第7話 まずは仮入部でいいですか?

 そうこうしている内に復活した部長に促され、俺は部室の中に足を踏み入れる。

 二つの長机が横並びになった簡易的なテーブル。その両面に三脚ずつの椅子が設置されており、片側に根古屋ねこや副部長と宇久井うくいが腰掛けている。暮尾くれお部長がもう一つの席の前に立った。

 対面に津々木つづき先輩、その隣に桧木がポンと着席した。俺は彼女の隣にあった椅子へと向かう。

 テーブルに並んだ紅茶とマドレーヌの甘い香りが心地よい。根古屋副部長が紙コップを一つ取り出し、ティーポットから俺用の紅茶を注いで渡してくれた。テーブル中央にスティックシュガーの入った籠が置いてあったので、そこから一本拝借する。

 ……なんで地学準備室にティーポットとスティックシュガーが備え付けられているんだろう。マドレーヌも。

 暮尾部長は、俺が座ってひと息つくのを確認してから真面目な顔で口を開いた。


「さて、新部員も入ったので改めて説明するね」

「まだ入ってないです。見学」


 どいつもこいつも、何故体験段階で入部確定のように扱ってくるのだ。

 部長は部屋の隅に置かれたホワイトボードを動かして、そこにつらつらと文字を書き始める。どうやらこの部活について教えてくれるらしい。

 しばらく先輩の筆記を待ち、内容を確認。

 天文部について。

 毎週水曜日の放課後に二時間ほど、地学準備室と屋上にて活動中。

 部室では星に関する座学や、光学機材の取り扱い練習を行う。顧問の青野先生が指導。

 屋上では天体観測を実施。天候や予定を見つつの実施で月に一回程度。この日は夜まで学校滞在が許可される。

 大きなイベントとしては夏休みと冬休みに二泊三日の合宿有り。

 文化祭では自作のプラネタリウム展示を行う予定。毎年恒例。


「と、こんなところかな。ちなみに、水曜日以外も部室の開放は許可されているので、暇な時は大体此処にいるよ」

「あたしも放課後はたまに遊びに来るんだよ。まあ、家の関係ですぐ帰らなきゃなんだけど」


 部長の話に合わせて、桧木がピースしてアピールする。

 なるほど、水曜日以外は私的交流の場となっているのか。見ると宇久井はのんびり読書に勤しんでいるし、新入部員も過ごしやすくて関係は良好なのだろう。


「活動内容は本格的なんですね」


 俺は素直な感想を漏らす。

 正直、部室に紅茶とマドレーヌが並んでいた時点で余程暇な部活なのかと勘繰っていた。しかし普段は座学もやっているようだし、屋上や合宿での天体観測も定期的に実施されているようで感心する。屋上に出られる機会は学校生活でほぼ無いので面白そうだと思った。

 部室をよく見ると、並んだ本棚には星に関わる本がいくつも見受けられる。図鑑などもそうだが、星を題材にした小説まで幅広く取り揃えられていた。こりゃ星好きにはたまらないだろうと桧木へ視線を向けると、彼女はニコニコしながらマドレーヌを口に運んでいた。

 他にも地球儀や、似たような形の星の位置を記した球……天球儀だっけ。そういったものも並んでいる。立派な望遠鏡も鎮座していた。

 部長は紙コップの紅茶を啜り、満足げな顔でこちらを見る。


「どうかな、伊久里くん。結構良い部活だろう?」

「ええ。あんまり星とか詳しくないんですけど、面白そうだと思いました」

「そうかいそうかい。美味しいお菓子もあるよ」


 言いながら、今度はマドレーヌを口に運ぶ部長。なんでこれは此処にあるんだろう。

 俺が疑問の顔をしているのに気づき、津々木先輩が即座に答えを教えてくれた。


「ちなみにマドレーヌは部活に関係ないからね。これはアタシが兼部している料理研究会で昨日焼いたお菓子のお裾分け」

「おお。料理研究会」


 料理研究会は俺が見学した部活の一つだった。俺は弁当も手作りしているので料理の腕が上がるかもしれないと思い見に行ったのだが、部員が全員女子で明らかに肩身が狭そうだったので諦めたのだ。

