第2章 天文部員たちの輝き

第8話 もしかしてお嬢様なの?

恵人けいとくん。誘っておいてなんだけど、本当によかったの?」


 天文部への仮入部を決めた翌日。相も変わらず二人で中庭のベンチに腰掛けて弁当を広げていると、桧木ひのきが少しだけ心配そうな顔で訊いてきた。

 言葉の意図が分からず、俺は少し間の抜けた声で返事をしてしまう。


「へ? 何が?」

「天文部! 入ってくれたのは嬉しいけど、彼氏役も頼んだ上に部活まで突き合わせてるのって、よく考えたらあたしすっごくワガママだなって」


 自覚あったのか、とは言わない。彼女と知り合ってからお願いされてばかりなのは事実。

 実際のところ、偽彼氏なんていう突拍子もない提案に比べれば部活参加は苦でもなかった。何かの部活に入りたいと思って探していたのは確かだし、天文部員は灰汁あくが強いものの良い人たちなのがしっかり伝わっている。

 なので桧木が気にする必要はないのだが、少しだけ意地悪をしてみたくて思ってもないことを口にしてみた。


「うーん。正直迷惑かも」

「うぇっ!?」


 なんだかんだで許してもらえると思っていたであろう桧木は、俺の言葉にガックリ肩を落とす。手にしていた箸を置き、視線を落として動かなくなってしまった。


「そ、そうだよね……」


 顔色を伺うと、彼女は若干目に涙を溜めていた。打たれ弱すぎる。

 ショックを受けたり驚いたりする桧木のリアクションは中々に愉快なのだが、泣かれるのは想定外だ。慌てて弁明する。


「冗談だって! 天文部は楽しそうだし、何も問題ないから!」

「うぅ……ホント……?」


 彼女とこうして昼食を共にするようになってから一週間。

 人となりも見えてきたが、桧木千央ちおという人物は情緒に富んでいて表情がコロコロ変わる。そこが面白いところでもあるのだが、他人の言葉に対する感受性が高いということは騙されやすかったり呑まれやすかったりもする。

 好きでもない男子に告白されてきっぱり断り切れなかったのも、こうして何気ない嘘を真正面から受け入れてショックを受けるのも。

 ちょっと、危うい人物な気がした。


「ほら! なんかおかず分けてやるから、元気出せって」


 俺は自分の弁当を桧木に向けて差し出してみた。

 一緒に昼食を摂っていて分かったもう一つの要素。その細い体の何処に収納されているのか分からないが、桧木はよく食べる。しかも早食い。

 今日もいつもと同じ三段のお重を広げているが、毎日その量を摂取しているのは中々の大食いファイターだなと思っていた。

 その上で、こうしてさらにおかずを提供しても喜ぶ。今も涙目だった瞳が少しだけ元気になったのが見て取れた。


「やった! 恵人くんが怒ってないなら、良かったぁ……」


 言いながら、味噌で和えた肉野菜炒めへと箸を伸ばしてくる。そのまま口に運ぶと、頬に手を当てて満面の笑みで咀嚼している。

 あっという間に立ち直ったようでよかったが、テンションの上下が激しい子だ。愛嬌は確かなものなんだが、意外と取り扱い注意な人物かもしれない。


「おいしー! これってお母様が作ってるの? お料理上手だねー!」


 もぐもぐと野菜炒めを噛みしめ、追加で自分の弁当箱から白飯をかきこむ桧木。本当に美味そうに食べてくれる。そういってもらえると助かるんだけどさ。


「それは俺が作った」

「恵人くんが!? すっごい、シェフじゃん!」


 いやシェフじゃないが。

 心の底から褒めてくれているのだろう、桧木は真っ直ぐに称賛の眼差しを俺に向けている。これは結構気分が良い。


「これでも料理は長く作ってきたからな。家庭料理レベルとはいえ、ちょっと自慢だ」


 あまり趣味もない俺が誇れる特技と言えるかもしれない。

 そうは言っても、別に凝ったフレンチやイタリアンが作れるわけではない。シェフは買い被りすぎだし、そこまで自分を高く見積もっていない。お菓子作りもしないので、その辺は料理研究会の津々木先輩には及ばないだろう。あのマドレーヌ美味しかったなあ。

 すると、俺の言葉に桧木は疑問を呈してきた。


「普段から恵人くんが料理してるの?」

「ああ。うち、母親がいないんだよ。だから俺と親父の弁当とか、晩飯も俺がやってる。その野菜炒めも昨日のおかずだ」


 そういえば家庭事情なんて話したことなかった。何気なく答えたが、桧木はその言葉に少し戸惑う。

 しまった。俺の中では当たり前のことすぎてすっかり忘れていたが、片親っていうのは色々と相手に気遣わせることがある。特に桧木なんていう言葉を真正面から受け取る相手には、もう少し言い方を考えればよかった。


