第12話 気になったりしないの?
先生が部活顧問として説明を始める。
こう言ってはなんだが、話し始めると内容は真面目だし結構分かりやすい。がさつな性格ばかり目立つが、教師としての仕事は手を抜かない人なんだろう。
事前に聞いていたとおり、今日は望遠鏡の取り扱い方が主な議題だ。来週の天体観測に関する工程も説明される。
「うちの部で使ってるのは屈折式の望遠鏡一台だけだ。別に覚える必要はねぇが、反射式のレンズに比べると星も綺麗に見えるし取り扱いも簡単だから安心しろ。代わりに重たいので、運ぶのは注意してくれよ。買い替えの予算はねぇぞ」
「屋上への持ち運びは男子の仕事になるから、今年は伊久里くんがいてくれて助かるよ」
暮尾部長がニコりと微笑む。たった今、力仕事が二人に分担されたらしい。
「望遠鏡は一台なので、他は目視での観察になる。大三角や春の大曲線が見えるかもしれんが……なにせ此処は都会の真ん中だからな。二年以上は知ってるとおり、見るのは結構大変だ」
「大三角ってなんでしたっけ。織姫と彦星のやつ?」
「それは夏の大三角。春の大三角は、アークトゥルスとスピカとデネボラだよ」
自信たっぷりに訂正を入れてくる桧木。大三角って春とか夏とかあるんだ。
そして、都会の真ん中ではやはり星の観察は難しいらしい。周りが明るいと星が視認しづらいというのは何となく知っていたが、それがどの程度なのかは当日次第か。
先生は続ける。
「一応、夏の大三角も見えるかもしれんが……そっちは後のお楽しみだ」
「お楽しみ?」
「夏の大三角には七夕のイメージがあるだろうが、本当に一番よく見えるのは八月頃。天文部は毎年そこに合わせて合宿の予定を組んでるから、見たいやつは夏休みまでちゃんと部に所属するといいぞ」
したり顔でそう言う。来週星を観察して、もっと綺麗に見たいと思ったら夏休みの合宿も楽しみになるという謳い文句か。中々洒落た勧誘だと思った。
実際、隣で桧木は目を輝かせている。
「合宿! 八月なら春の大三角や秋の大四辺形も見える可能性がありますよね! 楽しみすぎる……!」
楽しみというか、もう楽しそうだなこいつ。そして秋は四辺形なんだ、聞いたことすらない。
その後も青野先生は次回に向けて観察に関する手筈を説明していく。
望遠鏡では月のクレーターや、周囲に見られる土星や海王星の観察を楽しめるという。と言われても俺にはどれがどの星かイメージしづらい。土星に輪っかがあるのは分かるが、観察に際して見分けがつくのかも不明だ。
また、天体観測後は毎回部員が持ち回りで気になった点や感想を記録するらしい。新聞部が書く校内新聞に一コーナーが設けられているということだが、残念ながら俺は貼り出された掲示物を見た記憶がなく、校内新聞なんてあるのかと別の部分に感心していた。
当日に見えるであろう星座や星の名前の確認もしていく。先生からプリントを渡されると、そこに夜空の図面が載っていた。北斗七星とかスピカっていうのは聞いたことあるかもしれない。
そうしてまったく未知の知識を植え付けられている間に、桧木が時計を見て立ち上がる。
「ごめんなさい、時間なので私はこれで」
相変わらず門限が厳しいらしい。家の事情とのことが、部活動なんだしもう少し緩くいかないのだろうか。
帰宅準備をする桧木に青野先生が問いかける。
「来週は夜まで大丈夫なんだな?」
「……はい。許可取ってきますから!」
なんだ? 一瞬変な間があった気がする。
桧木はお疲れさまですと言い残して、そのまま部室を駆けだしていく。それぞれがお疲れーと軽い挨拶を返した。
「相変わらず忙しそうだね」
部長が全員の思っていたことを言葉にする。
「ピノっちのお家って、どういう感じなんだろ?」
津々木先輩が疑問を口にする。瞬間、俺に視線が集まった。
まあ、普通だったら彼氏の俺が一番詳しいと判断するわな。残念ながら、俺は首を横に振ることしかできない。
