第3章 全部無かったことだとしたら
第16話 知ってて敢えて聞いた
いよいよ天体観測の日がやってきた。
朝から浮足立っている
「行くよ
「急いで行ってもすぐに部活は始まんないから。一旦落ち着こう、な?」
「なんでそんな冷静なの!? みんなで星を見るんだよ!?」
いくらなんでもはしゃぎすぎだと思うが、彼女がそれだけ星好きなのは充分伝わってきている。
実際、俺も楽しみにはしていた。天文部という部活動に入った以上、天体観測はメインコンテンツと言ってもいい。知識が無くとも初めて参加する部のイベントとあっては興奮するのも無理からぬことかもしれない。
スキップしたまま空へ飛びあがるんじゃないかという勢いの桧木を追いかけ、二人で部室へと歩いていく。もはや日課となった道だ。
「ところで桧木、家の許可はちゃんと取れたの?」
行きすがら、俺は気になっていたことを彼女に聞いた。
彼女の家が厳しいことは部内周知の事実。そんな中で夜までの活動となる天体観測に参加許可が出るのか誰しも気にしていた。
それに、先日のカフェで
俺の言葉に、桧木はピタッと動きを止める。
「……もちろんだよ」
こちらを振り返らず答える桧木。その声は弱々しく、怪しいと言わざるを得なかった。
「無理してない? 何かあったら言ってくれよ」
「恵人くん……」
か細い桧木の声が俺を呼ぶ。
彼女の表情は伺えないが、躊躇いや不安が含まれているのは声色だけでハッキリと分かった。
何を言うのか、彼女の言葉を待つ。
「……なんでもない。心配してくれてありがと」
俺が待ったものとは違う、自分へ言い訳するような取り繕った笑顔と共に彼女は振り返った。
なんでもないわけがない。
だがその悔やんだような笑顔を見て、俺は推し黙る。
「ほら! 家のことなんていいから、天体観測に向けて気分を上げていこう!」
「……そうだな」
今日という日を目一杯楽しむつもりらしい。
その気持ちに水を差しても仕方ない。俺は話題を続けることを止めて頷いた。
そうして部室まで辿り着くと、桧木は一度だけ深呼吸。気持ちを入れ替えて、再び元気ないつもの桧木を作ると、扉を思いきり開く。
「お疲れさまでーす!」
「お。お疲れー、いよいよだね」
部室では
さらに、すぐ遅れて真後ろから声を掛けられる。
「おっつー! ピノっち、楽しみにしてたー?」
「ろこちゃん先輩! もう待ちきれないです!」
津々木先輩だ。来るや否や桧木に覆いかぶさるようにバックハグを決める過剰なスキンシップだが、桧木側も嫌がっている様子はない。
やはり、こうしてみると他部員への心の壁なんて一切感じない。部長の心配は杞憂なのではないかと思ってしまうが、真相は未だ闇の中だ。
今すぐ屋上までダッシュしていきそうな桧木に、青野先生が粗雑に注意する。
「あんまガキみたいにはしゃぎすぎんなよ」
「大丈夫です! もう待ちきれないです!」
さっきから待ちきれないと返すボットと化している。
先生も言い方に反して声色も表情も優し気だ。ガキみたいにも何も俺たちは一介の高校生だが、それは一旦置いておこう。
根古屋先輩が桧木に紙コップを渡してくれる。中身は温かい紅茶だが、いつもと少し香りが違う気がした。
「どうぞ桧木さん。
「ありがとうございます
それは分かったから。
「副部長、紅茶の種類変えました?」
「あら、伊久里くんは分かってくれるのね。苺とローズのハーブティーを淹れてみたの。天体観測本番前に、リラックス効果が高まるの」
香りの違いを言い当てられ、根古屋さんはなんだか嬉しそうだ。
「凄いね伊久里くん。僕なんて何にも気づかなくてハニーに怒られたよ」
「ダーリンったら飲んだ後に感想を聞いても、別に変わらなくない? なんて言うんだもの。出し甲斐が無いじゃない?」
「いやあ、面目ない。ハニーに見惚れてると味どころじゃなかったのさ」
「まあダーリンったら!」
話題を利用して眼前でイチャイチャし始めた。他所でやってほしい。
二人の会話を眺めている間に、ふと後ろに気配を感じた。ゆっくり振り返ると、音もなく宇久井が真後ろに構えていた。
「うお!」
「あ、バレたか」
あまり大きく表情が変わらないが、明らかに悔しがっている。こいつ、こっそり近づいて脅かそうとしていたな。
現れた最後の部員に桧木のテンションがさらに上がる。
「
「
「当然! もう待ちきれ」
「それは分かったから!」
再び同じ言葉を繰り返す壊れたラジオになりそうな桧木を静止した。
青野先生は壁掛け時計にチラりと視線を向ける。
「全員すばやく集まったのは感心だけど、まだ早ぇんだよなぁ」
「いいじゃないですか先生! 望遠鏡の設置準備とかありますし、さあ行きましょう! すぐ!」
どれだけ急かすんだという勢いだが、他の面々も桧木の言葉に頷いた。
「部室で待っていてもなんですし、いいんじゃないですか?」
部長がそう提案すると、青野先生もぐしゃぐしゃの髪をさらに掻き乱す。
相変わらず着崩れたファッションも含めて乱暴な印象の人だが、こういう時に生徒を重んじてくれる一面もある。結局今回も困った顔をしつつ折れてくれた。
「分ーかった。星が綺麗に見えるまで暇だと思うが、行くぞ」
「やったー! レッツゴー!」
「ピノっち元気だねー。アタシも、レッツゴー!」
軽やかに歩き出した桧木と、そのテンションに合わせて盛り上げてくれる津々木先輩。
やや呆れ顔をしつつも、他の面々も彼女らの後に続いた。最後尾で青野先生が部室の扉を施錠しているのが見える。
部長が望遠鏡の本体を持っているので、俺が他の道具を引き受けた。星座の早見盤と双眼鏡などが入っているトートバッグだがさほど重くもない。肩にかけて後ろの方から桧木たちをのんびり追いかける。
同じくゆっくりと歩いていた宇久井が、俺の横に近づいてきた。
「千央、最近どう?」
「どうって……特に変わりはなさそうだけど」
先ほど聞いた家の許可に対する反応については、わざわざ伝える必要もないだろう。俺自身あの返事は引っ掛かったが、とはいえ具体的なことを知っているわけではない。不確定なまま教えても心配させるだけだ。
俺の言葉をどう受け取ったのか、宇久井はじろじろとコチラを見ている。
「な、何?」
「伊久里って、結構気遣い上手?」
「なにそれ」
まったく心当たりのない考察をされて俺は困惑した。
すると、宇久井は口元を歪めて悪い笑顔を作る。
「私は千央の友達だから、大体知ってる。知ってて敢えて聞いた」
なんだそれ。知ってるって何を? どこまで?
よく分からない宇久井の言葉。彼女のミステリアスさは俺の想像の範疇を越えている。
「千央に何かあったら、よろしく」
この前津々木先輩にも言われた言葉をまた掛けられた。
誰もかれも、桧木にこの後何かあると知っているかのような口ぶりだ。
「それって、女の勘?」
「いや? もっと具体的なやつ」
「えっ。桧木、何かあるのか?」
宇久井は少しだけ真面目ぶった顔をする。
「まだ分からないけど。伊久里なら何とかできると思う」
それだけ告げると、トテトテと駆け出して先頭の桧木と津々木先輩に合流していった。
桧木に何があると言うのか。そして、それを俺にどうさせたいのか。
まったく分からない宣言を受けて、俺は頭を悩ませた。
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