第10話 千央のどこが好きなの?

 落ち込む俺を差し置いて、やんやと他愛もない会話を楽しむ同級生女子たち。時折相槌を打つに留め、彼女らの話を聞きながら時間を過ごしていた。

 桧木と宇久井はかなり仲が良いようだ。保育園が一緒だったと言っていたがそれだけとは思えない親密さがある。……俺は保育園からの顔馴染みなんていないぞ。

 しばらくすると、桧木が部室の壁掛け時計へ視線を移した。


「もうこんな時間かあ。ひと足先に帰りますねー」

「はーい、お疲れさま」


 根古屋先輩がふんわりとした口調で送り出す。周りも「お疲れ」と気楽な挨拶を交わし、俺もそれに合わせる。

 鞄を持ってパタパタと入り口に向かっていく背中を見て、俺はなんとなく言わなければいけない気がして声をかけた。


「送ろうか?」


 彼氏役として、昇降口までは付き添うべきかと思ったのだ。校外はともかく、そこまで見送る姿は周りに見せておくのが俺の役割だと判断する。

 が、彼女はにこやかな笑顔で待ったをかけた。


「大丈夫! 恵人くんはみんなと仲良くなるのが先でしょ!」

「そ、そうか?」


 確かに部の人達とはもう少し交流を深めておきたいところだが、所詮は桧木の連れとして此処に来ている身。いうなれば部員たちはまだ友達の友達みたいなもので、この距離感の部室に置いていかれるのは少々居心地が悪い。桧木が友達かと言われるとそれも違う気がしたが、それはそれとしてだ。

 しかし、彼女に釘を刺された以上もう少し馴染む努力をしておくのが正解なのだろう。


「じゃあ、また明日」

「うん! またねー」


 そのまま扉を開いて、桧木の姿が消えていく。

 もうすっかり名前も忘れてしまったが、桧木に告白したなんとかという男子生徒が頭をよぎる。偽彼氏役としての目的を思えば、やっぱりボディーガードとしてついていくべきだったかもしれない。

 まあいいか。彼女自身が大丈夫と言っているのだから深く考えないでおこう。

 さて。となれば残りの面々と何を話すべきか。

 身構えていると、逆に部長の方から声をかけてくれた。


「しかし、桧木さんに彼氏とは……。本人の前では言いづらかったけれど、凄く意外だよ」

「そ、そうですか?」


 ギクり、と俺の脳内が音を立てる。流石に偽彼氏だと怪しまれているわけではない……はずだが。

 俺自身分かっている。桧木はクラスの中心的人物で、見た目も優れた才女だ。どう考えてもクラスの末席をけがす目立たない俺に吊り合う存在ではない。

 傍から見てもそれは明らかなはずで、他人が訝しむのも当然と言えるだろう。

 と思ったが、部長は俺の考えを察知して訂正を入れてくれた。


「ああ、いや。別に伊久里くんが似合わないという話じゃないんだよ」

「何も言ってないのに弁明しないでください。本音が漏れてます」

「違うんだって」


 懸命な言い訳かと思ったが、彼は別のことを考えていたらしい。


「桧木さん、星が好きだっていうのは本当だろうけれど……あんまり他人に心を開いてくれている感じがしなくてね」

「部長がいやらしい目で見てるからじゃなくてですか?」

「……伊久里くん、ちょいちょい失礼だよね」


 だって、昨日もハーレムがどうとか言ってたし。

 しかし心を開いてくれていないとは意外な言葉だった。桧木の社交性は確かなものだし、昨日も今日も部長とは普通に会話していたように見えたけれど。

 本人がそう感じているならば、そういうところもあるのかもしれない。


「そんな調子だから、彼氏がいるのも意外だったし、その子をうちに連れてきてくれたのもビックリしたんだ」


 クラスでの桧木はみんなから頼りにされるお姉さん的扱いに思えたが、意外にも部内では心配されていたようだ。津々木先輩の溺愛っぷりもそうした心配から来ているのかな。……違うかも。