「ご、ごめんね! ご家族の話なんて気軽に聞いちゃって!」

「俺こそスマン、マジで気にしてないから普通に話しちゃったな」


 そりゃ、小学生ぐらいの頃は色々と思うこともあった。

 参観日に自分だけ父親が来ていること、あるいは仕事が忙しくて来れないこと。運動会に先生と一緒に食事をしたことだって何度もある。そこに他人との違いや寂しさを感じなかったと言えば嘘だ。

 けれど今は本当に気にしなくなった。俺が生まれてすぐに亡くなった母親に代わって、男手一つで此処まで育ててくれた親父には心の底から感謝しているし、毎日忙しそうな親父のために料理するのは結構好きだ。

 まあ、他人である桧木にそこまで想いを話す必要はないんだが。

 そう思いながらも、ふと思い出話が口をつく。


「親父は本当に毎日大変そうだけどさ、何の取り柄もない俺を自慢の息子だって褒めてくれる。料理作るぐらいでしか恩を返せないけど、おかげで飯だけは上手くなったんだよ」


 これこそ、同情を買うような言い方になってしまった気がする。

 なんでこんな話を桧木にしたんだろう。たった一週間だけど、少しだけ彼女に心を許している自分がいて驚いた。

 そして桧木もまた、優しい顔で話を聞いてくれる。聞き上手が故につい話してしまったのかもしれない。


「恵人くん、お父様のこと好きなんだね」

「ああ。恥ずかしがるべきかもしれないけど、親父のことは尊敬してる」

「……羨ましいな」


 素直に言葉にすると、桧木からは意外な感想が漏れだした。羨ましい?

 なんだか湿っぽい空気になってしまったが、親に関しては本当に気にすることじゃない。彼女も何か思うところがあるようだが、普通にしてほしいのが本音だ。

 流れを断ち切るように、俺は話の方向を切り替える。


「桧木のお弁当は? いつも凄い豪華だけど」

「え? うちはお手伝いさんが作ってくれてるよ」


 ……ん?

 おてつだいさん?


「お母様もお父様もお忙しい方だからねー。あたしも自分で作ってみようかな?」


 何気ないテンションで話しているが、出てくる単語が引っ掛かって全然中身が入ってこない。

 なんて言った? お手伝いさんが作ってくれる?

 あと、他人の親に対してだけじゃなく自分の家族も様付けで呼んでるのか?


「……桧木って、もしかしてお嬢様なの?」


 この星明せいめい高等学校は何処をとっても普通の公立高校だ。お金持ちがわざわざ受験してくるようなお嬢様学校ではない。

 しかし俺が母親の件を普通だと思っているように、桧木もまた自分のお手伝いさんがいることを一切疑っていない声色だった。ごく当たり前のこととして話している。

 そう言われると彼女の佇まいとかに気品も感じられ……はしないか、別に。

 桧木も、慌てたように否定してきた。


「ぜ、全然そういうのじゃないよ! あたし、普通の家だもん!」


 言いながら首をぶんぶん横にふっている。トレードマークのポニーテールが、それこそ尻尾のように跳ね回った。

 焦っているのか鼻先をひくつかせ、目を白黒させている。首と一緒に両手もバタバタと振っており忙しない動きになっていた。

 そんな必死に否定することでもない気と思うんだが、何故か動揺している様子だ。


「家の門限があって部活も夜まで参加できないとか言ってなかったっけ。やっぱり厳しい家庭なんじゃ……」

「うわっ! そこでその話するの!?」


 流れで思い出したので、昨日部室で話題になったことを持ち出してみる。

 部活の終わりまで居られないほど門限が厳しいとなれば、お嬢様とは言わなくともかなり制約のある家庭なのではないかと勘繰ってしまう。

 桧木の反応を見るに、当たらずも遠からずといった風にも見えるし。


「たしかに厳しい方だとは思うよ、うち。門限までに帰ろうと思うと部活は一時間しか参加できないんだ」


 一時間だけ参加して学校を出ると、大体一七時ぐらいか。桧木の家が何処にあるかは分からないが、自転車にしろ交通機関を利用するにしろ、大体一八時が門限と見るべきだろう。

 高校生にしては結構厳しめだと思う。女の子だし、過保護な親ならそんなものかもしれないが。


「あ、でも天体観測の日は一九時いっぱいまで参加していいって許可貰ってるよ! 帰りに車で迎えが来ることになってるんだ」

「く、車でお迎え……」


 やはり過保護な気はありそう。桧木お嬢様説に拍車がかかってしまう。

 詳しくは分からないが、互いの家庭事情なんて知らなかったので今日は少し理解が深まった気がする。

 それにしても、そんなに厳しいご家庭なのにわざわざ夜間活動がある天文部に入部したのか。星が好きなのは充分伝わっていたが、それでも不思議な子だと改めて感じる。

 才色兼備の完璧少女だと思われた桧木の謎は、むしろ増えたような気がした。

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