第18話 あたしって結構演技派だね
しばらくの間は金星ぐらいしか見える星もなく、部室で過ごすのとそう変わらない無為な時間を過ごした。外で飲む紅茶もまた味わい深い。
部活動での天体観測は基本的に月に一度。つまり、三年生の暮尾部長や根古屋副部長は単純計算で二〇回以上、二年生の津々木先輩も一〇回はこの行事を経験していることになる。実際は夏休みなどもあるのでいくつか少ないかもしれないが……。
それでも先輩たちの視線は空を真っ直ぐ見つめていて、星を探す様子も楽しそうだ。
もちろん桧木が一番はしゃいでいるし、本の虫という印象しか無かった宇久井も興味深げに空を見上げている。たぶん俺も傍から見れば同じぐらいワクワクした顔をしているだろう。
「そろそろ良い時間かな。まずは暮尾、望遠鏡の位置を合わせて月の観測を始めるといい」
「了解です、先生。後輩たちが見られるように、バッチリ構えますよ」
青野先生が号令を掛け、暮尾部長が動いた。
望遠鏡を支える
経緯台で位置を整え、そこからは手動で星を追いかけていく。今回は月の表面観察を中心に、他の星も見られるといいなと青野先生は説明していた。
暮尾部長が四苦八苦しながら位置調整をし、途中で根古屋副部長の手も借りながら観察を始めた。三年生から順で、最後に一年である俺たちの出番となるらしい。
先輩たちが望遠鏡に掛かりきりになっている間に、レジャーシートに座っていた俺たちは荷物鞄から双眼鏡を取り出した。
見た目は普通の双眼鏡とあまり変わらないが、星の観察用だけあってかなり遠方まで見える倍率になっている。こちらは二台が部の備品で、今は津々木先輩と桧木が覗いていた。
「ろこちゃん先輩! あれ、北斗七星ですかね?」
「だねー。オレンジに見えるのがアークトゥルス、白いのがスピカかな。この時間でも結構綺麗に見えるもんだね」
あまり天文部としての印象はついていなかったが、流石一年先輩ということもあり津々木先輩も結構詳しいようだ。話を聞いても俺には何座の何なのかは全然分からないが。
「アークトゥルスはうしかい座の赤色巨星で、スピカはおとめ座の一等星。どっちもその星座で一番明るい星」
俺と一緒に手持無沙汰になっていた宇久井が解説してくれた。なるほど、赤色巨星ってなんだろう。
曖昧に頷いて宇久井の言葉をなんとなく受け取ってみたが、すぐにテキトーな相槌だと気づかれる。
「伊久里、ちゃんと調べてきてないでしょ」
「うっ。……面目ない」
「青野先生にプリント貰ったのに」
宇久井に言葉の槍を刺されて致命傷になった。
望遠鏡の使い方を反復していてそれどころではなかったのだ。部には一台しか無くて壊したら買い替えられないとか脅されてたし。
とはいえ、確かに前回の部活動で資料は貰っていたので、これは俺の失態である。まだ仮入部だったのもあり、何も下調べせず気軽に来てしまった。
「よーし、次は津々木に望遠鏡を渡そう」
青野先生に呼びかけられ、津々木先輩はシートから立ち上がる。
「あい、いくりんパス」
「どうも」
先輩が手にしていた双眼鏡を俺に託して駆け出していった。受け渡して走っていく最中、目線のすぐ前にひらりと踊るスカートと脚がなんだか目のやり場に困る。
俺は思考を振り切って双眼鏡を構えた。もちろん見るのは先輩ではなく空の方。
「どう、恵人くんも見える? 北斗七星」
「たぶん見えてるんだが、どれが何なのか分からん」
「北斗七星は、全部がおおぐま座の星なんだよ。こんな時間から見える明るい星を、おおぐま座が独占してるの」
それは独占というのだろうか。
桧木が線を描くように空を指差している。双眼鏡と交互に視線を動かしながら、彼女の解説をなんとか理解しようと試みた。
