第17話 なんだか、いいよね
少し前で跳ねている桧木のポニーテールを追いかけながら、俺たちは全員で屋上へ向かった。階段を登っていき、最上階で青野先生が鍵を取り出す。
此処も最早懐かしい。
桧木が告白され、俺を偽彼氏にした翌日、広まった噂話をどうするかという相談で最上階の踊り場まで足を運んだのだ。あそこで彼氏役を続けてほしいと言われ、色々悩んだ末に俺は了承した。
あの選択が正しかったのかは今も分からない。今でも俺は桧木の隣にいるような明るい人間じゃないと思うし、こうして一緒の部活動をしているのも何処か嘘みたいだ。
屋上への扉が開く。まだ五月末だと言うのに、開かれた外から流れ込んできた空気は蒸し暑さを伴っていた。
「到着! ……って、まだ全然明るいですね」
「だからまだ早ぇって言っただろうが」
夕日と言うにもまだ高い位置にある太陽を見ながら、桧木が当たり前の感想を漏らす。
授業が終わって割とすぐに集合したのもあり、まだギリギリ一六時を回っていないぐらいの時間だ。流石にまだ星は見えない。
先生がツッコミを入れた後、俺の持っていた荷物鞄へと視線を移した。
「伊久里、鞄にレジャーシートがあるから広げてくれ」
「分かりました」
中身をしっかりと見ていなかったので知らなかったが、レジャーシートなんてあったのか。俺は鞄を探り、折りたたまれたそれを発見する。
ブルーシートではなく、布製のしっかりとしたものが出てきた。屋上の冷たい地面でもこれならゆっくり座っていられるだろう。
俺がその場にシートを広げると、真っ先に津々木先輩が座り込んだ。桧木も勢いよくそれに続き、その後宇久井も隣り合わせて座る。
「星が出るまでひと休みだねー」
言いながら、津々木先輩はシートの上に大の字で寝ころんだ。短いスカートから長い脚が伸びていて、その……目のやり場に困る。
天文部は先生と合わせて七人もいるので、多少大きなシートと言えど寝そべられると座る場所が無くなる。どうしたものかと思いつつ、俺は部長へ目を向けた。女子陣を無下にするわけにもいかず部長も困り顔だ。
「とりあえず、望遠鏡組み立てておくかい?」
「そうしますか……」
部長が肩に下げていた望遠鏡を広げ始め、俺もそれに従う。
頭で反復していた甲斐もあり、望遠鏡の組み立てはスムーズに行うことができた。あちこちにネジ止めがあるので逃さないように一つ一つ丁寧に取りつけ、あっという間に完成まで漕ぎつける。なんだか拍子抜けだ。
「まだ太陽も見えてるから、下手な方向を覗くんじゃねぇぞー」
青野先生がレジャーシートに腰かけながら注意してくる。望遠鏡はもちろん、双眼鏡でも太陽の直視は絶対に駄目。こういう忠告はやっぱり顧問らしい。
女子たちは根古屋副部長から持ってきた水筒から紅茶を注いでもらっている。先輩、此処まで持ってきたのか。これでは本当に給仕係だなと思った。
紅茶の紙コップを受け取った桧木が、自分の隣をポンポンと叩いた。狭いが、レジャーシートの端にギリギリ座れるぐらいのスペースがある。
「ほら、恵人くんも!」
「お、おう」
促されて俺もシートに座り込む。ほとんど身を寄せ合っているような状態だが、元々妙に距離感の近い桧木は大して気にしていないようだった。
だが、俺は気になる。制服越しに桧木の体温が伝わってきて落ち着かない。
「まだ明るいけど、じっくり見るともう星が見えたりするんだよ。周りの明るさにかき消されているだけで、星は変わらずそこにあるからね」
「なるほど。今は……見えるか?」
「どうかな。この時期だとやっぱり金星が見えやすそうだけど」
桧木がキョロキョロと空を見回す。
「たしかに金星は見えやすいが、流石にまだ時間が早すぎる。待っていれば、北斗七星とかも見えると思うぞ」
青野先生が補足してくれた。見ると先生はココアシガレットを咥えて口寂しそうにしている。
その言葉を受けて、桧木がはにかむ。
「北斗七星! 北極星が見えやすいはずだから、そこから探さないとね!」
「桧木、楽しそうだな」
「もちろん! みんなで天体観測できるなんて夢みたい!」
