桧木千央ちゃんはピノキオかわいい!
宮塚慶
第1話 嘘つきは恋人の始まり?
平穏な日常をただ静かに暮らしたい。
勉強も運動も並程度、苦手ではないが胸を張って得意という自信もない。そんな消極的で平凡な一般人代表として、ただ穏やかな日々を願うのは必然と言ってもいい。
高校生活が始まって既にひと月ほど。
たったひと月だが、クラス内では人気者とそうでない者が浮き彫りになっている頃だ。俺は目立つことなく、上手く中間層に溶け込むことができた……と思う。
唯一注目を浴びたのは最序盤、ホームルームでクラス委員を決めた際だろうか。全員が牽制し合う雰囲気を察して、さっさと手をあげた。名声が欲しかったわけではなく、押し付け合いで時間が長引くのを避けたかったのだ。
クラス代表のように名前を記されたものの、やる事と言ったら時折雑務を請け負うだけの単純な係。それだけでクラスメイトからの印象が良くなるのだからローリスクハイリターン。以降なにを成さずとも一目置かれる、美味しいポジションになれたと思っている。
最初に存在感を示して今後は静かに過ごす。我ながら素晴らしい学生計画だ。
今日も円滑に、かつ目立たず一日を終えた俺は、そそくさと帰宅準備をして教室を後にした。
部活には入っていない。いくつか見学に行ったものの、あまり愛想が良くないので知らない人の輪に入れる気がしなかった。元々熱中する趣味や特技に乏しいので目ぼしいものも見つからず今に至る。
我らが
「あれは――桧木さん?」
学校玄関の前に広がる、花壇や植木の並んだ小さな中庭。そこに立っている人物に俺は見覚えがあった。
俺と同じクラスで、長くしなやかな黒髪を後ろ手に括ったポニーテールが印象的な女子生徒。背は少し小さめだが、大きな瞳と高い鼻先という恵まれた顔立ちが存在感を放っている。誰にでも分け隔てなく明るい性格で、このひと月の間にクラスの中心人物として風格を醸し出していた。
授業を受ける姿勢からも優秀さが垣間見えるし、運動神経も抜群。非の打ち所がない、とは彼女のことを言うのだろう。
つまりは、目立つ人。
平均値を静かに生きたい俺とは別の生き物と言っていい。
「何してんだろ。あんなところで」
大きな樹を背にして立っている桧木。こちらからでは表情がよく見えず様子は分からない。
この学校の中庭は結構綺麗に整備されているが、そうは言っても在校生が放課後にわざわざ眺めるほど特別なものとは言い難い。昼休みに外で食べたい気分の人は立ち寄るみたいだが……。
まあ、考えるだけ余計なお世話だ。ただクラスメイトというだけでほとんど面識もないし、少々気になったからと言って「そんなところで何してるの?」と話しかける気さくさを俺は持ち合わせていない。
もしかすると俺が知らないだけで、中庭には見惚れるほどの花が咲いているのかもしれない。もしくは桧木がとんでもない植物マニアなのかも。ほら、名前もヒノキだし。
俺は外靴へ履き替えて昇降口を出る。桧木のことは気にせず歩き出したが、そこで先ほどまで背を向けていた彼女がこちらへと視線を動かした。
大きく吸い込まれそうな瞳が俺の方を見ている。目が合ってしまったので、会釈すべきか少し悩んで立ち止まる。
すると、桧木は自身の右手をちょいちょいっと動かした。
一般的な見方として「こっちに来て」というジェスチャーだと考えられるが、クラスのアイドルに御指名いただくような徳は積んでいない。何か因縁をつけられるような迷惑もまだかけていない……はず。たぶん。
俺ではなく後ろの誰かに向けた合図かと思ったが、振り返った昇降口はガランとしていて人の姿はなかった。
確認のために自分の顔を指差し、疑問の表情を彼女に示す。それを見た桧木が大きく頷いた。
え? 何、なんで?
