第11話 お前、桧木の男だろ?

 俺が天文部に仮入部してから数日。

 桧木と共に足繁く部室へ通い、時に津々木先輩から冷たくあしらわれ、時に暮尾部長と根古屋副部長の惚気話を聞かされ、時に読書を嗜む宇久井を眺めながら日々を過ごしている。

 この日も放課後に教室で準備をしていると、担任からの呼び出しで桧木が出て行ってしまった。去り際に「また部室で」と言っていたので、先に向かっておけという意味だと理解して一人で地学準備室へ向かっている。

 毎日律儀に顔を出しているのもあって、既に部室への道も馴染んでしまった。行けば紅茶も飲めてまったり過ごせるし、結構嫌いじゃない日課の一つになっている。

 未だに部活動そのものは体験していないのが気にかかるが。

 そういえば、今日が活動日である水曜日じゃないか? 今更思い出しつつ、普段と変わらず部室の扉を開いた。


「お疲れさまでーす」


 珍しく、部屋には先客が一人だけ。一番奥手にある事務机に女性が構えている。

 ……ん? 誰だっけこの人。

 生徒ではない。制服を着ていないのも勿論だが、学生と見間違えるには無理がある大人な色香を醸し出していた。黒のパンツがスラりと伸びていて、ワイシャツは上のボタンを外していて胸元がかなり露出している。……デカい。

 赤の強い口紅が唇を彩っており、濃いめのアイシャドウで象られた鋭い瞳が俺をギロりと睨む。


「あぁ? なんだてめぇは」

「……間違えましたー」


 俺は思わず扉を閉めて一度廊下に戻った。部屋の名前を確認する。……間違いなく地学準備室だ。

 語調がめちゃめちゃキツい人だが、誰だ? 今まで部室で遭遇したことがない人物。

 といっても頭の中で候補はすぐに絞れた。今日は部活動のある日で、そこにいる生徒ではない大人の人物。

 つまり、あの人が顧問の青野あおの先生なのだろう。初対面。

 しかし教師としてはどう考えても露出しすぎたシャツと、ガラの悪い態度。本当に合っているのか?

 どうしよう。一人でもう一度扉を開ける勇気が出ないぞ。


「おい、てめぇ」

「ひぇっ!?」


 背にしていた扉が勢いよく開き、青野先生……らしき人が声をかけてきた。


「お前、桧木の男だろ?」


 そっちか。普通、天文部の仮入部生であることを確認するのが先じゃないか。

 しかもその言い方、世間的にはそうなんだけど未だに俺はイエスと答えづらいんだよなあ。慣れない。


「あの、あなたは……?」


 察しはついていたが、一応確認をとってみる。


「青野だ。青野妖子ようこ。天文部顧問」

「で、ですよねー」


 吐き捨てるように名乗る青野先生。

 おかしい、暮尾部長によると青野先生は「一目見れないなんて勿体ない」と思うほどの人物という話だった。いや実際美人ではある。顔もスタイルもシュッとしていて、ツリ目で意思の強そうな顔立ちがかなり目立つ。どちらかというと女子人気の高そうな容姿だ。

 のだが、それより何より圧が強すぎる。こちらを食い殺さんばかりにガンを飛ばしているぞ。


「桧木は一緒じゃねぇのか?」

「あ、はい。担任の熊倉くまくら先生に呼ばれて。後から来ると思います」

「来るならいいか。ま、入れよ」


 言いつつ部室内に戻っていく青野先生。かなり尖ったヒールを履いていて、歩くたびにカツカツ音が響いていた。……この人の服装は、教師として何かに引っかかってないのか?

