2.縁喰い

 気が付けば弥生は外を歩いていた。

「…………え?」

 弥生の前を先導しているのは姉の後ろ姿であり、弥生はその姉に手を引かれて足を動かしている。

 ……いや、確か、この姉は、自分が知る姉ではなかったはずだ。姉の姿をしてはいるが、中身はまったく別の、何か。

 そのことを思い出した弥生は、咄嗟に手を振り解いて足を止めた。

「え? なんで? 私、どうして」

 自分自身を見下ろせば、服装は入院着のまま、足元はベッド下に置いてあったはずの病院名が印字されたサンダルを履いている。そして、無意識下で掴んでいたのか、左手はスマートフォンを握りしめていた。

 このスマートフォンは寮長が着替えと一緒に持ってきてくれたもので、ベッド脇のサイドテーブルに置いておいたものだ。透明カバーを着けたスマートフォンには白い蛇を模したステッカーが貼られており、自分のもので間違いがない。慌てて画面を確認したが、しかし、電源が切れているのか画面は真っ黒で操作を受け付けてくれなかった。

 混乱する弥生の前で、先導していた姉、否、姉の姿をした何かが、ゆっくりと振り返る。その瞳は相変わらず黄金色をしており、じぃ、と弥生を見つめると、口を開く。

「……行きたくないと駄々をこねるから、無理矢理連れ出したんだよ。けれど、もっと遠くへ行く必要がある。これ以上は流石に、お前の意志でついて来てもらわなきゃいけないな」

「む、無理矢理、って」

 急いで辺りを見渡す。

 今は大きな通りの四つ辻にいるようだ。後ろを振り返れば大きな建物があり、おそらく、あれが先程までいた病院なのだろう。

 走って逃げれば病院に戻れるだろうか、いや、まずは声をあげて助けを求めるべきか。

 いや、否、それよりも……と、弥生は辺りの異様な雰囲気に足を竦ませた。


 病院前の大きな通りの四つ辻なのに、人の気配が一つもないのだ。


 まだ日は落ちきっておらず、帰宅途中の学生や社会人が出歩いていてもおかしくない時間帯のはず。だというのに、誰もいない。すぐ側に車道も通っているというのに、車の音も聞こえてこない。

 更には、鳥の声すらも……と気が付いた時、弥生は自身の体から血の気がさぁっと引いていくのを生々と感じ取った。

「あ、あなた……誰、なの? 私をどこにつれて行く気?」

 後ずさりしながら問いかければ、姉の姿をしたソレは小首を傾げる。

 その動作は、どことなく爬虫類を連想させた。

「千佳から何も聞いていないのか」

 千佳。

 それは姉の名だ。

 姉の姿をしたモノから姉本人の名前が出され、弥生は余計に混乱する。

「お姉ちゃんから……?」

「本当に何も聞いてないのか。なんだ、そうか、ふうん。オレが何なのかもわかっていない様子だな」

 だが、ソレは答えをはぐらかす。

 思案するように弥生を見つめ、そして笑みを浮かべた。

「そんなことより、まずはお前のことからだ。何が不満だ? 何が心残りだ? 弥生が心置きなくついて来れるように、その不満と心残りを全部、オレが『くって』やるよ」

「くって……?」

「そうだな、とりあえず、まずは、それでいい」

 と、指差されたのは、弥生の左手。

 一向に電源がつかないままのスマートフォンだった。

「それって……スマホのこと?」

「とりあえずばそれで勘弁してやる。オレとしては人間をそのまま『くう』のも構わないんだが」

 にぃ、と笑みを浮かべるソレに。

 弥生はようやく言葉の意味を理解して青ざめた。


 『くう』とは、『喰う』だ。

 ソレは、姉の姿で、人を喰ってやるぞと言ってきているのだ。

 