 ということは、あの中に津々木先輩もいたのだろうか。俺も向こうも顔を覚えていなかったのでどっちでもいいけれど。

 とにかく、津々木先輩が兼部しているおかげでお菓子のオマケまで付いてくるとは。これは素晴らしい部活に違いない。


「そういえば、今日がその水曜日ですけど……顧問の先生は?」


 ホワイトボードに書かれている青野という先生はこの場にいないようだ。座学があると言うのならもう来ていてもおかしくなさそうだが。

 言われて、部長がふむと頷く。


「タイミングが悪かったね。今日はちょうど職員会議があるそうで、部は開店休業状態なんだよ」

「ようちゃん先生、今日来ないんですか? せっかく恵人くんに来てもらったのに」


 桧木が驚きの声をあげる。どうやら彼女も知らなかったようだ。水曜日に訪れたのは部活があるからだったのに、今日はあまり見学できないということになる。

 確かに残念だが、先輩は続けざまにロクでもないことを言い出す。


「青野先生も飛び切り美人なので、一目見れないとは本当にタイミングが悪い! 可哀想に!」

「あ、さいですか」


 力強く、タイミングの悪さを主張する暮尾部長。

 彼女の根古屋副部長に再び叩きつけられて地面に平伏すまでは、ほんの一瞬の出来事だった。


「ダーリン? 青野先生のこと好きなんですか?」

「ち、違うよハニー! 僕はいつでもハニー一筋さ」


 床に這いつくばった状態で弁明する部長。あんたもハニーって呼んでるのかよ、なんだこのバカップルは。

 桧木がいつから部活に入ったのかは聞いていないが、長くてもまだひと月程度のはず。しかしこの濃いカップルは彼女に影響を与えたに違いない。彼氏をダーリンと呼ぶ文化なんて此処以外で学ぶこと無いだろうし。

 逆に言えば週一の部活動で顔を合わせるだけでなく、影響を受けるほど彼らと一緒にいたということ。それだけ居心地の良い部活だということも分かった。

 変な人たちだが、悪い人ではない。週に一度の活動程度なら桧木の付き添いで席を置いておくのも悪くないなと考える。


「さて……。伊久里くん、君はこの部が置かれている状況を聞いているかな?」


 部長がよろよろと立ち上がり、ネクタイを締め直しながら説明を再開。


「状況? 先輩と女子生徒だけのハーレムだって話ですか?」

「そう! じゃなかった、違う!」


 どっちだよ。


「我が部は現在部員が五名しかいない。しかも津々木さんは料理研究会と掛け持ちで、必ず参加とはいかないのが実情なんだ」

「ごめんなさーい。水曜日がブッキングした時は、料理研を優先してるんだ」


 兼部の津々木先輩以外の四人が普段の活動をしているとなると、たしかに数としてはだいぶ心許ない。桧木からは部員数が多い方が予算をゲットしやすいと聞いていたが、そういう意味では天文部はかなり厳しいのだろう。

 部長は真面目な眼鏡の奥で鋭い眼光をして、俺をしっかりと見据える。


「伊久里くんは知っているかもしれないけれど、桧木さんもご家庭が厳しくて夜遅い活動はあまり出来ない」

「そうなんですよねー……」


 全然聞いてないんだが。

 しょんぼりした様子の桧木を目の端に確認しつつも、口を挟むのは後にした。


「ということで、我が部は部員を必要としてるんだ。僕のハーレムを守りたいのも本音だけど、君が入ってくれるのも嬉しい」

「何か言ったかしら、ダーリン?」

「な、なんでもないです……」


 この人もめげないなあ。

 しかし、なるほど事情は理解した。桧木が遅い時間まで参加できないというのは初耳だったが、そうなれば通常の部員は三人だけ。どう考えても人手が足りていない。そりゃ予算も下りないし、天文部を死守するために桧木も必死に勧誘しているわけだ。

 他の部活にピンと来ていなかったのもあって、実際俺のスケジュールは空いている。週一回の活動なら水曜日以外でアルバイトをする余裕もありそうだし、このぐらいなら人助けだと思って引き受けてもいい気がする。

 とはいえ、まだ部の活動を何も見れていない。今入部を確定させるのは時期尚早というものだろう。


「まずは仮入部でいいですか? 流石に、天文部が何をしているのか知らないと判断できないんで」


 言うと、部長はにっこりと微笑んだ。


「ああ! 検討してくれるなら大歓迎だよ」


 そして、隣にいた桧木もパアッと顔を明るくする。

 席から立ち上がり、またしても俺の手をギュッと掴んだ。この子はスキンシップが多すぎる。


「ありがとう恵人くん! 君は天文部の救世主だよ!」

「大袈裟だなあ……」


 他の部員たちも朗らかな雰囲気で俺を歓迎してくれた。津々木先輩だけははしゃいでいる桧木の様子に少し嫉妬していたようだったが。入部自体は受け入れてくれたようなのでスルーしておこう。

 かくして、まだ何をするのかもあまり分かっていない天文部の仮メンバーとして、俺の新しい学園生活がスタートしたのだった。

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