほしいところ。

 しかし、そんな桧木のローテンションなど露知らず、部長は俺に向けて捲し立てる。


「天体観測、素晴らしかっただろう? もう、星の虜なんじゃないかい?」

「え? まあ、楽しかったですけど……」

「そうだろうそうだろう!」


 全然話の流れが見えてこない。俺は部室内で呑気に紅茶を啜っていた根古屋先輩に助けを求めて視線を向けた。

 先輩がチラりとコチラを見て、ゆっくり椅子から立ち上がる。


「ダーリン、まずはちゃんと説明してあげてください」

「そうだったねハニー!」


 副部長に諭され、部長はグニャグニャと踊り狂いながら俺に向き直る。怖い。


「入部を決めてくれた伊久里くんにもっと星を好きになってもらおうと思ってね。日曜日、予定は空いてるかい?」


 突然、休日のお誘いだった。水曜日じゃないんだから部活ではないよな。学校で何かするのか、出掛けるのか。

 予定は考えるまでもなく何もない。普段は仕事でずっと多忙な父親が珍しく日曜に休みを取っていた気がするが、別に出掛ける用事などは聞いていないし考えてないだろう。気にしないでいい。


「大丈夫だと思います。何かするんですか?」

「お勉強も兼ねて、科学館に行こうかと思ってね。空いてる部員を集めてるんだよ」

「科学館?」


 科学というと実験か何かか? 天文部と何が関係あるんだろう。

 俺がよく分からないまま話を聞いていると、それも根古屋先輩が補足してくれた。部長の足りない部分は全部この人が補っている。良いコンビだ。


「宙と緑の科学館といって、プラネタリウムが併設された博物館があるんです」

「おお、プラネタリウム」


 なんだか懐かしい響きだ。小学校の時に学校行事で一度見た気もするが、それ以来一度も行っていないかもしれない。当時の記憶も朧げだし。

 星に関する知識が未だにほとんど無い俺にとって、先輩方の解説付きで博物館の資料を見られるのは面白そうだ。


「正式な部活ではなく、僕らが独自にやるただのお出かけだ。科学館の入館は無料なんだけど、交通費やプラネタリウム鑑賞は自腹になる。それでも大丈夫かな?」

「それは全然オッケーです」

「伊久里さんが来てくれるなら計画して正解でしたね。楼心ろこさんも来ると言っていましたし」


 ふむ。既に部長と副部長、津々木先輩の参加が確定しているわけか。

 あとは宇久井と桧木だが……。宇久井はこれから聞くとして、桧木は休日に出掛けられるのだろうか。

 俺たち三人の視線が彼女に集中する。


「あ、あの……」


 桧木は視線を泳がせた。やっぱり駄目そう。


「無理はしなくていいよ、桧木さん。お家が厳しいのは僕らも分かってるから」

「いや、違うんです! その、あたし……」


 何かを言おうとしているのだが、躊躇いがあるのか何も言葉にできていない。

 かなり悩んでいる様子だったので、全員が返事を待つだけの時間が流れる。

 彼女は自身の鞄に手を突っ込んで何かを探していたが、しばらくしてその手を止めた。


「い……行きます」

「ほ、本当かい!? 大丈夫なの?」


 部長が驚いている。いつも穏やかな副部長も少し目を見開いているし、俺も予想外だったので結構ビックリした。

 門限に凄く厳しい家だが、休日ぐらいは自由にさせてもらっているのだろうか。


「桧木、いいのか?」

「う、うん! せっかくだからね」


 彼女はニッコリと微笑み、同行を肯定した。

 が、その鼻先はヒクヒクとしている。彼女が無理をしていることはすぐに分かった。

 本当に、大丈夫か?

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