第13話 なんでもない、かな?
まず三脚。足の高さを調整してネジを締め、足の真ん中に開き止めを開く。上部に上下と方位を動かすハンドルをそれぞれ取り付けて完成。次に本体である鏡筒を設置するために固定ネジを一度緩めて――
「大丈夫? 恵人くん」
昨日聞いた望遠鏡の組み立て方を頭で再生しながら黙々と昼食を摂っていると、隣で桧木が心配そうに聞いてきた。いつもの中庭、いつものベンチだ。
「だ、大丈夫。だいぶスムーズに思い出せるようになってきた……」
「難しく考えすぎだよー! 失敗したってようちゃん先生もいるんだし、部長も優しく教えてくれるよ?」
「そりゃそうなんだが」
せっかく教えてもらった以上、ある程度は自分でやれるようになっておきたい。これは男のプライドの問題である。
基本的に男子生徒が取り扱うらしいので、関係ない桧木は気楽そうだった。今日もドデカい弁当箱を軽快にパクパク食べて、
といっても、桧木は昨日組み立て説明より前に部室を出た。同じ一年の宇久井は真面目に手順を聞いていたが、桧木も知っておくべきではなかろうか。
「桧木は、望遠鏡とか使ったことあるの?」
「えっ!? あ、ある!」
やけに驚いてから、どう考えても虚勢のドヤ顔で宣言してきた。相変わらず、その顔をする時は鼻がピクピクと動いている。
だんだん分かってきた。彼女が鼻をひくつかせて不自然なドヤ顔をする時は、決まって嘘をついている。告白相手に俺を彼氏だと紹介した時も、自分を恋愛マスターだと豪語した時もそうだった。
明らかに見栄を張っていると思ったが、軽くカマをかけてみる。
「へぇー。星とか好きだし、やっぱ過去に経験あったりするんだ」
「そう! それはもう、何百回と触ってきたよ!」
「お家にあるの? それとも何処かの施設とか?」
「う、うーんと……どっちもじゃない?」
じゃない? と俺に聞かれても。君の体験を聞いてるんだが。
頑なな割に詰めの甘い文言を出してくる桧木に、そっと忠告する。
「桧木さ、あんま意味ない嘘つかない方がいいと思うぞ」
そもそもの偽彼氏だって、告白を回避するための盛大な嘘だ。彼女は大小さまざまな嘘をついている。それも何故か必死に。
それにどんな意味があるのかは分からない。ただの意地っ張りなのかもしれない。
指摘を聞いて、桧木は雨に濡れた子犬のようにしょんぼりした。
「また……やってしまった……」
そんな、つまらぬ物を斬ってしまったようなノリで言われても。
「なんか、駄目なんだよね。たとえばさっきの質問さ、恵人くんはあたしが望遠鏡ぐらい取り扱えると思ったでしょ?」
「え? そんなに深く考えてなかったけれど……」
言われてみれば、桧木が星好きなのは明白なので自前の望遠鏡ぐらい持っていてもおかしくないとは思える。
そうでなくても、なんでも卒なくこなすタイプなので望遠鏡の扱いはお手の物だと勝手に捉えてしまうかもしれない。
「たしかに、そう思えなくもないかも」
「そうでしょ! そういう、桧木さんなら出来るよね? 当然だよね? っていう視線を向けられると……期待を裏切っちゃいけないなと思っちゃうの」
これはまた、えらく困った性格だな。
成績優秀、スポーツ万能。立てば
ただ実際にこうして毎日昼飯を一緒にしたり、部室で子どものようにはしゃいでいる姿を見ると、それは違う……というより、それだけではないのも分かってきている。
この子はとても素直で、少し天然だ。勉学は得意だろうけれど、流されやすかったりする面もあって危なっかしい。
そんな弱みみたいなものを、桧木は他人に隠しているのだろう。
「別に、普通にしてればいいと思うけどなあ」
「それが出来れば苦労しないんだよ!」
さいですか。
別に俺はカウンセラーでもメンタリストでもない。桧木が性格で苦労しているのだとしても、あまり出来ることはなさそうだ。持って生まれたものは中々変えられないだろうしな。
すると、彼女はこっそりと悩みを打ち明けてくる。
「この前もね、教室で友達に恋愛相談されたの」
「れんあいそうだん……」
俺には一生縁のなさそうなワードで、どこか現実感がない。……いや、桧木の偽彼氏役を演じるっていうのも、大きな括りでは恋愛相談なのか?
