柏原の視点

某日13時頃

 お昼ごはんどうしよう...そうだ、とんかつ食べちゃお。最近食べてなかったし奮発しちゃえ。そう思い立った私はよく行くとんかつのチェーン店へ向かっているところだった。大学は今日は休みだし、ご飯食べたらお買いm



 ザザーッ、ザザーッ...波の音が聞こえる。トンビの音は聞こえない。ハッと目を覚ます。雲ひとつない群青。足先に人影が見える。見たことある、懐かしい影。

「大丈夫?具合悪くない?立てる?」

事態が飲み込めない中、聞いたことのある声が聞こえて安心した。か細い男性が顔を覗き込んできた。

「ここは、、、もっちー?なんでここに?とりあえず私は大丈夫。」

もっちーであった。高校の卒業式以来ちょくちょく連絡は取り合っていたが、姿形をみるのは実に2年ぶりだ。彼にとっても同じなのに、彼は高校の時と何ひとつ変わらないように心配してくれていた。

「僕にもわからないんだ。周りに人どころか鳥や虫もいないよ。」

そっか、やっぱり今の状況は異常なのか。でも私以外に人がいて、その人は無事で、私の知っている人。安心した。

「うーんそっか。とりあえず無事でよかった!久しぶり!もっちー!」

「うん!かっしーも久しぶり!」

「かっしーが起きるまで周り見てみたんだけど、廃墟しかないんだ。それで道路標識があって、ここは三浦海岸らしいんだ。」

三浦海岸!?さっきまで旭川にいたのに!?異世界に転生された方がまだわかりやすいのだが、どうやらここは旭川にいた世界と地続きらしい。瞬間移動...?

「なるほど。さっきまで旭川にいたはずなんだけどな。」

「うーんそうなのか。」

持っていた手提げが見当たらない。ここに来るまでに失ったのだろう。まずい。携帯が。

「日付は今日と同じだ。今は14時半ほどらしい。でも圏外で通信はできないや。」

もっちーはポケットから携帯を取り出した。なるほど、服など体に密接についていたものは残っても鞄などの取り外しができるものは無くなったのか。

「ありゃ。まあしょうがないか。とりあえずここから離れて北に向かおうよ。金沢の方まで行けば私の実家があるし。」

金沢まで行けば土地勘があるし、都市部だから助けもきてくれるかもしれない。

京急に沿って歩けばたどり着くけど、何日かかるんだろうか。

「そうだねぇ。でも途中で寄り道していい?」

寄り道?どこへ行くんだろう。



 歩いた。すごい歩いた。足死ぬ。えぐい。寄り道先はどうやら逗子のようだ。逗子葉山駅にアルミボディの箱が行き先を失って止まっていた。もっちーが差し出した出どころ不明な透明の飲料を受け取って飲む。彼は市街なんかお構いなしに日が沈む方向に歩いていく。海岸に行くつもりらしい。

「逗子海岸に行くの?」

「うん!そこで火を起こしながら一晩過ごそうかなって。明日の朝起きたら金沢に行くよ。」

 夜。もっちーが火を起こして焚き火をこさえた。正真正銘の二人きりで逗子海岸、微妙な気まずさを覚える。

「久しぶりだね。5年振りくらい?二人でここ来るの。」

「そうだねぇ。高一の時だからそのくらいかぁ。なんだか懐かしくなってきちゃった。」

「ねー。高校の時は色々あったね。」

一瞬嫌味を言われたような気がしたが、彼をふとみると底抜けに純粋な表情をしていた。彼は嫌味でいったのではなく、過去を乗り越えて思い出の領域になるまで圧縮して言ったのだろう。

「そういえば、三浦で意識が戻る前の最後の記憶ってどうな感じだった?」

会話を断ってしまった。間に合わせの質問をした。もっちーも記憶が曖昧なのか、思い出すのに難儀しているようだった。

「...かっしーが...彼氏とその...えっちなことをしてるって知った瞬間...だった...」

予想外の返答だった。気まずそうな口ぶりはもっちーが世界が変わる瞬間をはっきり記憶していることを示した。わざとじゃないとはいえ、私の恋愛は再び彼を傷つけた。前よりももっと重く、残酷に。

