第3話
「…で?どうしてここに来てみたんだよ。」
路地裏の一角、薄暗い店の中で不愛想な店主に昨日の出来事を語り終えた少年は肩をすくめた。
「仕方ないだろ。今日も星が降ってるんだから。」
小さなドアを一瞥して、少年は言う。あれから一週間が経った(学校に行っていない少年でも、そのくらいは分かる…1週間に1度市場の品物の入れ替えがあるので、覚えざるを得なかった)。それでもあの時のことが忘れられず、寧ろ大きくなってゆく憧れの中で少年はうっとりと思い出に耽った。
「ああ、おれもあんな風になりたい…!」
「…魔法使いなんざ、そんなにいいもんじゃないぞ。」
ぼそりと呟いた店主の言葉は、夢見心地な少年の耳には届かない。
「やれやれ。もう来るなと言ったはずなんだがな…」
店主が呆れたように首を振る。雨だからとか暑いからとかいろいろ理由をつけて何度かこの店に訪れている少年は、もうすっかり慣れてしまって退屈になりぼんやりとため息をついた。手元の時計に目をやる。まだ30分も経っていない。光の雨が降るなんてロマンチックで美しい、と言う声も時折聞くけれど、少年にとって厄介な存在であることは変わりなかった。
このまま外を見ていても無駄だと悟り、カウンターまで引き返す。その時、ふと足元に何かが当たって目をやった。ふとあることに気付き、置かれていたそれを持ち上げて少年は悪戯っぽく笑った。
「やっぱりなんか変なことしてる…」
「変なことじゃない。これは…うわっ!?」
店主が驚いたようにのけぞる。カウンターに肘をついて作業を見ていた少年はしてやったり、と満足気に胸を張った。
「びっくりしたか?」
「あー…踏み台片付けておくんだったか…。」
少年の言葉には特に反応せずため息をついて作業に戻る店主をじっと観察する。少年の足に当たったのは店内に放置されていた踏み台だった。なんてことない、カウンターの近くまでそれを運び、その上に乗っただけだ。
店主の手元には長方形の箱があり、何やらよく分からない形をしたものが詰まっている。何度か小さな何かをらんたんとやらの光で照らし吟味しながらまた箱の中に詰めていく。傍らには分厚い本が開いた状態で置いてあった。恐らく本棚から取ってきた物だろう。
「…何してるの?」
「知らなくていい。必要ない。少なくともお前には、な。」
よし、と満足げに頷くと、店主は蓋を閉め箱ごと裏返した。すこし古びた木製の箱の中に、1から12までの数字が書かれた文字盤が入っている。__時計だ。しかしその針はいくら待っても動かず、ぴたりと止まっている。
「…動かないよ?」
機嫌がいいのか、先程の少年と同じような顔をした店主はポケットから何かを取り出し少年に握らせた。それはやはり奇妙な形をしていて、使い道が全く分からない。明かりに照らしてしげしげと眺めていると、カウンターに置かれた少年の銀の時計を眺めながら何やら針を弄っていた店主が声をかけた。
「ほら、ここに先を入れてみろ」
まめが沢山できた手で店主は文字盤のある箇所を指差す。そこには丁度少年が握っているそれの先が入りそうな小さな穴があった。
「…?」
言われたとおりにそれを穴にいれる。ぴったりとはまった…が、何も起こらない。訝しげに店主のほうを見やると、手振りで回せと指示された。何が何だか分からないままそれを捻ると、かちりと音がした。おっかなびっくり回し続けていると、待ちくたびれたのか突然店主が少年の手の上から素早くそれを数度回し、引き抜いた。かち、かちと音を立てて秒針が動き出す。目を見張る少年をよそに店主は立ち上がり時計を本棚と本棚の間の隙間にかけた。…ぴったりだ。
「うん、いい出来だ。」
「あんた、魔法使いだったの…?」
おっかなびっくりそう尋ねる。魔法を使った道具の製作もまた魔法使いやそれに値する職人の仕事なのだ。
「魔法?馬鹿なこと言うな。これはそんなものじゃない」
カウンターに戻ってきた店主がいつもより早口でそう言い返した。
「でも、時計は魔法で作るものでしょ?だから市場でもすごく高く売られてて」
「市場のやつは、だろ。」
此処にあるのは違うのかと首を傾げた少年の様子など気にもしないように喋り始めた。
このひとはいつも他人よりも自分の言いたいことややりたいことを押し通す。何となく諦めかけているのが悔しかったが、もう既に店主のペースに巻き込まれてしまっているのでどうにもならない。
「まず、この世は魔法でできている」
店主が言う。
「時を告げるのも作物を育てるのも明かりをつけることすら全部全部魔法頼み。どうしてかわかるかな?」