「家とか行ったことないですし、詳しくは」
「えー? そういうの気になったりしないの?」
誤魔化して終わろうかと思ったのに、津々木先輩はさらに追及してくる。
本当のところを言えば俺も気になる。彼女は何かを隠しているというか、家庭事情については口が堅い。
それについては、恐らく幼馴染の宇久井の方が詳しいはずだ。彼女も口を割らないと断固として言われたが。
「やっぱり、俺から詳しく聞いた方がいいですかね?」
踏み込むべきか放っておくべきか、俺自身も決めかねている。
彼氏としてもっと信頼されることね、とは宇久井の言葉だ。俺は実際の彼氏ではないが、彼女が気さくに家のことを相談できるほどの関係性を築ければもっと本音が聞けるだろう。
しかしそれは難しい。
何せ俺は本当にごくわずかしか友達がいない。異性の相手となれば皆無と言う他なく、恋人どころか友人としての信頼を積み重ねることすら難しい。
相手の家庭事情に踏み込むなんて真似、まったくもって出来そうもない。
が、俺の疑問に津々木先輩は深く頷いた。
「君さあ、ピノっちの彼氏なんでしょ? ちゃんと話を聞いてあげなきゃ駄目じゃなーい?」
「そ、そうですよね。やっぱり」
彼氏じゃない、とは言えない。俺は愛想笑いで津々木先輩と向き合う。
「やーっぱ釈然としないなー。ピノっちってあんなに可愛いのに、相手がこうも冴えないなんて」
冴えないのは認めるが、本人の前で言わないでほしい。
が、珍しく宇久井が口を挟んできた。
「伊久里って普段はこんな感じだけど、意外とヒーロー気質だと思うよ」
「へ? お、おう……」
宇久井は何か確信めいたものを持ってそう言ってくれたが、思い当たる節がない。彼女との思い出となれば俺が忘れてしまっていた中学一年生の頃の話になりそうだが。中学時代の俺にそんなヒーローエピソードがあっただろうか。
特に表情を変えることもなく、宇久井は淡々と話す。
「本人が忘れてるなら、人助けとか何かしてあげたことを当たり前だと思ってるんだろうね。特別なことじゃないから、すぐ忘れちゃう」
どれのことについて話しているのかさっぱり分からないが、意外と宇久井は俺の行動を買ってくれているようだ。ありがとう、分からないけれど。
宇久井が結構真剣に弁護してくれたので、津々木先輩はポカンとしてこちらを見ている。
「ランランがそこまで言うなら、意外な一面を隠し持ってるってことかな?」
「そうなる、んですかね?」
自分から「俺って結構やるんですよ」とは言わないし、言えない。宇久井が何のことを言っているのかも分からない以上、大口を叩いても仕方ない。
とはいえ、これで津々木先輩から俺への風向きが変わってくれると嬉しいのだが。どうなるかはまだ分からないか。
「えー……青春を楽しむなら後にしてくれるか?」
俺たちの会話が途切れたところで、青野先生が呆れた顔で口を開く。
桧木が帰ったことで勝手に終わったような気でいたが、そういえばまだ先生による指導の途中だった。
先生はビシッと壁際の鞄を指差す。
「んじゃ、来週すぐに使いこなせるように、望遠鏡の組み立て方を教えてやる」
そこから、主に俺へ向けた望遠鏡の取り扱い講座が始まった。同じく一年である宇久井もきちんと話を聞いていたが、三キロほどとはいえ本体はそれなりに大きく、組み立てはほぼ男子に一任されるようだ。
三脚の固定からハンドルや鏡筒の取り付けなど、大小さまざまなパーツを扱うのは中々に覚えづらい。俺は来週までに手順を把握できるのか不安になりながら、先生の説明を必死に追いかける。
結果、桧木が帰ってからの一時間がほぼ全て俺への個別指導のような雰囲気になって、へとへとになりながらその日は解散となった。
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