第5話

ふぅ。

手を洗いながら、一人の空間で無意識に息が漏れる。


用を済ませたトイレから出ていく。梓ちゃんはまだテーブル席で俺を待っていた。雨は依然として強く降っている。


気まぐれで、城嶋という男がこよなく愛したテーブル席から全体を見渡す。この席からだとマスターの動きがよく見え、向かい側のテーブル席の様子はすごく分かりやすい。梓ちゃんのいる席もしっかりと視認できる。そういう意味では悪い席ではない。

だが、2人用のテーブル席だけあって隣との距離が近く、パーソナルスペースを大事にする俺にとっては最高とは言えない。


梓ちゃんがこちらを興味深そうに見ている。自分の言いたいことを言ったからか、最初は少しこわばっていた表情も随分柔らかくなっていた。


とにかく彼女は謎が好きみたいだ。今回も前回も、最初は深刻そうに相談をしてくるのにも関わらず、最終的には謎解きを楽しみ、満面の笑みを披露してくれる。

もしかして、最初から俺に謎解きをさせるのが目的で話を持ち込んできているのだろうか?一人の店員と客。なのにも関わらず俺は彼女の望みを結果的に叶えてしまっている。


意外と計算高いところがあるのかもしれない、今後は気を付けよう。


おまたせおまたせと、脊髄反射で出た言葉と同時に梓ちゃんの対面の席に再度座り込む。



「それで、なんだっけ?」



俺の発言に少しキョトンとするが、すぐに口元をキツく締める。



「なんだっけ?じゃないですよ!城嶋さんがもしかしたら、とんでもない事件に巻き込まれているってことですよ!!」



とんでもない事件、か。


俺は少し体を震わせる。

気を利かせてくれたマスターがエアコンの除湿をつけてくれたおかげで、店の中はだいぶ快適になった。もはや、べたついていたシャツが寒く感じるほどだった。

先ほどトイレにも行き、頭の整理もできている。とってもクリアだ、調子が良い。

考え事をするにおいて、現状シャツのベタつき以外は最適な環境と言えるだろう。


だが、分からない。

梓ちゃん。



「これって、一体何を考えるんだ?」



至極真面目な質問をしたつもりだったが、梓ちゃんの頭からは沸騰した煙のようなものが見えた。



「ですから!城嶋さんがお店に来なくなった理由と、あの怪しい集団の正体を突き止めてほしいんです!!」



おそらく、彼女の中で話を整理できていないのだと直感で感じる。うちの依頼人にもよくあることだ。彼女は知っているが、俺はまだ知らない事実が何かあるはずだ。そうでなければ、普通こんな発想をするはずがないんだから。

俺は自分が聞いた話を整理する。



「でも今の話を聞くに、常連の城嶋さんが来なくなった日から、サングラス男、マナ悪女、携帯男という店にとって嫌な客が3日立て続けに来たってだけだよね?城嶋さんと3人の客に共通点があるわけでもないし、単に考えすぎってことはない?」



梓ちゃんには引っかかる点があった。単にそれを伝え忘れているのだろう。



「いや、共通点ならありますよ。そうでした、それを言い忘れていました!!」



「ほぉ、じゃあそれを聞かせてもらおう。」



人間、自分の話したいことを整理していないと、50%も意図が伝わらないものである。それは有能無能に関係しているわけではない。重要なのは話を整理すること、それだけだ。



「3人のお客さんは、みんなあの席に座ったんです。」



彼女の指が示すのは右斜め後ろ、かなり奥まった位置にあるテーブル席であった。



「あそこなの?それはかなり物好きな人たちだね。」



俺は反射的にそう答える。


このカフェの構造は、入り口部分がへこんでいる、つまりは上から見ると凹型になっている。2つの出っ張り部分に窓があり、その席では外の景色を堪能できる設計だ。


しかし、2つの出っ張り部分には大きな違いがある。


トイレ側の出っ張り部分は席が広く、エアコンにも近いため、快適な朝が過ごせるようで人気な席だ。だいたいいつ来てもあの席は埋まっている。特に時間に余裕のありそうな主婦の方やお年寄りが多いが、これは俺のあやふやの記憶なので参考にはならない。