「アークトゥルスとスピカを含めて、こう繋ぐと……春の大曲線。この時期に見える明るい星の並びだから、覚えておくとまた見つけやすいよ」
「なるほどね」
名前は中々覚えられないし、次に見つける機会があるかは分からない。だが空に煌めく星が綺麗なのは間違いなかった。
特に隣で楽しそうにしている桧木を見ていると、こちらも自ずとテンションが上がる。良いものを見れたという気分にしてくれた。
俺はしばらく彼女のウキウキした声に耳を傾けつつ、そろそろ双眼鏡を宇久井に渡そうかと考え始める。
そこで、ポツリと桧木が呟いた。
「ねえ恵人くん。前にも言ったかもしれないけれど、星座って素敵じゃない?」
声色を抑える彼女の囁きを受けて、俺は思わず視線を向ける。
「星座って、元々は何の関係もない星同士を誰かが線で繋いで、一つのものに見えるようにしてるんだよ」
「まあ、そうだよな。星は自分が何座かなんて知らないだろうし」
「それってさ、人に似てると思わない?」
彼女の問いかけは難解だった。意味を拾いきれず顔をしかめることしかできない。
いつの間にか、はしゃいでいたはずの桧木のトーンは落ち着き払っていた。
「人も、一人一人は何の関係もないのに、集まってそれぞれ輝こうとしてる。あたしたちはそれぞれが星で、同時に本当は何者でもない」
「えらく、詩的だな」
上手い返しも思いつかず、俺は間抜けな感想を伝える。
彼女は俺に向かって微笑んだ。いつもは屈託ない笑顔を見せるのに、その表情はやけに儚く感じられて言葉を失う。
「一年B組という星座の中で、あたしは輝いている風を装ってきた」
「桧木?」
「でも本当は、あたしなんて何者でもないんだよ」
なんだ? 彼女の言葉は妙に重たく、捉えどころがないのに冷たい。
多分、マイナスなことを言っている。桧木が自分を卑下しようとした発言なんだと分かった。けれどそれがどういう意図で発せられているのか、内容を噛み砕けない。
でも、何か言わないといけない気がした。
「桧木は桧木だろ? 俺から見ると、お前はクラスの一等星だと思うけど」
お世辞でも何でもなく、桧木は間違いなくクラスの中心人物だ。星に喩えるのならば、最も輝く一等星と言って大袈裟ではないだろう。
だが、俺の言葉を受けても桧木はいつもの元気ハツラツな笑みには戻らなかった。
「恵人くんからそう見えてるなら、あたしって結構演技派だね」
「おい。どうしたんだよ」
彼女の言動に、嫌な胸騒ぎがする。
桧木に何かあったら。津々木先輩と宇久井に言われた言葉が頭の中にリピートした。あの子は何か悩んでいるのか? 俺が手を差し伸べるべきなのか?
しかし、考える間もなく桧木は立ち上がった。
「じゃあ、そろそろあたしも望遠鏡見せてもらおうかな!」
俺が引き止める間もなく、とことこ駆けていった。
真面目な顔で望遠鏡を覗いている津々木先輩の横に立った彼女は、先ほどまでと変わらず星を愛する元気な表情の桧木に戻っている。
「なんだったんだ、あいつ……」
何を言っていたのかは正直よく分からなかった。
クラスの中で輝いている風を装ってきた。そう見えているなら演技派。
つまり彼女は教室で何らかの嘘を演じてきたのか。でも何を? 何故?
桧木は周囲の期待に応えようとして嘘をつく。それはこれまでにも何度か見た光景だが、別に誰かに迷惑をかけているわけではない。そりゃあ偽彼氏役の俺は被害者側かもしれないが、周囲から彼女へ向けられる羨望の眼差しは揺るがないだろう。
じゃあ、何者でもないって……なんだ?
突然見せた彼女のシリアスな表情が、俺の脳内に強くこびりついていた。
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