百日紅

@jvfghvbk

帰路のロマンス

真夏の帰路に私の体は今にも灼熱で溶けそうだった。まだ家までは遠いのに行先は陽炎に覆われて見えない。

木陰の下までやってくると、私はおもむろに立ち止まった。不格好に膨らんだリュックを地面に放り投げると、じっとりと汗ばむ背中に風が吹き抜ける。

白くなめらかな樹皮に肌をよせるとひんやりとしてそのまま地面に座り込んだ。見上げると小さく丸い葉にフリル状に縮れた紅色の花が空に揺れていた。

しだいに心地良さは強烈な眠気に変わり私を包んだ。視界がとろりとして色彩が混じり合う。

—— ふいに目が覚めるとずいぶん長く眠っていたようで体は痺れて固くなっていた。

しかしそれどころではなかった。

少女の体はきつく縄で縛られ分厚い板に貼り付けられており、周りには見知らぬ先住民が地面に這って祈りを捧げている。

状況を認識するよりも先に少女は身構えた。

—— 目の前には大蛇のような猛々しい体に口の辺りに長い髭を伸ばした、絵に描いたようなまさに龍が堂々とたたずんでいたのだ。その迫真感と抱いた猛烈な畏怖の念に、少女はとても単なる夢とは思えなかった。

龍は鋭く少女を睨みつけると、奥行きのある大きな口を限界まで開けて近づいてきた。龍の荒々しい息遣いが迫ってくる。

少女は目前の生贄にされる恐怖で現実喪失感など掻き消されてしまった。

「食われる…たすけて!」

—— そのとき目の前が人影で覆われた。

一人の青年が少女を庇うように龍に立ちはだかっていたのだ。身なりはとても庶民とは思えぬほどに整然としていて、大きな図体からは彼の芯の強さをも感じられた。

彼の背中は心強かった。

「今、助けるから。」

青年はそう言って刀を構えると地面を蹴って疾風のように駆けた。

龍の長い胴体が巻きつこうとするのを素早い半身の体制で受け流しながら、風をきって勇猛果敢に立ち向かう。

激しく俊敏に刀を振りかざし隙を見計らって腹に斬撃を与えた。

徐々に龍の動きが鈍くなる。龍も負けじと鋭い爪を立てて彼に食いつこうとする。刀の青白いきらめきが龍に纏い付く。

素早く背後に回ってとうとう龍の視線が追いつけなくなった刹那、彼は電光石火の如く龍の首を斬りつけた。途端に龍の腹は地面に打ちつけられ大きな身体は地面に崩れ落ちた。

あたりは砂煙が巻き上がり青年の激しく上下に揺れる肩だけが見える。

少女は助かったのだ。

少女は礼を言おうと青年の目をみつめると、

——— 一瞬にして心奪われた。シャープな輪郭に体格に見合わない端整な顔立ち。青く澄んだ瞳はどこか孤独を孕んでいて、それを隠すように汗ばんだ前髪が覆っている。

見惚れていると青年はこちらの様子を伺うように少女の顔を覗き込んだ。

彼は怪我がないか確認するように少女の頬に手を当てた。彼の手はすこしひんやりとしていて気持ちよかった。

「光様、村に戻りましょう。」

むこうで連れらしき人が呼んでいる。

青年は言葉を背中で交わして少女から目を離さなかった。

彼もまた少女に惹かれたのだ。

二人の視線が絡み合う。まるで運命的な何かで結ばれてるようでほどけない。少女の胸は張り裂けそうに高鳴った。

—— 我を取り戻した青年は、少女の頬に当てた手を形を残したまま離して改まった。

恋しさが焼き付くように少女の胸に迫る。


「百日後には必ず君のもとに戻るから。」

そう言い置いて彼は旅立ってしまった。


—— そしてあれから百日が経った。

戻った青年は愕然とした。

少女はもうすでに亡くなっていたのだ。

少女の墓からはやがて1本の木が芽吹き、

紅色の花を咲かせた。

その花は百日の間いつまでも美しく咲き誇った。まるで青年との再会をひたすら待つかのように。

—— 目が覚めた。私は変わらず木の下で座り込んでいたが、手にはたっぷり汗を握って鼓動がやけに早かった。

無意識から開放された私は目に映る花に妙に興味が湧いて、片手で検索してみると、

「百日紅(ヒャクジツコウ・サルスベリ)」。

たしかに、あの花だった。

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