第3話 百戦錬磨の女ですけど?

 ……なんだって?

 一瞬聞き間違いかと思った。言葉の意味を捉えられず、思考がフリーズして何も言い出せなくなってしまう。

 恋人? それって、俺が桧木と付き合うってこと?


「いやいやいやいや! なんでそうなる!?」


 あり得ない。山田からの告白がしつこかったとはいえ、そのスケープゴートとして好きでもない他の男と付き合うなんて本末転倒が過ぎる。意味不明だ。

 彼女の真意を理解しかねて混乱していると、桧木もようやく言葉足らずを理解したようだ。一気に顔を赤らめ、動揺しながら話を続ける。


「フリね!? しばらく偽の恋人役を続けてほしいってこと!」

「それでもおかしい! 噂をこのままにするってこと?」


 周囲の誤解を解かず、むしろ俺と桧木が付き合っているという噂を強固なものにする。彼女はそう言っているんだよな?

 桧木の恋人役。目立たず生きたい俺に一番似つかわしくない立場だし、それをすることでどんなメリットがあるのか分からない。

 冗談か何かだと思ったが、目の前の少女は真剣な眼差しを崩そうとしない。視線が眩しすぎて直視できず、俺は顔を逸らした。


「よく考えて! あたし達が付き合ってないってバレたら、山田くんはどうすると思う?」

「……そりゃ、またチャンスがきたと思うかもな」

「それだけじゃない。嘘つかれたことに怒るかもしれないでしょ?」


 そりゃまあ、確かに。言いたいことは分かる。

 相手はこの一ヶ月で三度も告白してくるほど桧木にゾッコンだ。まだ彼女のことを諦めていないのだとしたら、次にどんな行動をするのか予想がつかない。

 流石に同級生がストーカーになるところは想像したくないが、色々と嫌な展開も考えられた。

 しかし、それでも。


「それにしたって、なんで俺? もっと適役がいるんじゃ」


 何度も言うが桧木千央は美人である。本人に向かっておくびに出すのも躊躇わないほどのビジュアル。その上根が明るく、誰にでも気さくな性格からクラスの中心的存在になっている。

 ともすれば、山田以外にも彼女へ好意を寄せる人はいるだろう。俺のような地味に生きたいクラスメイトを偽の彼氏にせずとも、事情を話せば彼氏役を引き受けるやつぐらいはいるんじゃなかろうか。

 さっきは誰かにお願いできるようなことじゃないと言っていたが、まったく接点の無い俺に言うぐらいなら仲の良い友達を当たった方が絶対良い。

 しかし桧木は、指摘に対してしょんぼりした態度で呟く。


「伊久里くん、あたしのこと軽い女だと思ってるよね」

「えっ!?」


 咄嗟に、そんなことないと言い出せなかったのが悔やまれる。俺は桧木の持つ社交性の高さを認めているが、裏を返せば深い関係の異性だっているはずだという偏見でもあった。

 俺の態度をどう見たのか、桧木は鼻をひくひくさせながらドヤ顔で発言する。


「たしかに、あたしは恋愛に関しては達人! 百戦錬磨の女ですけど!?」


 急にすごく偉そうな宣言してきた。

 そんなこと言ってないし、別にどちらでもいい。告白一つ断るのに苦戦している様を見た後ので、微塵もそうとは思えないんだけれど。

 疑いの目でじとーっと彼女を見ていると、自信満々な態度は何処へやら今度は一気に肩を落としてしまった。感情のジェットコースターすぎない?


「……こんなこと頼める人、他にいないよ」


 その言い方に少しドキッとする。あなたにしか頼めないと言われたようなもので、嫌な気はしない。妙な空気に緊張して口の中が渇くのを感じる。

 って、駄目だ駄目だ。何を考えているんだ俺は。この件に関わっている相手だから相談しやすいというだけだろう。桧木側に深い意味がないのは分かり切っている。

 関わっているというか、桧木の手によって関わらせられたというべきだが、それはそれ。


「勝手なこと言ってるのは分かってるけど、今あたしは伊久里くんと噂になってるんだよ? ここで他の人を彼氏役にしたら、それこそ遊んでる人みたいじゃない!」

「あー……なるほど?」


 あっちで告白され、こっちで付き合っていると噂になり、さらに新しい男子が彼氏として出てくれば確かにおかしなことかもしれない。一理ある。

 ……のだが、それでも俺が彼氏役は無理がある。釣り合っていない。


「けどさ。桧木さんは好きな人とかいないの? この際、偽の彼氏役を作るより実際に誰かと付き合った方が――」

「それは駄目」


 突然、彼女がぴしゃりと告げた。

 先ほどまでの弱気な雰囲気とは違う、強い意志を感じさせる一言にたじろぐ。


「実際に付き合っちゃ、駄目なの」

「な、なんで?」


 理由が分からず問い返すが、桧木は俯いたきり答えない。

 どうにも彼女の事情が見えない。山田の件以外にも何か抱えている問題があるのだろうか。押し黙った彼女を問い質しても仕方なさそうなので、ひとまず理由は聞かないでおくが……。