「恵人くんと付き合っているあたしは、みんなから見れば既に恋愛マスターなわけ。だから、好きな子に告白したいけれどどうすればいいかって聞かれたの」
「桧木は他人の告白を断っただけだもんな」
言ってからふと思う。
告白をされるという行為も、付き合いたい、付き合えるかもしれないという相手の期待が込められたものだ。先ほど聞いた彼女の性格を思えば、一度はぐらかし、二度目には恋人がいると嘯いたのも納得できる。期待を裏切れなかったのだと。
なので、あなたのことが嫌いなんじゃなくて、仕方なく今はイエスと言えないんですという精一杯のフォローをしたつもりだったのかもしれない。逆効果だと思うけど。
また少しだけ桧木の内面を理解できた気がする。
「で? なんて答えたの?」
「そりゃもう、小説や漫画の知識を総動員してなんとかしたよ!」
大丈夫か? それ。
桧木の恋愛知識はだいぶ偏っている。何せ身近なカップルから影響を受けて、互いの愛称をダーリンとハニーにしようとした女だ。いやそれは先輩たちが悪いんだが――
「あ、そうか。いるじゃん、経験者」
「ふぇ……?」
物凄く間抜けな声で桧木が疑問を呈する。相変わらずくりっとした大きな瞳がこちらを覗き込んでいた。小動物みたいだ。
「そういうのは部長と副部長に聞いてみるのが一番じゃないか?」
「おおー! それだ!」
二人の世界観はそれはそれで独特な気もするが、少なくとも桧木が頭を悩ませるよりずっといいだろう。俺に相談されても知識量は桧木と変わらないだろうし。
桧木は胸のつかえが一つ取れたようで、満面の笑みでご飯をかきこんだ。
望遠鏡の使い方については難しく考えすぎだとアドバイスしてくれたのに、彼女自身は他人に頼ることを苦手にしているように思える。
天文部の人達はみんな良い人だし、もっと甘えてもいいんじゃないだろうか。
「他人に心を開いてくれている感じがしない……か」
「ん? 何か言った?」
「なんでもない」
俺は暮尾部長の言葉を思い出していた。
今なら少しだけ理解できた気がする。彼女は誰にでも気さくな笑顔を向けているが、その
別に相手を小馬鹿にしているとか、下に見ているということではない。単純に彼女は他人への頼り方を知らないのだと思った。
「桧木、他に困ったことはない?」
「え?」
気がつくと、俺は彼女に問いかけてきた。
脈略の無い質問に桧木も驚き戸惑っている。そりゃそうだ、これじゃ本当に親切な彼氏みたいだし。
桧木は少し目をしばたたかせ、俺の方をまじまじと見つめている。
そんなに集中してこちらを見ないでほしい。相変わらず距離も近いしなんか恥ずかしい。
そして、彼女はゆっくりと口を開いた。
「伊久里くんはさ」
「おう」
「思ってたとおり、良い人だよね」
「……なにそれ」
困ったことを聞いたはずだったが、桧木はよく分からない俺の所感を教えてくれた。
良い人、なのだろうか。偽彼氏役を受け入れているのは我ながら酔狂だと思うが、はっきり言ってこの行動が役立っているのか定かではない。
桧木はベンチから立ち上がると大きく伸びをして、こちらへ向けてニコりと微笑む。
「なんでもない、かな?」
意趣返しか何かなのか、俺と同じ言葉を使って誤魔化してくる。
笑顔にも関わらず、彼女の表情は何処か寂しげに見えた。
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