 途端に思い出したのは、悪夢の続きの光景だった。

 目に毒々しい血の海と、白い大蛇に丸呑みにされる笑顔の姉……悲鳴を上げ損ねた弥生の喉からは、「ひっ」と引き攣った声しか出なかった。

 薄々気付いてはいたが、ソレは、そもそも人ではない。

 姉の姿をしているが、その中身は、おそらく――

 震えて動けない弥生に、ソレはじれったいとばかりに近付くと、弥生の手からスマートフォンを取り上げた。

「あっ」

「まったく、だからこれで勘弁してやると言っているだろうに。のんびりしていられないんだ。ああは言ったが、人間そのものを喰いに戻っている暇は、オレ達には無いんだよ」

 そう言うと、ソレは取り上げたスマートフォンを頭上に掲げ、顔を上に向け。


 ばくり、と。

 スマートフォンを口の中に放り込み、飲み込んだ。


 飲み込めないはずの質量がするりと口の中へと消え、喉が嚥下する動作をする。

 その衝撃すぎる光景に思わず呆然とする弥生に、ソレは満足そうに笑みを浮かべた。

「最近の人間は、これだけで簡単に縁が喰えるから、楽だよな」

「え、縁……?」

「さぁ、行こうか弥生。あっちの山の方なんか良さそうだよな。早く行こう」

 左手首を掴まれ、強引に引っ張られる。

 弥生は抵抗しようとするが、足が言うことを効いてくれない。勝手に動く足に引き摺られるようになりながらも、弥生は声を張り上げた。

「やっやだ、待って! 貴方、私に、な、何をしたの?!」

 弥生の声は恐怖によって叫び声になった。

 何故なら、おかしいのだ。


 先程まで思い出せていたはずの両親の顔が、まったく思い出せなくなっているのだから。


 この手を振り払って病院に駆け込み助けを求めようと思っていた人たちの顔が、霞がかかったように思い出せなくなっている。

 両親に、医師や看護師、それどころか、寮の先生、それに友達や先生……思い返せば返すほどに、その誰の顔も思い出せなくなっていることに気付く。気付く度に、全身から血の気が引いて手足が冷たくなっていくのを感じた。

 そして、その混乱は更なる恐怖へとなる。言うことを効かない足をなんとか止めようとする弥生に、前を行くソレは、呆れたように振り返った。

「なんだよ、しつこいな。まだ心残りがあるのか?」

「だから、私に何をしたの?! そ、そもそも、あなたは一体何なの!」

 もはや叫び声になる弥生の言葉に。

 ソレは、表情を消して答えた。


「お前に繋がる縁を喰ってやったんだよ。オレは蛇だからな……ああ、うん、そうだ。オレはこれでも一応、神様なんだぜ?」


 一度消した表情を、再び崩して。

 それはまるで蛇のような笑みで、口元を歪ませた。


 ×××


「――いいこと、弥生。お盆の間、こちらに帰ってきてはいけませんよ。私とお父さんとでそちらに行くから、弥生は学校の寮に残りなさい」

 眠る前。

 あの悪夢を見る、更にその前。

 電話に応対した弥生に、母はそう告げた。

 無事に期末試験を終えたことと、帰省をいつにするかの相談をする為の連絡だったのだが、母はそんなことを言ってくる。当然、弥生は困惑して、電話口に言い返した。

「なんで? 寮の友達は皆、帰省しちゃうし、私だって」

「駄目よ。どうしてもこちらに帰ってきたいのなら、お盆が明けた後、私が良いと言うまで待ちなさい」

「どうしてなの? 今の学校だって、いきなり転校して一人で寮暮らしするように言ってくるし……友達は出来たし、仕送りはありがたいけど、それでも私だって地元の友達にも会いたいよ」

「それでも駄目なの。とにかく、弥生はそこにいて」

「でも、お母さん、それだと私」

「千佳から頼まれたことなのよ」

「え? お姉ちゃんから?」

 驚いた声をする弥生に、電話口の母は言葉を詰まらせたようだ。

 束の間、静寂が流れる。弥生もすぐには何も言えず、ただ、詳しく話を聞くには、きちんと母と向き合った時でなければいけないのだろう、と漠然と理解する。

 母の後ろめたいような覇気の無い声が静寂を破る。

「……いいから、言うことを聞いてちょうだい。お願いよ。わかったわね?」

 尚も念入りに帰省するのを反対する母の声に、弥生は渋々と「……わかった」と返事をする。

 電話の向こうで、母が息を吐くのが聞こえる。それはなんだか、ホッと胸をなで下ろすような、そんな吐息だった。

「……ごめんなさい、弥生。今は何も言えないの。次に会った時に、ちゃんと話すから」

「うん……それじゃあ、おやすみなさい」

「おやすみなさい、弥生」

 電話を切って、弥生は溜め息を吐く。

 本当は、お盆には帰省したかった。そうしないといけない理由があったのだ。

 スマートフォンをベッドに放り投げ、部屋の電気を消し、不貞寝するようにベッドに寝転がる。

 悶々とした気持ちのまま、どうやったら母を説得して帰省できるだろうかと考えている内に、いつの間にか眠りに落ちていた。


 が、この時、弥生は気付いていなかった。

 先程の母との電話によって、黒い影が、弥生の側に呼び寄せられていたことに。


 弥生が完全に寝付いた頃に、黒い影は姿を現す。

 眠る彼女を見下ろし、影はほそく笑むように目を眇めた。

「見ツケタ」

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