紀行
@hakuto-
紀行
旅に出ようと思った。
疲れていたのかもしれないし、インターネットの安い広告に踊らされたのかもしれない。ただとにかく、旅に出よう、と思った。
旅に出たら、好きにできると思った。何か知れると思った。いかにも大学生が思いつきそうな旅の仕方である。しかし、私には何も分からなかった。分からないから、分かりたいと思った。だから旅に出た。
中々筆が進まない。自分の心を顧みるというのは難しい。一度今日を振り返ってみようと思う。
まず、荷物を作った。「荷物」を作るだなんてバカげた行為をしているが、旅には必要なのだから仕方ない。キャリーケースに着替えを入れ、リュックサックに小物を入れた。思ったより、鞄たちはいっぱいにならなかった。だから、クマのぬいぐるみをキャリーケースに入れた。いつどこで手に入れたのか、よく覚えていない。覚えていないということは、幼い頃に手に入れたのだろう。
そしていざ発とうとした時にふと思い立ち、ノートを2冊と筆箱を、リュックサックに入れた。片方はただの大学ノートで、もう片方は五線譜の入ったノートだ。伏線なんてのは面倒臭いので書いてしまうが、私は作曲をしている。もしかしたらそれも旅に出た理由なのかもしれない。いや、出発ギリギリで思い立ったのだから違うか。とにかく、私が歌を書けなくなっているのは、事実だった。何かきっかけが得られるかもと思い、ノートを鞄に入れた。
そして家を出た。とりあえず電車に乗った。夏休みとは言え平日の昼前なので、乗客はまちまちだった。ぼーっとしていた。あまり覚えていない。
終点の2つ手前の駅で降りた。何もないわけではないが、何かあるわけでもない、平凡な街だった。とりあえず昼飯を食べた。金が惜しかったので、安い牛丼を食べた。美味しかった。
計画性などまるでない私は、夏の炎天下を兎に角歩いた。何もなかった。私が住宅街を汗だくで歩く変質者であったことは言うまでもない。ああ、一つ見たものがあった。子供2人が、父親と庭で遊んでいた。土遊びなのか水遊びなのかは知らないが、この暑い中で家でスマホを見ずに遊ぶとは、元気だなぁと思った。語彙力がない。国語辞典を読み漁った方がいい詩が書けるだろうか。
その後、30分ほど誰もいない住宅街をふらつき、駅へと戻った。人々は忙しなく動いていた。私は電車で少し戻り、乗り換えて隣の県へ移動した。
今気付いたが、誰にも読まれるはずのないこの手記を、あたかも誰かが読むものかのように書いている。何故だろうか。10分ほど考えたが分からなかったので、このまま書き進める。
ひとまず大きな駅で降りた私は、宿をとらねばまずいことに気が付いた。帰る気など更々なかったのに、何をしているのだろうと嘆きながら、近くの宿を探し、1番安いビジネスホテルを予約した。つくづく金がない。
行動範囲が制限された私は、駅周辺を散策しながら、いくらかの店を訪ねた。買うつもりはなかったが。特に目新しいものはなかった。相変わらず、人々は忙しなく動いていた。
ただ少し面白かったのは、店で商品を見定めている客すら、「忙しない」ように見えたことである。彼女は確かに商品を舐め回すように見ていたが。私の感性はどうなっているのだろうか。
夕飯をコンビニで調達し、ホテルに向かっていたところ、路上ライブをしている人がいたようで、私はその一部始終を見た。有名な曲を3つ、オリジナル曲を1つ歌っていたようだ。力強いながらも哀愁を感じる歌声に、私はひどく聴き入った。ただ何も感じられなかった。彼の礼を目にした私は、ホテルへ移動した。私の心は悔しさに満ちていた、ような気がする。
そうしてチェックインを済ませ、今これを書いている私に戻ってきた、というわけである。こうして見てみると、何もしていないに等しい、つまらない1日だった。私は今日1日、充実していただろうか。それとも、忙しなく動く人々の方が充実していただろうか。分からない。幸せなんて人次第だ、が答えだろう。そもそも私は、彼らのことを何も知らないのだ。庭で遊ぶ子供も、その父親も、皿を買おうとしていた中年の女性も、路上ライブをしていた彼も。他人を論じるなんて不可能なのかもしれない。でも、我々は誰かが書いた歌に感動する。映画を見て涙を流す。単に感情移入と言われても、納得が行かなかった。私は作者の人生を知らないし、映画の登場人物に自分を重ねられない。なぜなら、私と他人は別人だから。どうしてだろう、私はおかしくて、つまらない人間なのだろうか?だから路上ライブを聴いても悔しくなるのだろうか?こんな人間に、歌を作る資格があるのだろうか?