まだ星は見えていないが、桧木のテンションはクライマックスだ。
俺も一緒になって空を見上げる。少しずつ赤らんできた空は雲一つない快晴で、それ自体は何の変哲もない。けれどこうしてじっくり空を見る機会なんて作ったことがないので、それだけでも新鮮な気持ちだった。
「伊久里さんも、どうぞ」
「ありがとうございます」
根古屋さんにハーブティーを渡された。部室のものと同じ苺とローズの甘い香りが落ち着く。
階下からラッパの音が聞こえてきた。確かすぐ下に音楽室があったはずなので、吹奏楽部のものだろう。まだ慣れていないのか同じ小節を何度も吹き直し、同じところで詰まっている。
さらに遠くから、運動部の掛け声が響いてきた。ランニング中だと思うが、声だけでは野球部なのかサッカー部なのか、他の部活かは区別がつかない。
天文部に仮入部してから二週間近く。
放課後に部室でのんびりとする時間も楽しかったが、こうして活動らしいことをしているといつもと感じ方が違う。みんなで学校に残って、一緒に過ごしている。
なんか――いいな。
「なんだか、いいよね」
俺が思ったのとまったく同じタイミングで、桧木がそう言った。
空へ向けていた視線を俺の方へ動かし、にっこりと微笑む。息がかかるほどの距離で笑うその顔は……やっぱり、クラスで人気者になるのも分かるほどの圧倒的ビジュアルだった。
そして、そんな彼女を見ているとどうしても分からなくなってしまう。
誰からも好かれるアイドル、桧木千央。
そんな彼女が何故偽の彼氏を捏造して告白を乗り切ったのか。彼氏を立てるなら本当の恋愛に準じればいいし、そうできない理由があるらしいのに俺はそれを聞けていない。
嘘をついた当日はともかく、その後もクラスの目立たない男子でしかない俺を一貫して彼氏役にしていること、同じ部活で活動するようになったことも、全部が違和感だ。
何より。彼女は、俺のことをどう考えているのだろう。
焦っていたので仕方なかった。最初はそうだったかもしれないが、こうして毎日一緒に居て嫌じゃないのだろうか。
俺に心を開いているように見える。
俺を頼りにしているのは確か。
他の部員はみんなそう言ってくれているが、俺には実感がないし、彼女の口からは何も聞けていない。
「桧木。あのさ」
「ん? どしたの?」
彼女の瞳の中に俺が映っている。真面目ぶった顔はまったく似つかわしくなくて、俺は自分が何を言おうとしているのか分からなくなった。
「あ、星見えた!」
「え! ろこちゃん先輩ホントですか!? 何処!?」
津々木先輩が空を指さした。桧木がガバッと体を反転させて先輩の方へ向き、指の先へと視線を凝らしている。
俺もその先を目で追った。空はまだかなり明るいが、夕焼けに染まり始めた中にポツリと光の点が輝いているように見える。
青野先生が解説してくれた。
「金星だろうが、この時間にあれだけはっきり見えるのは運がいいな。日没のタイミングで見える金星は
宵の明星。金星。
明るいうちからかなり存在感を放っているように思えたが、普段は注目したことすら無かった。こんなにも綺麗なのに、今まで勿体ないことをしていたなと感じる。
隣で目を輝かせて星を見つめる桧木の顔が眩しい。
「星って、なんかいいな」
俺は思わず口に出していた。
その言葉に、桧木の目がより一層強く輝く。
「おぉ! 恵人くんも分かってくれたね!」
「なに? 正式入部してくれるって?」
桧木の言葉を受けて部長も期待の目を寄せている。
まだ星のことなんて何にも知らない。この二週間では天文部の活動もロクに経験していないし、結論は早計に思える。
けれど、まあいいかなと俺の心が言っている。みんな良い人で、楽しい部活だ。
「しますか。正式入部」
「ホント!?」
桧木がシートから立ち上がって、部長も一緒に小躍りした。たかだか部員が一人増えるぐらいで大袈裟な。
けれど、歓迎されるのも嬉しいものだ。俺は再び金星へと目をやる。
あの眩しい星が、俺の部活正式スタートの旗印になったんだなと思った。
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