第5話 放課後、時間ある?
呼び方は決まったもののなんとなく気恥ずかしくて顔を見れない。それは向こうも同じようで、互いに黙々と食事を摂ることしかできなかった。
無言が続き、あっという間に完食。俺の弁当の倍以上ありそうな桧木の食事も、同じタイミングで終わっていた。食うの早いな。
昼食を終えたことで桧木の視線が弁当箱から俺へと動く。ガバッと顔を上げたのでポニーテールがふわりと大きく揺れた。
「そうだ恵人くん」
「な、慣れねえ……」
俺のことを名前で呼ぶ人なんて親父ぐらいしか思い浮かばない。小中学校のクラスメイトを思い返しても基本みんな名字呼びだったので、一瞬自分のことだと認識できない。
別に嫌な気はしないので訂正したりはしないが、しばらくは呼ばれる度に身構えることになりそうだ。
「それで、どうしたの?」
「恵人くんって部活とかアルバイトってやってる?」
「特には」
バイトは始めてもいいかなと考えていたが、今のところ何も決めていない。
しかし唐突な質問だ。偽の彼氏役は学校にいる間限定という話だったのでアルバイトは特に関係なさそうだが、ただの世間話だろうか。
そんなことを考えていると、桧木がニヤりと頬にえくぼを作る。
「じゃあさ。今度の水曜日、時間ある?」
「水曜日? 特に予定はないけど……彼氏役って学校外は関係ないんじゃ」
今は金曜日。何か予定を作るにしても少しだけ先の話になる。一体なんの相談だろう。
俺の疑問に頷いた桧木は、親指を立ててグッドポーズを示した。
「そう。だから学校内の話。部活に興味ないかなって」
「部活?」
言われて思い返してみる。桧木って何か部活に入ってるんだろうか。
少ない知識で考えてみたが彼女の動向に思い当たる節はない。詳しく知っていても気味悪がられそうなので別にいいか。
興味があるか聞いてきたということは、その部活に勧誘するつもりだろう。ということは男女混合で参加できるようなものか。スポーツ万能の桧木なら運動部かと思ったが、性別を問わず一緒にやる運動部は……どれだ?
もしくは意外と文化部かもしれない。桧木が芸術に秀でているかは知らないし、どちらにしても見当がつかなかった。
こう考えてみると、俺は桧木のことを何も知らない。目立つクラスメイトという以上に注目したことがなかったのは、若干失礼だったかもしれない。
俺があれこれと彼女の意図を考えていると、桧木はその瞳をキラキラと輝かせていた。熱い眼差しで見つめてくる。
「あたしが所属してるのは、天文部なの!」
言いながら体をこちらへ乗り出してくる。彼女の髪が大きく揺れ、整髪剤の甘い香りがふわりと鼻孔をくすぐった。だから近いんだって。
てんもんぶ。何のことかすぐには変換できなかったが、天文と言えば星のこと。
入学してすぐ、一年全員を体育館に集めた部活動紹介の時間があった。その後の期間で気になった部活を見学したりもしたが、天文部という部活については一切記憶にない。
運動部が競技にちなんだアピールをして注目を集めるのとは違い、文化部は紹介時間も口頭説明がメインになりがちなのでどうにも印象が薄かった。
つまるところ、俺の感想は一つ。
「それって何する部活?」
素直に分からないことを伝えると、桧木は待ってましたとばかりに立ち上がった。
彼女の瞳がそれこそ星のように煌めている。おお、流石天文部だ。
「恵人くん! そもそも、星って素敵だと思わない?」
「は、はあ」
いきなり熱っぽく語り始める桧木。
そう言われても、残念ながら俺は星に特別な感情を持っていない。
確かに夜空を見上げて瞬いていれば綺麗だなーと思うが、それが何座でどういう名前の星かは知らない。たぶん俺の知識では北極星の一つも言い当てることができないだろう。一番明るいやつだっけ?