やめにしよう。大事なのは、私は今日、幸せだったか?だ。
少なくとも不幸だったとは思わないが、幸福かと問われると、分からない。それが答えだ。私は何も分からない。
寝よう。
キザったい書き出しから始まったはずのこの手記を開くのが億劫にはなっているが、一度書き出したものを捨てるのも勿体無く思えて書き出している。
いや、嘘だろう。おそらく私は今日、昨日の続きを、そしてその果ての帰結を得るために今日を過ごしたといっても過言ではない。私は面倒臭い人間だ。
とはいえ、朝起きてすぐはやはり気分が上がらなかった。何をする気にもなれず、ただ何かしないと思考が脳を支配しそうで恐ろしくなり、ふと山に登ろうと思った。
急いで私はホテルを出、近くのカフェに入り登山可能な山を調べ、朝食を済ませ、すぐに移動をした。電車の車窓から見える景色は、この1日で随分と緑が増えたようだった。
登山用の装備など持っているはずがなかったため、危ないことは百も承知で、山を登り始めた。いざ運動をすると、アドレナリンやらドーパミンやらの効果なのか、私の中の恐れや不安がゆっくりと消え去り、段々と昨日のことを考えることができるようになっていた。その時の記憶と、書き留めた僅かなメモから、思考を再現してみようと思う。
私は子供を見た時に、「元気だ」と思った。女性を見た時に、「忙しない」と思った。路上ライブを聴いた時に「悔しい」と思った。どうしてだろうか?
子供が元気だから、「元気だ」と思ったのか?そんな訳はない。私が元気のない人間で、子供の元気を羨ましいと感じたから、「元気だ」と思ったのだ。
私が社会活動から隔離されていたから、社会の中にいる女性を「忙しない」と感じた...のだろうか。いかにも安っぽい考えなので、あまり納得がいかない。
ただ、同様には残りを考えられない。どうしたものか。
(思考が煮詰まってきて、私は周りを見回す。誰もいない木の群れの中に、私は1人で佇んでいた。欠伸すら躊躇われる静けさだった。)
あの人は何を歌っていただろうか、いや、何を歌いたかった、そして聴いてもらいたかったのだろう。何のために歌っていたのだろう。そうだ、問題はここなのだ。
私たち人間は、他人を理解することはできない。しかし、他人の体験を追ってみることで、まるで他人そのものになったかのように感情を抱く。それは、想像力によるものだろう。私だって、芸術の不動の動者は、想像力だと真に信じている。ただ、やはり人間は、理解できない物事を理解することはできないのだ。
勿論、「他人を感動させる」ために作られた作品だって存在する。でも、「他人に何かを伝える」ために作られた作品は、その目的を決して果たせないまま、なんとなく消費されてその命を終えてしまうのだ。私はそれを、「悔しい」と表現したのだ。
すると、私は何のために曲を書いているのだろう。理解されない悲しき怪物を生み出しているのだろうか。
こういった具合である。ここから先も考える必要はもちろんあるのだと分かっているが、頂上が見えてきたので、一度考えるのをやめた。頂上に辿り着いた私は、その眺望と少しの間にらめっこをし、先に折れて下山した。
下山をしている間は、新しい曲のことを考えていた。これに関してはまた別のノートでメモをするので、わざわざここにもう一度記すことはしない。
無事に山を下り終えた私は、ずぶ濡れになった服を道端でそそくさと着替え、今日のホテルを予約し、電車で元いた県に戻り、今ここに戻ってきた、というわけである。
つまり、旅は明日で終わりというわけだ。短い。頭も体もしっかりと疲れ切っているので、チェックアウトに寝坊しないよう、早めに寝ようと思う。
朝少し遅めに起きた私は、チェックアウトを済ませ、家の最寄りの駅まで戻った。そして、近くのCDショップへと足を運んだ。かなり小さいが、数はそれなりにある店だ。私はほぼ無作為にCDを4つ選び、次いで家電量販店へと足を運び、CDプレイヤーを一つ買った。現代ではスマホ一つあれば音楽を聴けてしまうので、CDプレイヤーというのはなかなか新鮮であった。そしてそのまま、少し早めの昼飯として豪勢に焼肉でも食べようかと思ったが、流石に胃がもたれそうだと思ったので回転寿司を食べた。美味かった。そして、家へと戻った。
これを後少しで書き終えたら、新しい曲を作り始めようと思う。この手記は誰にもどころか私にも見られることなく、この3日間とともにその姿を消していくと思うが、それでいいのだと、私は信じている。
ありがとう。
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