 しかし、偽の恋人役とは。どうしたものか。

 目立たず生きる為には、桧木千央の恋人というのはあまりにも荷が重い。それが偽物であっても。

 いや、むしろ偽物だからこそ難しい。恋人なんて生まれてこの方できたことはないが、本当に好意を抱いていれば不器用でも形にしようとしただろうし努力し甲斐もあった。

 けれどこれは実際に付き合うわけじゃない。俺は桧木のことをよく知らないし、特別な感情を持ち合わせていない。それは向こうも同じだ。

 互いに適度な距離感を保ちながら、山田を含め彼女へ好意を持つ人たちへの牽制としてそれっぽく振る舞う。そんな器用なことできる気がしないぞ。恋人の所作なんて何にも知らん。


「これは、参ったな」


 想像以上に難儀な話に巻き込まれてしまったと、俺は頭を掻いた。

 彼女の事情を聞いた上では断りづらいのも困る要因だ。他の人には頼れないという言葉が何処まで本当かは分からないが、弱気になっているクラスメイトを見捨てるのは気分が悪い。

 そうして俺が悩む姿をどう思ったのか、桧木は焦りながらいくつか条件を提示してくる。


「まず、恋人役は学校だけ! 休みの日には絶対迷惑かけない! これは約束!」


 それはそうだ。校外まで範囲を広げるなら、それはもう本当のデートだろう。

 桧木は彼氏が欲しいワケではない。恋人がいると喧伝して周囲を牽制するのが目的だという前提を忘れてはいけない。


「それで、伊久里くんは嫌かもしれないけれど、学校では一緒に過ごしてほしい。お昼休みに一緒にご飯食べたりとかでいいから」

「別に嫌ではないけど」


 俺が嫌気で断ろうとしていると思ったのかもしれないが、別にそういうことではない。

 特別な好意がないと言っても、美少女と昼食を共にするのは歓迎すべきことだと思う。男子連中とわいわいやっている方が気は紛れるし目立たないが、世間一般的には桧木との食事なんてご褒美だろう。

 それだけで恋人役を受けるかというと、少なくとも俺はそうではないが。

 桧木は続ける。


「伊久里くんに好きな人ができたり、誰かと付き合う気になったらこの話は終わり! 理由が無くても断わりたくなったなら言って? それ以上の迷惑はホンットーにかけない!」

「はあ」

「あ。ちなみに今、彼女いたりとかは……」

「いや、いないけど」

「だよね!」


 だよねってなんだ、おい。いないこと前提とは失礼な。いないけど。生まれてこの方いたことないけど。

 それについては俺の心配より桧木に本物の彼氏ができる方が先だと思うが、先ほどの謎に包まれた「それは駄目」が引っ掛かったので口にするのは止めておいた。

 さらに四つ目の条件を桧木が示す。


「あとは期限! 山田くんが諦めたって分かればそれでいいけど、そうでなくても夏休み前を最終期限にしよう。二学期までには、伊久里くんに迷惑を掛けない方法をなんとか考える」


 夏休み前、と言ってもまだ二ヶ月以上ある。随分気の長い演技になるが、それだけあれば山田は諦めるだろうか。……ちょっと分からないところだ。

 まあ夏休みはそれっぽいタイムリミットではある。休みの間に何かあったという筋書きで、自然と別れを演出できるんじゃないだろうか。

 さて、桧木の挙げる条件は以上のようだ。

 俺は改めて考える。

 学校だけが対象外なら、普段どおり登校して少し多めに桧木と会話するだけとも言える。昼食を桧木と食べるのは目立つ行為の筆頭だが、これだけなら耐えられる負担かもしれない。

 何より、俺が辞めたくなったら終わりでいいと言った。お願いを断られないよう譲歩した提案だと思うが、そうまで言うならば現実的な検討範囲だ。

 地面に視線を向けて長考する。そんな俺を桧木が心細そうに見つめているのが視界の端に映った。

 このシュンとした小動物のような女の子を放っておく選択肢は選びづらい。事情を聞いて同情的になってしまっているが、これが作戦なら相当な策士だ。

 少しの間、色恋沙汰から彼女を遠ざける傘になる。できるのだろうか。


「……分かった。少しの間、協力するよ」


 手伝うと言った手前だし、乗りかかった舟だ。覚悟を決めてそう言うと、桧木はパアッと顔を明るくして俺の両手を握る。

 伝わってくる彼女の体温と、近づかれて感じたフローラルな女の子の香りに心臓が跳ねる。近い近い。


「ありがとう伊久里くん!」

「うっ。お、おう」


 山田の件があったのに異性との距離感がおかしい。警戒心がないのかこいつは。

 あと、なんか……俺の心境的にも非常によくない。何かが、よくない。

 しばらくキラキラした目で俺を凝視していた桧木だが、落ち着いたところでゆっくり手を離す。助かった、平和は守られたぞ。

 ホッと胸を撫で下ろし、朗らかに笑みを見せる桧木。

 安心感を得ているようだが問題はここからだ。色めき立つ教室に戻って、しかも噂を肯定する。どうなるのか分からないが、おそらくその瞬間俺は時の人となるだろう。

 求めていた平穏としばらく別れる覚悟を決め、グッと気持ちを引き締める。

 一方で、桧木はにこやかに俺へ声をかけてきた。


「これからよろしくね、伊久里くん!」

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