第1章 桧木千央の嘘と謎

第2話 本当に手伝ってくれる?

 星明せいめい高等学校は、大層な名前に反してごく一般的な公立高校だ。

 中間程度の偏差値と自由な校風。特筆すべき点は少ないが、そこが俺の心に響いて進学を決めた。

 ……家から近いのが決め手だっただけとも言えるけれど。

 近所ということもあり中学時代からの知り合いもそれなりにいる。あまり友人のいない俺にとっては初対面とそう変わりないが、なんとなく地元の雰囲気は居心地が良い。進学したとはいえそれほど緊張感もなく、このひと月で新しい環境に慣れていた。

 俺はいつもと変わらぬ学び舎に向かい、いつもと変わらぬ教室の扉を開く。そこでいつもと変わらぬ面々に出会うはずが――今日は少し様子が違っていた。


「おい伊久里いくり! マジなのか!?」


 教室に入ると、比較的仲良くしているクラスメイトの宮下みやしたが飛び込んできた。気の良いお調子者で、短いツンツン頭が印象的な男子だ。中学時代からの知り合いの一人である。

 主語のない宮下の質問に戸惑いつつ俺は答えた。


「マジって、何が?」

「何が? じゃねぇ! 今朝からこの話題で持ち切りだぞ!」


 今朝からもなにも今が今朝だろう。そんなことを思いつつ周りを見ると、クラスメイトがほぼ全員俺に視線を向けている。

 なんだ? 俺に関するヤバい噂でも流れているんだろうか。俺の平穏で静かで平々凡々とした学園生活を脅かす話ならば、出来得る限り訂正しておきたいところだ。

 ピンと来ていない俺の顔を覗き込んでから、宮下はおずおずと尋ねてくる。


「伊久里、隠さず答えてくれ。お前――桧木ひのきと付き合ってるのか?」

「ぶっ!」


 唐突で脈略のない質問に思わず吹き出してしまった。


「な、なんだそりゃ!」


 そう言いつつも、聞くまでもなく昨日の出来事が思い当たる。

 あの場で桧木が話した出任せを、誰かが耳にしたのか。もしかすると失恋した山田自身が腹いせに口外しているのかもしれない。

 どちらにせよとんでもない勘違いだ。

 しかもたった半日でクラス中に噂が広まっているとは。これが桧木千央という少女の注目度だというなら凄いし、あまりに嘘が迂闊すぎる。

 どこまでこの話が伝わっているのか定かではないが、ひとまずこの場だけでも訂正させてほしい。


「おい伊久里! どうなんだ!?」

「落ち着けって宮下! 俺と桧木に今まで接点あったか? そんなワケ――」


 体を大きく揺さぶって問いかけてくる宮下を宥めつつ、真実を口にしようとした。

 その時。

 すぐ後ろで、勢いよく教室の扉が開いた。


「待って伊久里くん!」


 焦った表情の桧木がそこに立っていた。

 噂の人物二人が集まったことで教室の空気が変わったのを感じる。しかも、何の関係もないと思われた桧木の口から俺の名前が発せられたのだ。間違いなく誤解は深まったと言っていい。

 そんな衆目を構いもせず、桧木は俺の首根っこを掴んだ。服をグイッと引っ張られて息が詰まる。苦しい。


「ちょっと来て!」


 桧木は俺を連れ大股で教室を抜け出す。

 さながら愛の逃避行といったところか。教室から色めき立つ声が聞こえてきて、俺は誤解を解くタイミングを逃したことを理解した。

 彼女に引きずられながら廊下を進み、階段を駆け上がる。最上階の踊り場、屋上へ続く扉の前で俺はようやく解放された。ちなみに施錠されているので屋上に入ることはできない。

 到着するなり、桧木が両手を合わせて謝罪してくる。


「ホンットーにごめんなさい! 昨日のこと、見ていた人がいたとかで……」


 ようやく手を離してもらい、俺は咳き込みながら息を吸う。死ぬかと思った。

 桧木の話し振りからして、噂を流したのは山田では無く第三者のようだ。何故そんなことが分かるのか疑問だが、出処はこの際重要じゃない。広まった誤解をどう解くかについて話し合うべきだろう。

 それにしても、俺より後にやってきたのに噂を知っていたのか。


「耳が早いね、桧木さん」


 桧木はこくりと頷くと、自身のスマホ画面を眼前に押し当ててきた。

 メッセージアプリらしいが、近づけられすぎて全く見えない。あの、画面が眩しいです。


「これ。先に来ていた友達がメッセで教えてくれたの。それで、巻き込んじゃった伊久里くんには説明しなきゃと思って」

「説明? 俺に?」


 説明すべきは俺じゃなくてクラスメイトにではなかろうか。

 それに、何を釈明するつもりなのだろう。告白を断るのに俺を偽彼氏役として利用しただけでは?