「そっか...ごめんね...またもっちーに辛い思いをさせちゃった。」

こう言うほかなかった。

「いや、君が誰と付き合って誰と体を重ねようとそれは君の自由だから...僕が何か口を挟む筋合いはないよ。」

高校の時、私が好きな人ができたからもっちーとはこれからは一緒に帰れないと伝えたとき、彼は「応援してる。がんばってね!」といつもと変わらない口ぶりでいった。その時と同じ絶望し辛そうな表情を浮かべていた。彼はまた私の恋愛を彼の恋愛よりも尊重した。

「そっか...」

焚き火の火の粉が舞う。赤い光が消えゆく一方、彼の真っ直ぐな感情はいつまでもあり続けるのだろうと思った。あるいは、彼の優しさは、他のものを彼の命より優先させるかもしれないと思った。私は彼を愛せるのだろうか。

「かっしーは最後の記憶はどんななの?」

「んーとね。お昼ごはんにとんかつ屋さんに向かってるところだったかな。記憶がブツっと途切れてる。」

「結構お昼ごはん遅いんだね。」

「あはは...」

 夜もいい線まで来た頃、気づけば彼は私に寄りかかって微かな寝息を靡かせていた。空を見上げると金剛石やコランダムの砂が輝きテルミットのような流星が視界を掠めた。宇宙の広さを感じた時に似た不安感が私を襲う。これからどうなるのだろう。考えても仕方がないので、眠りについた。



 翌日。涼しいながら真冬の家族が先に入った風呂に匹敵する湿度で、霞がかった朝だった。彼はすでに起きていて、旅館の朝、あるいはクリスチャンのキャンプで過ごした朝に近い匂いがした。支度をし、出発した。彼は私より重い荷物を持ってくれた。彼は誰にでも親切だった。彼の優しさの源がわからなかった。

 移動中、彼は時折私の様子を気にしてくれた。荷物は重くないか。疲れたなら一旦休憩しようか。私が彼の様子を伺うと、決まって「僕はだいじょーぶ。かっしーのペースに合わせるよ。」という。

 逗子葉山から八景駅までは3駅ほどなので、3時間ほど歩けば着いた。久しぶりの地元、荒廃していても懐かしさを感じる。

「けっこう歩いたね。」

「だね。でもほらもう八景駅に着いたよ。」

「やった!いったんかっしーの家行く前に飲み物とか調達しようよ。」

こんな荒れ果てた環境下で安全な水や食べ物なんてあるか...?

「うん!でも廃墟しかないしあるのかな。」

彼はコンビニに向かうと、何やら選別し始めた。パッケージが破損していない飲み物や食べ物を回収し、三浦の時に見つけたであろう大きめのリュックに詰め込んだ。この様子なら、行先でも食べ物飲み物には困らないだろう。

 二年前に更新が途切れた土地勘でもなんなく家に辿り着いた。案の定荒れていて、両親の姿はなかった。そりゃそうか。

「やっぱり何もない...お父さんもお母さんもいないね...」

私はしばらくここで過ごすことを提案した。ここなら私は土地勘があって海もあるから魚が獲れる。彼の家がある瀬谷に行くにはまた相当歩くし、中区の方に行けば物資はあってもビルの倒壊が怖い。



 数ヶ月が経っただろうか。私は彼と楽しく過ごせている。彼以外に人間はおろか動物が存在しないらしいが、孤独感は感じなかった。とんかつは恋しいが。

「ただいま菜葉!見てこれ発電機拾った!」

「凌おかえり!えっすごいじゃん電気使えるよ!」

「やっぱり電波はダメみたいだけどね。でもスマホに残ってた曲とか聴けるし楽しいね。」

彼は依然優しかった。彼は私に優しかった。誰もいない中、私より力の強い彼は私をお構いなしに襲うことができる。だが彼はしなかった。私は彼のことが好きだったが、恋心ではなかった。私たちの距離は近づいていた。