 呆然としつつも、入れと言われた以上逃げ出すわけにもいかない。俺は恐る恐る部室へ足を踏み入れた。

 二人きり。どうすればいいか分からない。

 先生は棚に鎮座している電気ケトルを手にとって、紙コップにお湯を注いでいる。いつもなら根古屋先輩が陣取っている場所だ。


「熱っつ! なんだコラ、火傷させる気かぶっ飛ばすぞ!」


 紙コップと喧嘩している。なんだこの人。

 悪戦苦闘しながらも、俺の分の紅茶も淹れてくれたらしい。テーブルにカップが置かれたのでお礼を言う。


「ありがとうございます」

「おう、これで貸し一だ。部員足りねぇから正式入部しろよ」


 勝手に貸しをつけられて、部員数を楯に脅迫されてしまった。目が怖い。

 部員もみんな個性的だと思っていたが、顧問が一番強烈だとは想定外。

 先生は教師用の事務机にドカッと腰掛ける。椅子ではなく机そのものに。

 そうして長い脚を組むと、胸ポケットから四角い小箱のようなものを取り出した。……って。


「流石に今のご時世ですよ! 教室で喫煙はマズくないですか!?」

「馬鹿、ココアシガレットだ! 学校で吸わねぇ常識ぐらいある!」


 その言い方だと本当に喫煙者なのか。常識があるなら胸元のボタンを一番上まで閉じて、襟を正してください。目の毒です。

 紅茶を淹れたり部のために勧誘をしたりするところを見ると、別に悪い人ではなさそうなんだが。流石にまだキャラクターが掴めないし二人きりは厳しい。うぅ、誰か早くきてくれ。

 俺が泣きたい気持ちで先生の淹れてくれた紅茶に口をつけていると、助け舟とばかりに部室の扉が開いた。


「お疲れー。お、新入部員が一番乗りとは感心だね」


 言いながら入ってきたのは部長、そしてその後ろに根古屋副部長の姿もあった。助かった。

 先生も気軽な感じで挨拶する。


「おうバカップル」

「まあ先生ったら。あまり茶化さないでください」


 柔らかい感じで笑う根古屋副部長。丁寧な態度が先生との温度差になって風邪を引きそうだ。

 副部長は荷物を置きながら、俺の前に置かれた紙コップに目をやる。


「伊久里さんの分、先生が淹れてくれたんですか?」

「おう。泣きながら感謝して、正式入部も約束していたぞ」

「まあ! 流石青野先生です!」


 なんか話がゴテゴテに装飾されなかったか? 俺は苦笑しながら二人の話を聞き流す。

 とりあえず、態度はがさつだが他の部員から信頼もされているようだ。先輩方が気さくに話しかけているので、雰囲気も和やかになり俺も一安心する。

 ふうとひと息つくと、再び扉が開いた。宇久井と津々木先輩が入ってくる。


「お疲れさまです」

「お疲れー! みんなの楼心ろこちゃんだよー」


 落ち着いた宇久井と、騒がしい津々木先輩。こちらも対照的な二人だ。

 スキップするように軽い足取りで津々木先輩は俺の前まで来て、視線をきょろきょろと動かしてから問いかけてくる。


「あれ? ピノっちは?」

「担任から呼ばれてました。もう来ると思います」

「なーる。じゃあ、それまでランランを堪能しておこうーっと」

「先輩。千央の代わりにしないでください」

「代わりだなんて失礼な! アタシはちゃんとランランも愛してるよー」

「はいはい。私もです」


 先輩のスキンシップは今日も過剰だ。ギュッと宇久井を捕まえて、ぐにぐにと頬を押しつけている。

 この二人の会話はあまり見ていなかったが、意外に宇久井も満更でもなさそうだ。あしらい方を熟知しているというか、特に嫌がる様子もなくされるがままにしている。

 やっぱり、全員関係は良好なようで安心する。後は津々木先輩から俺への態度が軟化してくれると本当に助かるのだが。


「すみませーん、遅れました!」


 先輩が宇久井を揉みくちゃにしていると、最後の部員である桧木が飛び込んできた。


「全員出席、やるじゃねぇか」


 青野先生は桧木の姿を見るなり立ち上がり、テンションのスイッチを切り替えた。

 口調は変わらなかったが、先ほどまでのだらけた雰囲気はどこへやら。表情がキリッとして教師のそれになる。

 おぉ、こうして構えられると結構格好いい。

 そそくさと俺の隣の席へと座る桧木。他の部員たちも定位置に座り、ホワイトボード前に立った青野先生に視線を集中させた。

 先生は真剣な面持ちで全員の顔を一瞥し、号令をかける。


「それじゃ、今日も天文部の活動を始めていこう。よろしく頼む」

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