一方の反対側の出っ張り部分、今梓ちゃんが指さした先のテーブル席はスペースが激狭である。

家具の良し悪しに差はないと思うが、本棚が背後に配置されていることもあってか、圧迫感がすごい。

さらにはエアコンが遠く、日当たりが良い夏の日は熱が籠りやすく、じりじりと照りつける日光で地獄と化すだろう。

心なしか、こちら側だけ負のオーラが流れているのではないかと感じざるを得ない。これに関しても俺の感想なので参考にはならない。


そういった理由もあり、左右の席で人気に雲泥の差があり、俺はあの席に人がいるところをほとんど見たことがない。これからの季節、暑さが増してくるとさらに座りたがらない席になることは必至だ。



「確かに、あの席を自分から指定するお客さんはかなり珍しいですね。でも、最後に城嶋さんがうちに来た日、城嶋さんもこの席を指定したんです、トイレ近くのテーブル席ではなく。」



なるほど。

やけに大事件だの殺人だのと言っていたのはそういう事だったのか。


梓ちゃんの中で疑念を抱いた核となる理由、それは”指定した席の珍しさ”にあるわけだ。もうかなり長く通っている俺が、七夕レベルでしか遭遇しないあの席の客が4日連続で現れている。そこになにかしらの因果関係を感じるのはむしろ自然なことかもしれない。



「確かに妙な話だ。城嶋さん、その席を指定するとき何か言ってた?」



「そうですね、その時の私も不思議に思っていたので、「いつもの席じゃなくていいんですか?」って聞きました。そしたら城嶋さん、嬉しそうに言ってました。「今日はこっちじゃないといけない」って。」



こっちじゃないといけない。


”こっちが良い”ではなく。



この言い回しの違和感が、俺の頭の中で引っかかった。

俺はテーブルの隅においてあるシュガーケースから角砂糖を1個拝借し、そのまま口に放り込んだ。歯でゴリゴリとした触感と甘さを噛みしめ、脳への栄養補給を完了した。



同じテーブルを指定する4人の人間。消息不明(?)になった常連のエンジニア...。


不可解な点が多すぎて八方塞がりになりそうだ。だが、そこになにか理由があるような気が俺もしてきた。


こういう場合はあれだ。

謎に目を向けるのではなく、まずは関係者の共通点を探るのも1つの手だろう。これは俺の短い探偵人生で磨いた一つのノウハウだ。


俺は立ち上がり、負のオーラを纏った出っ張り部分のテーブル席へと足を運びながら、後ろを付いてくる当事者の店員に話を聞く。



「城島さんとさっきの3人の客誰がどの時間にこの店に入ったとか、分かったりする?」



こちらのテーブルには、特に何かあるわけではなかった。机の裏や椅子の下、ざっと調べたがなにもない。机の上も、20分の拭き掃除の成果が出ているようで、上面が鏡のように反射して見えた。



「それなら、レシートを取っておきましたよ。4人とも、レシートを受け取らなかったので念の為。入った時間は分かりませんけど、会計の時間なら分かります。」



妙なところでマメな性格をしている梓ちゃんだ。仮にレシートがなかったら、おそらく時間をメモったりしてたんだろうな。

彼女がカウンターに控えているレシートを取る間に、俺はそそくさと元のテーブルへと戻る。



「はい、これが皆さんのレシートです。」



テーブルには、4枚のレシートが並べられた。




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Cafe Largo

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日付: 2024-06-02(日)

時間: 09:02


商品 数量 価格

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カフェラテ   1 ¥400

フレンチトースト 1 ¥520


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小計: ¥920

割引: -¥220

消費税 (8%): ¥56


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合計: ¥756


ご来店ありがとうございました!

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Cafe Largo

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日付: 2024-06-03(月)

時間: 07:57


商品 数量 価格

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バナナスムージー 1 ¥350

SET 1 ¥470


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小計: ¥820

割引: -¥220

消費税 (8%): ¥48


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合計: ¥648


ご来店ありがとうございました!

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Cafe Largo

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日付: 2024-06-04(火)

時間: 08:26


商品 数量 価格

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紅茶 1 ¥380

パンケーキ  1 ¥490


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小計: ¥870

割引: -¥220

消費税 (8%): ¥52


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合計: ¥702


ご来店ありがとうございました!

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Cafe Largo

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日付: 2024-06-05(水)

時間: 08:38


商品 数量 価格

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コーヒー 1 ¥450

ナポリタン   1 ¥620


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小計: ¥1070

割引: -¥220

消費税 (8%): ¥68


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合計: ¥918


ご来店ありがとうございました!

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うーん。時間が一定というわけでも、頼んだものが同じという事もないな。ここには手がかりはなさそう...ん?


俺の視線は商品の下の段、”割引”に向けられた。

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