 半年が経つ頃、自給自足の生活にもすっかり慣れ、新たな日常から普通の日常に変わってきた。やはり、彼は優しかった。私は最初不安だった。私は彼に引け目を感じていた。しかし彼はそんなことを吹き飛ばすように、仲良く接してくれた。

 ある晩、涼しくて静かだった、私たちはリラックスして過ごしていた。明日は何しようだとか、私たち以外の人間と出会ったらどうしようだとか、たわいのない会話をした。居心地の良い空間。二人きりで生きて、死にゆくのも悪くないなと思った。いつものように二人で眠った。



 翌日。晴れやかで乾いた爽やかな朝だった。そよ風が部屋を横切り、柔らかな朝日が差し込んだ。彼は隣にいなかった。先に支度をしているのかな。そう思って部屋を出ると、首筋が伸びた彼の縊死体があった。ひどく辛そうな表情を浮かべていた。即座に彼をロープからおろし、救命を試みたが、彼の体はそよ風と同じ温度だった。私は動揺した。なぜ?前触れもないし昨晩も楽しくおしゃべりしていたのに?机の上に紙切れが置いてあるのに気づいた、と同時に彼の指にハマっているものが私の視界を吸い込んだ。まさか、紙切れを覗く。


_____


    ・

    ・

    ・

君を思い出すこと、二度とないから。

忘れること、できないから。


すまない、君を置いて先にいく。どうか自分を責めないくれ。これは僕自身の問題だ。僕がシケてて根性がないばかりに、君と付き合えなかった。この世界で君と二人きりになっても、君を目の前にすると言葉が出なかった。僕は君のことが好きだ、でも君は汚れてしまった。こうしてやっと言える。大好き。愛してる。

とんかつを作ってやれなくて申し訳ない。


さよなら。

_____


手紙を持っていた手が震える。私と居続けたことが彼を苦しめのだ。私は、彼のまごころは、彼を殺してしまった。だが三浦で二人別れても彼は死ぬだろう。罪悪感の海の渚に私は立っていた、何度も押し寄せ足元を撫でる罪悪感。でもどうしようもない。彼へのせめてもの贖罪として、たった一人であってもこの世界を生き抜くことを決意した。

 爽やかな午前中、私は彼を近くの草地に埋葬した、日に照らされて透き通った葉の緑が晴れやかな気分にさせようとしてくるのとは対照に、私の心は流動せず深くに留まっている。お墓は満足のいく出来だった。私はいつか野垂れ死ぬ、埋葬するものはいない。これは私への罰だと感じた。



 彼が去ってから数年が経っただろうか、今日もあの日と同じ爽やかな朝だった。乾いた涼しいそよ風が頬をなで、透き通った葉は私の心を換気し、暖かな日差しは私の心を温めた。たまらなく美味しい空気。いつもと同じように朝食を摂り、彼のお墓にお花を置く。私にはこれしかできなかった。

 決意をした私の行動は何の滞りもなく進んだ。私は手元にあった紙切れに言葉を書き、縄を首にかけた。私は気づいた。彼は最後まで私を愛した。私は、私を愛した、世界で最後の私以外の人間を殺し、失った。そしてまた、私は気づかないうちに彼のことが好きだった。愛していた。彼の純粋な愛なしに、私はここにいる意味がなかった。

大粒の涙を静かに流しながら椅子を蹴飛ばした。

「...ッ!」


清涼なそよ風だけが残った。




_____

初めて二人で海に行った時、交換した手作りのお菓子、とてもおいしかった。


今度は彼を受け止められるように。


ごめんね。

_____






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まごころを、彼女に 夢原長門 @Y_Nagato

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