 いまいち要領を得ない内容なので、俺は大人しく次の言葉を待つ。が、彼女は何か言葉に迷っているようだった。口を開いては閉じて発言を吟味している。


「あ、えっと……山田くんは悪くないってことを前提に聞いてほしいんだけど」

「山田って、昨日の男子だよな? あいつが噂を流したんじゃないなら、悪くないのは分かってるけど」

「いや、そうじゃなくて! うーん」


 頭を悩ませる桧木。うんうんと唸り声をあげる彼女の姿をしばらく眺める。

 しばらく待っていると、ようやく決心したようで桧木が口を開いた。


「その……山田くんからの告白はね、昨日が初めてじゃないの」

「? お、おう」


 馴れ初めらしき話が始まり、その突拍子のなさに面食らってしまう。

 たしかに、俺は山田の告白が昨日初めて起こった出来事だと勝手に想像していた。俺たちが入学してまだひと月しか経っていないし、クラスも違う相手。何度も告白するという状況自体もピンと来ないのでそう思い込んでいた。

 それが実際はもう何度目かの出来事だったらしい。

 だが、そう言われても。特に結果は変わらない気がする。


「山田くんはこの学校で初めて知り合ったんだけど。もう、昨日で三度目」

「一ヶ月で三度……! よほど桧木のことが好きなんだな、彼」


 これまた想定外というか、なんというか。

 告白という行為に経験がないので、そんなことをするには相応の度胸が必要だと思っていた。ところが山田は常習犯のヤリ手だったとは。都度失敗して今に至る彼をヤリ手とは言わないかもしれないけれど。

 いくらなんでも頻度が高すぎるし、謎が多い。


「最初はね。はぐらかした感じだったんだけど、うまく伝わらなかったらしくて。二度目に結構強く、付き合ってほしいって言われたの」


 桧木が参ったような顔で話を進める。

 これも俺の偏見だが、彼女はこうした色恋沙汰に慣れていると思っていた。小さな顔に大きい瞳でアイドル顔負けの少女にとって、ああした出来事は日常茶飯事なのだろうと。

 けれど話している様子から察するに、彼女は案外押しに弱いのかもしれない。

 強く言われたというのがどの程度なのかは分からないが、山田は俺より大柄な生徒だ。あの屈強な見た目で迫ってきたら確かに断るのに勇気がいる気もする。


「それで、思わず言っちゃったの。彼氏がいるから無理だって」

「あー……やむを得ない嘘だったってことか」

「そう言ったら流石に諦めてくれると思ったんだよね」


 普通はそうだろう。彼氏がいてもいいので付き合ってくれ、なんて言うやつは普通いない。……いないよな?

 しかし桧木の口ぶりからして、山田が引き下がらなかったことは想像がついた。


「そしたら山田くん、本当ならそいつを連れてこいって言いだして」

「うわー。見た目より女々しいやつだった」


 桧木の困った態度を見て嘘だと思ったのかもしれないが、どっちにしろ付き合うつもりがないのは分かるだろうに。食い下がって意味があるのだろうか。

 山田が必死になっているのを想像して心象が下がる。昨日の引き下がり方は潔く見えただけに、これは大きなマイナスだ。

 うぅ、と桧木は唸る。


「それで昨日の放課後! 実際は彼氏なんていないし、どうしようもなくて」

「一人で呼び出しに応じた、と」


 彼女は弱々しく首を縦に振った。

 これは想像よりも桧木が可哀想な話だ。相手の言い分も聞きたいところだが、少なくとも山田の印象は良くない。

 けれど分からない。俺は思った質問をそのまま投げかける。


「あらかじめ、男友達か誰かに彼氏役をやってもらえばよかったのに」


 実際の彼氏がいないと言っても、桧木が頼めば大抵の男子は二つ返事で協力してくれただろう。クラスでの人望もあるわけだし。なにも通りすがりの男に急遽頼むなんて危ない橋を渡らなくても。

 そんな疑問に、桧木はしゅんとして答える。


「あのね伊久里くん。偽の彼氏役をやってほしいなんてお願い、簡単には頼めないよ」

「でも、俺がそれになってるけど」

「土壇場だったんだよ!」


 頬を膨らませて怒る桧木。まったく怖くない。

 たしかに彼氏の役なんておかしな話だし、よほど信頼がなければ普通お願いできないか。

 その結果、彼女は無策で山田の下へ向かった。結局相手の強気な告白を断り切れず困っていたところにたまたま俺が通りかかったわけだ。

 関係値は無いに等しいが一応は顔見知りのクラスメイト。背に腹は代えられないし、藁にも縋る思いだったのだろう。


「本当にごめんなさい! まさか、噂が広まっちゃうとは思ってなくて」

「そう! そこなんだよな……。どうしようか?」


 流石に事情を聞いた上で桧木を責める気にはなれなかったが、これからどうやって弁明するかは決める必要がある。

 周囲に誤解されたままなのは、俺がどうと言うより桧木にとってよくないはずだ。彼女ほど目立つクラスのマドンナにこんな冴えない彼氏がいるなんて、信用に関わるだろう。

 しつこく告白されるほどの美人同級生、か。

 改めて俺と違う世界の生き物だと思い知らされる。周囲に注目され、恋愛事情をみんなが知りたがっている。


「噂については俺も当事者になっちゃったし、できることなら手伝うよ」


 人気者も大変だな、と少し同情的になりながら協力を申し出る。

 俺にとってもこれは一大事だ。目立たず生きるという座右の銘を失うわけにはいかない。誤解を解くためならば協力は惜しまないつもりだ。

 すると桧木はキラりと瞳を輝かせた。心細さから救われたような表情はまるで迷子のようだ。


「本当に、手伝ってくれる?」

「そりゃもちろん」


 根も葉もない噂に対して、真実を伝えるために二人で最善を尽くそう。……そういう意味で手伝うと言ったつもりだったのだが。

 俺の言葉を聞いた桧木は、意外なことを口走った。


「じゃあ――しばらく恋人になってくれる?」

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