 部長の隣で頷いていた根古屋副部長も感想を溢す。


「桧木さん、伊久里さんの前では屈託なく笑っているように見えます」

「それは……そうですか?」


 本物の彼氏相手ならばその感想は分かるが、残念ながら俺と桧木はそこまで深い間柄になっていない。昼食は共にしているが、世間話ばかりで彼女の本音については図りかねている部分がある。

 周りに向けている笑顔と、俺に向けているそれに差は無いように思えるのだが。

 彼女の表情の違い。俺は思い返そうと記憶を探ってみる。

 すると、考え込んでいる最中に宇久井が問いかけてきた。


「伊久里は千央のどこが好きなの?」

「ブッ!?」


 噴き出してしまった。あまりにも唐突だし脈略がない展開だ。

 その質問はクラスでも最初に問われたが、何とかはぐらかしてきた。嘘を考えるのが面倒だったのもあるし、そんなこと本物の彼女がいたとしても周りにペラペラ喋るわけがない。恥ずかしい。

 が、マジマジと見つめる宇久井の顔はどうにも俺を逃してくれそうにない。

 どう返すべきか分からず、無言のまま彼女の視線に真正面から向き合う。

 しかしこの子、地味な雰囲気に反して長いまつ毛と二重瞼が結構目立つ。目鼻立ちがかなり整っているし、部長が前に言ったようにここの女子部員が美人だというのは間違いない。

 その割に同級生なことを覚えていなかったのは、本当に申し訳ないけれど。


「いや、その……」


 何か言おうと思ったが、やはり答えに口ごもる。桧木のどこを好きになったのか、そもそも俺は桧木のことをどう思っているんだろう。自分でも分からない。

 宇久井は冷淡な表情の中に、どこか意地悪さを混ぜているように見えた。

 こいつ、たぶん答えなんてどうでもよくて、俺が困ってるのを楽しんでいるな。やめろ。俺を視線で詰問するな。


「まあまあ。大っぴらにしたくない秘密の恋愛なら、尊重しようじゃないか」


 部長がやんわりと止めに入ってくれた。ありがとうございます。

 でもたぶん俺が普通です。部長と副部長が大っぴらにし過ぎているんだと思います。


「ちなみに僕の思うハニーの好きなところは、」

「聞いてないです。全然。まったく」


 惚気話が始まりそうだったので慌てて止める。

 部長は口を開いたまましばらく停止し、拒否されたことをじっくり呑み込んでから口を閉じた。


「部長たちも言ってたけど、千央が明るくなったのは本当」


 宇久井がしみじみと言う。

 やはり他との態度の違いについては思い当たらなかったが、そう言われて嫌な気はしない。桧木が俺に心を開いてくれているなら、偽彼氏としてもう少し自然に接することができるかもしれない。

 幼馴染で仲良さげな彼女がそう言ってくれるなら信用もできるし。

 そういえば、親しいのならば桧木の門限や家のこととか、その辺も宇久井は知っているのだろうか。


「宇久井さんって、桧木の家のこととかも知ってる?」

「ん。まあ」


 頷いてくれたが、それにしてはなんだか煮え切らない態度で応える宇久井。


「でも、たぶん私が喋ることじゃないと思う」

「それって、どういう意味……?」

「あの子が隠してるなら私も言わない。家庭事情なんて、それこそ大っぴらにしたくないなら尊重しないと。本人に聞くしかないってこと」


 秘密を他人から聞き出すのが野暮というのは分かるが。

 昼の会話から、実は結構お嬢様なのかもしれないと思っていた。門限が厳しいとかそういう背景を聞いても、彼女には何か事情があると推測が立つ。

 偽彼氏役を頼まれた時のこともそうだ。俺は偽者を考えるのではなく、誰か他の人を本物の彼氏にした方がいいと助言した。それに対し桧木が強く拒否したのを覚えている。家が厳しい故に恋愛も自由にできないとか、そういう過保護な家なのかもしれない。

 うーん、気になる。本人がもう少し詳しく話してくれるといいんだが。


「直接聞くのもなあ」

「彼氏として、もっと信頼されることね」


 宇久井はそれだけ言い残すと、再び本の世界へと視線を戻してしまった。

 彼氏として信頼される、か。偽者なんだけどなあ。

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