警戒心を抱きつつ、無下にするわけにもいかず中庭へ近づく。
そこで俺はようやく、彼女と対面するもう一人の人物に気がついた。
男子生徒だ。見覚えがないのでクラスメイトではないと思うが、把握していないだけだったらすまん。
しかし男女ペアの会合となると、ますます俺が呼ばれる理由に心当たりがない。突然目の前の男子にお金をゆすられたらどうしよう。お金なんて全然持ってないぞ、今この場でジャンプして確認してもいい。チャリンチャリン。
恐る恐る桧木に向かって問いかける。
「えっと……桧木さん? 何か用?」
「伊久里くん、待ってたよ!」
桧木は屈託のない笑顔で俺を迎え入れた。
まず、名前を覚えられていることに結構驚いた。桧木は目立つ人なので俺もしっかり覚えていたが、逆にこちらはクラス委員というだけで目立つことはしていないし、接点もない。単純に彼女の記憶力が良いのか、本当にゆすりのターゲットとして目をつけられていたか。
疑念の止まない俺を差し置いて、桧木は目の前の男子に視線を移す。つられて俺も彼を見た。
やはり見覚えはない。この学校では学年ごとに異なる色のネクタイかリボンをつけているので、赤いネクタイの彼が同級生であろうことは分かる。色は三年サイクルなので、留年した上級生の可能性もギリギリあるが……たぶん同学年の生徒だろう。
坊主頭で俺より高身長の彼が、疑いの目で俺をジロりと見てきた。結構ガタイが良くて圧がある。ちょっとこわい。
コホン、と桧木がわざとらしい咳払いをした。
「山田くん。紹介します」
男子に向けて桧木が話し始める。山田と言うらしいが、やはり覚えがなかった。
山田は桧木の言葉を待っている。心なしか張り詰めた空気で、俺も何を言うのかと彼女に視線を集中させた。
二人に注目された桧木は鼻をひくひくさせている。何の合図かと眺めていたら、勢いよく声を張り上げた。
「彼があたしの今の彼氏、伊久里くんです!」
……ん?
は? えっ?
「えぇぇぇぇぇぇえ!?」
俺と山田が同時に叫ぶ。
「そんな、本当に彼氏がいたなんて……!」
目の前で山田が絶望の声をあげて項垂れた。
いや自然と受け入れているが、今俺も一緒に驚いていだぞ。気づけ山田、騙されている。
「あの、桧木さん? これって――」
「しーっ。ゴメン、少しだけ合わせて」
まったく状況が理解できず桧木に確認を取ろうとしたが、彼女は囁き声でこちらを制してきた。合わせろと申されましても何がなんだか。
ぐったりと脱力した山田は、若干涙を滲ませた神妙な面持ちで再度確認してきた。
「本当に、桧木の? 彼氏?」
「ホンットーです! それはもう、ラブラブなんです! ラブラブ!」
胸を張って答える桧木。なんでそんなに躊躇なく嘘を並べられるのか。
山田はその言葉にもう一度ガックリ肩を落とす。
「う、うぅ……!」
「ゴメンね山田くん。今度こそ分かって! あたし、君の気持ちには応えられないの」
申し訳なさそうに桧木が言うと、山田は視線を落としたまま小さく頷いた。そこで素直に受け入れられるのはとても偉いと思う。
突然すぎる流れで困惑必至だが、会話から少しだけ流れが見えてきた。
この山田という少年は、勇気を振り絞って桧木千央へ愛の告白をしたのだろう。放課後の中庭、ベタだが素晴らしいシチュエーションだ。伝説の樹の下で告白をすれば願いが叶うかもしれない。今フられてたけれど。
別にそれ自体は本人次第なのでどんな結末でも構わないが、この断り方はどうなんだ? 嘘の材料にされたことで、なんだか俺が山田に対して申し訳ない気持ちになった。
何か気の利いたことを言うべきかと悩んでいると、山田の方が口を開く。
「じゃあ、お幸せに……」
言いながらよろよろと歩き出す。
意気消沈な中でも惚れた女の幸せを願って去っていく彼の背中に敬意を表する。いっそ声をかけて「今のは嘘だぞ」とバラしてあげたかったが、それをしたところで桧木が断っている以上好意は無いわけで、気休めにもならないだろう。
とにかくまずは話を聞きたい。
山田の姿が完全に見えなくなってから、俺は桧木に問い質した。
「ねえ桧木さん。これはどういう話?」
なんとなく分かったものの、状況説明を求める。
すると桧木はすぐさま俺に頭を下げてきた。それはそれは清々しいほどに綺麗な謝罪のポーズである。
「ごめんなさい伊久里くん! 勝手に名前使っちゃって!」
名前を使われたというか、全身貸し出したというか。
告白を断る口実なのは見て取れたが、それにしたってたまたま通りがかったクラスメイトを利用することはないだろう。あの山田という男がどんなやつかは知らないが、素直に断ればよかったのではなかろうか。
「なんでまた、あんな断り方を」
「その、仕方なかったというか。……とにかく!」
何が仕方なかったんだろう。
浮かんだ質問を重ねる前に、桧木は矢継ぎ早に捲し立てた。
「今日のことは忘れて! これ以上は伊久里くんに迷惑かけないし、関わったりもしないから!」
「え? いや、ちょっと――」
「本当にゴメン! それじゃあ!」
追及を避けるように大声で謝罪を述べると、彼女はそそくさとその場を走り去っていった。
忘れてと言われても困るぐらい強烈なイベントだった。あまりに唐突で怒涛の展開だっただけに、俺は桧木の背中を追いかけることもできず立ち尽くしてしまう。
……明日からどう接すればいいんだろう。桧木も、あの山田という同級生とも。
桧木千央ちゃんはピノキオかわいい! 宮塚慶 @miyatsuka
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