「それが一番手っ取り早いんじゃないの?」
いや、違うねと首を振り、店主は突然立ち上がる。なんだこいつ、と少年は一瞬思ったが気にしたら負けだろうと考えるのをやめた。
店主が大きく手を広げて言う。雑にまとめられた長い髪がふわりと揺れた。
「魔法は神様から与えられた祝福だからだ!この世で人が生きるための!神の力なのだ!」
「それなら人によって使える者に個人差があるのはなんなのさ。神の祝福に差があるのっておかしくない?」
「それは前世で積んだ得だのなんだのが関係しているらしい。今から得を積めば来世は祝福に恵まれるらしいぞ。」
「でも…」
文句を重ねようとしたその時、バチンと大きな音がして驚いた少年は口を閉じた。…店主の髪留めが壊れたらしい。別人のように機嫌の良い店主は、大股で少年のほうに向かってくる。髪が大きく広がっているせいかそれがとても不気味で、思わず逃げ腰になったノアの腕を店主が素早く掴む。
「魔法についてはよくわかっていないんだ。“祝福”に異を唱えた者はもれなく全員…こうなるからな」
店主が手のひらを横にして首に押し当てる。ひいっと小さく悲鳴を上げた少年の腕を離し、何事もなかったかのようにそれはまあ置いといて、とまた店主は歩き出す。
「此処にあるのは、そのおかしな祝福に頼らずに作られた奇跡の品々!陰ながらも研究を重ねてきた研究者たちの血と涙の結晶さ!祝福に頼るんじゃない、世界の仕組みを利用してできた、正真正銘魔法要らずのものたちだ!」
あまりの熱量に気圧されながら、少年はカウンターの上を見やる。この奇妙な部品が、その仕組みなのだろうか。
「魔法が、要らない?」
「そう!」
店主が大きな声で言う。少年はびくりと肩を震わせた。本当になんなんだこいつ。
「ここは祝福のないものばかりを取り扱う店。才に恵まれない、たったそれだけのせいで虐げられた者たちにより代々受け継がれてきた場所。本物の奇跡を信じるのなら、その扉を叩きなさい。私たちは必ず貴方の味方になるだろう」
店主はどこか芝居じみた仕草で綺麗にお辞儀して見せた。「本物の奇跡」。少年はその響きに思わず胸を高鳴らせ…すぐに首を振った。奇跡は魔法だけで十分だ。
その時、ごおん、ごおん、と時計台の鐘の音にも似たくぐもった音が辺りに響き、思わず少年は音のした方を見る。先程壁に掛けられた時計が何かを知らせるように一定回数音を鳴らし、また黙り込んだ。
「分かったらこの奇跡を二度と魔法なんて呼ぶんじゃないぞ。」
いつも通り、気だるげな店主の声がして、少年は振り向く。いつの間に戻ったのか何事もなかったかのように作業を進めていた。拘束を解かれた長い癖っ毛だけが時折ゆらゆらと揺れている。何だか奇妙な心地で立ち上がり、窓の外を見やるといつの間にか星は止んでいた。
夜になり、すっかり暗闇に包まれた路地裏で少年は考える。手元には、店主からもらった時計。かち、かちと規則正しく音を立てて針を動かすその様子は市場で見るものと何も変わらない。本当にこれは魔法を使わずに作られたのだろうか。もしもそうだと言うのならば、それは本当に__
「にゃあ」
突然近くで鳴き声がして、少年は飛び上がる。見下ろせば、いつの間にか足元に黒猫がいた。
「なんだ、お前か…」
ふと今日は一度も食事をとっていないことを思い出す。不満げな黒猫にお腹すいたな、と声をかけ通りへ向かった。不思議とあの店にいる間は空腹を感じないんだよな、とぼんやり考えながら。
都合が悪いことに星が降ったせいか今日は人がやたらと少なかった。市場に行ってもそれは同じで、人混みに紛れこんで物を取れるほど混雑はしていない。仕方ないから諦めようとして、何となく目を向けた先にあった骨董品売り場に少年は釘付けになる。少年でも見えるような低い棚に時計が飾ってあったのだ。思わず近づいて見てみる。少年が持っているものと見た目も挙動も何ら変わらない魔法製の時計。違う所と言えば少年が持っている物のほうが少し厚みがあるくらいだ。あの奇妙な形をしたものが、どうして魔法と同じ動きをできるのだろう。じっと立ち止まって考えていると、その店の商人に声をかけられた。
「なんだ、お前も時計が欲しいのか?」
「あ、いや…」
少年は首を振って後ずさったが、人が大してこないせいで暇をしているのか商人は勝手に喋り始めた。