だが、こちらの生返事を無視して桧木は一人でヒートアップしていく。
「まず宇宙って神秘的だと思うの! ほとんどが人類未踏の地なんだよ? そこに広がる数多の星から光が届く頃、その星は何光年も先でもう燃え尽きているかもしれない! 儚くない? 尊くない?」
「あっはい」
「そんな星々を結んで、星座って呼んでいるのも凄くロマンチックでしょ!? 空に描かれた天然の絵画! 星の一つ一つに意味や名前を見出して、それを繋いだ絵にも名前がある! どれだけ眺めても飽きないの!」
なんだか知らないが、桧木は星に対して一家言ある人のようだ。
別にそれはいい。星が好きというのは素晴らしい趣味だと思うし、天文部には詳しくないが彼女に合った良い部活なのだろう。部の内容は全然分からなかったけれど。
それはそれとして。
俺は一人で盛り上がる桧木を静止するよう大きめに声をあげる。
「それで! なんで俺に部活を? それも彼氏役?」
喋っている最中に待ったをかけられ、桧木は少しがっかりしたような顔をした。
しかし星の魅力を力説するのは別の機会で頼む。とりあえずこの話題がどこに落ち着くのか、用件を聞きたい。
彼女は姿勢を正して、俺に向き直った。
「放課後は対象外とは言ったけど、恵人くんが部活に入ってくれれば一緒にいる時間が増えてアピールになるのは本当。でもね」
「でも?」
少しだけ申し訳なさそうな顔をする桧木。なんだなんだ。
「うちの高校って結構部活が多いの。だから予算の奪い合いが起きていて、部員数が多いところの方が経費を出してもらいやすいんだ」
他の高校がどんなものかは分からないが、確かに部活紹介ではマニアックな活動も見受けられた気がする。なるほど、うちの高校は部活動が活発だったのか。
そして、当然ながら部の道具やあれこれは部費から出ているわけだ。運動部などお金の用途が分かりやすい部活は申請しやすいが、天文部となると何にいくら使うのか分からない。見通しの立たない予算を獲得するのは至難の業なのかも。実際何に使うんだろう、望遠鏡って毎年は買わないよな?
つまりこれは、天文部の予算を集めるため数合わせをしたいというお願いなわけだ。
「なんだか分からないけど、流石にそれは彼氏役じゃないよね?」
「うん、これは純粋なお願い! 恵人くんも星の素晴らしさを一緒に語り明かそうよ」
「いや語らんけど」
さっきの喋り口調を見るに、桧木はマジで星について一晩語り明かすことができるのだろう。
それにしても天文部か。俺はまったく知識がないので何をするのか分からないし、そんなやつが入部していいものだろうか。
しかも桧木が所属する部活動だ。参加するとなればそこでも彼氏役を演じる必要性が出てくる。事実上の契約時間延長になるので、今日味わった心労が長引くに等しい。俺は既に結構くたくただった。
「ね、一回ぐらい見学に来てみない? 今はあたし含めて部員は五人だけだし、ゆるーくまったり過ごせるよ」
「随分と少数精鋭なんだな……」
そりゃ予算繰りにも苦労するわけだ。活発でない部活動に部費を出すより、野球部とかにお金を出して甲子園でも目指してもらいたいのが学校側の本音だろう。
熱心な桧木の勧誘はそれほど俺の心に刺さらなかったが、部活動自体はやってもいい。肌に合うところがあればと探していたのも事実だ。天文部はノーマークだったし何をしているのか興味はある。
せっかく声をかけて貰えたのだから、一度様子を見に行くぐらいならばバチは当たらないだろう。
「まあいいか。見学ぐらいなら」
「本当に!?」
軽い気持ちで同行を許可すると、桧木は喜び勇んで俺の両手をギュッと握った。
朝から今に至るまでの短い期間で散々感じていたが、この少女は行動が近すぎる。平気で距離を詰めてスキンシップをとってくるのでこちらの身がもたない。
山田の件がどうかは知らないけれど、相手を勘違いさせる天然キャラなのではないか。振り撒いた愛想が返ってきているのだとしたら告白騒動は本人にも少し責任があると思った。
だからこそ偽の彼氏役を作って周りへ牽制したい気持ちも分からなくはないが……。
「ありがとう恵人くん! 天文部へようこそ!」
「まだ見学だからね? 入るとは言ってないから!」
過剰に感謝し、掴んだ手をブンブンと振って喜びの舞いを踊る桧木を見ながら、俺は選択肢を間違えたかもしれないとさっそく後悔した。
天文部。頼むから穏やかな部活でありますように。
……あと、結局何する部活なんだろう。
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