「最近は時計塔が信用ならねえから時計の需要は増えてるんだ。その分数少ない職人や魔法使いの製造が追いつかなくなってきている。それで手一杯だというのに、魔法使いは時計塔の点検までしなきゃなんねえ。時計が足りない、でも人は居ない…完全に悪循環だ。ボロい時計塔が壊れちまうのも時間の問題だろうな。つまり何が言いたいかって、時計の値段は高騰するだろうから今のうちに買っとけって…おい、少年?」
早口でよく分からない内容をまくし立てられ頭が混乱する。ヒトブソクがアクジュンカン?何を言っているのだろう。情報の処理が追い付かないままその場で固まっていると、商人はお前にはまだ早かったかと頭をかいた。
「つまりあれだ、時計塔が壊れかけてるから小さい時計が売り切れそうなんだ。わかったか?」
少年は黙って頷く。そのくらいなら理解できた。
「…なんで壊れかけてるの?」
「あれもぼろいからな。俺のじいちゃんが生まれる前からあるもんだ。魔法が切れそうなんだろ」
「魔法が切れたら止まるのか?」
「当たり前だろ。世の中のもんは大体そうだ。」
ふうん、と呟いて少年は時計塔のほうを見やる。__星がよく降るようになったのも、それのせいなのだろうか。
何もわからぬまま商人に別れを告げ市場を出る。自分が空腹であることに気付いたのは黒猫に不満げな視線を向けられてからだった。
本を捲る音が薄暗い店内にかすかに響く。明かりのもとが他にないので仕方なくカウンターの隅に腰かけて本を開いていると、呆れ顔の店主に軽く頭を小突かれた。
「今日は星降ってないだろ…」
仕方なくカウンターの下に移動した少年は本から目線を上げずに言い返した。
「ここにいたら腹が減らないから」
店主は深くため息をついて言った。
「邪魔はするなよ」
「分かってる。」
少年は本を捲りながら答える。文字が読めないので実はその半分も理解できていない少年だったが、空腹を紛らわせれば何でもよかったので特に気にはしていない。ただ文字を眺めて、市場で似たような文字があったなとか町中で見かけたなとか考えながらあてずっぽうで解読していた。静寂が妙に心地よかった。
その日から少年はこの店に入り浸るようになった。黙って本を捲るのが性に合っているのか路地裏に居る時よりもすごく落ち着くのだ。店主も邪魔されなければ特に何も言わなかった。一度黒猫が少年の後ろからこっそり入り込んできたが、その時でさえ反応すら示さなかった。それに味を占めたらしい黒猫が少年とともにこの店に通うようになり、放っておけばぎりぎりまで水も食事もまともに取ろうとしなくなる少年を見張っていた。外では時折鐘が鳴り、そのたびに星が降った。
「__それ、こっちじゃない?」
「え?」
朝、店主より早く起きた少年がすっかり慣れた手つきでマッチの火をランタンに灯し、カウンターの上を指差して言う。起きてきたばかりの店主が首を傾げている横で、少年はすらすらと喋り始めた。
「ほら、ここがこう動くでしょ?ならこっちに組み込むとかみ合わなくなる。こっちに入れたやつが邪魔をするんだ。だからもう少し上のほうに入れないと」
机の上にあった細い棒状の道具で部品を指しながら説明する少年の横で、店主はしばらく考え込み、驚いたように呟いた。
「__ほんとだ」
得意げに胸を張る彼に店主が尋ねる。
「どうしてわかった?」
「そこにあった本に似たようなことが書かれてたから。」
指差した先には、分厚い本が詰まった本棚がある。勿論子供向けの本はおろか、常人が読んで即座に理解できるような内容のものは無い。
「おまえ、字が読めないんじゃ…」
「読んでたらいつの間にか分かるようになってた。」
少年が此処に来るようになってからまだふたつきも経っていない。毎日一日中本を読んでいたとしても、本当に文字が読めない段階から理解するまでに至ったのなら__彼は、まごうことなき天才だ。
「…おまえ、この道向いてると思うぞ」
信じられない、という目を向けた店主に少年は首を振って言った。
「いいや、おれがなりたいのは魔法使いだから。」
店主がまた何か言おうとしたとき、店内に低い鐘の音が鳴った。時刻は現在午前7時25分。…店内の時計の音ではない。時計塔の鐘の音だ。
「また星が降るのか。最近多いな。」
「時計塔の老朽化が進んでるらしいよ。ちょっと前に市場のひとが言ってた。」
何か悪循環になっているらしいと話す少年の言葉を特に意に介した様子もなく、店主はふうん、と呟いて作業に戻る。それを合図に本棚へ向かう少年の足元で、黒猫が何か言いたげに鳴いた。
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