第3話

さすがに3杯も飲むと、体温もかなり上がって来る。おまけに今日のこの湿度だ。俺はシャツを摘み、パタパタと中に空気を流し込む。



「それで、気になることってのは?」



仕事を片付け、すっかり客も来なくなったカフェのテーブル席で、向かいに座った梓ちゃんに問いかける。



「はい。実はちょっとした、いや、大きな事件が起こっているかもしれないんです!!」



いくら熱かろうと、コーヒーは冷めないうちに飲むのがマナーだ。俺はゆっくりとコーヒーを口に放り込み、そっとコップを置く。目の前の少女は鼻息荒くこっちを見ている。



「えっと、梓ちゃん?前にも似たような事を聞いたことがあるような気がするんだけど。」



この子は何かと話を盛ってしまう癖がある。それとも妙に心配性なのか。おそらく前者だとこれまでの経験から俺は判断している。


今までだと、「大事件だ!」と言って持ってきた話は、時計の落とし物であったり、猫探しの類であったりと、大した話を聞いたことがなかった。

おそらく今回も前例と大差ない話になりそうだ。



「今回は違うんです!人が、殺されるかもしれないんです!!」



いつも以上の迫力と言葉のチョイスに、カップを洗うマスターの手が一瞬止まる。

当然である。誰だって人が殺されるかもしれない、と聞けば何事かと思うだろう。自分の店で働くバイトが言っていればなおさら。


俺のように、探偵なんて妙な職についているとそんなこともない。


事務所に相談に来る人間の中にも、「殺人が起こる」と助けを求めて訪れてくる人は結構いる。

その全般は殺人の”さ”の字も出ないまま解決する事がほとんどなのだが、俺は決まってこう返すようにしている。



「詳しく聞かせてくれる?」



俺の背筋は、少しだけ伸びた。








「どこから話したらいいんだろう...。」



彼女は少しの間考え込んでいたが、俺がコーヒーを飲み終え、マスターに冷たい水をお願いしていると、天井に向かっていた目線がこちらに戻ってきていた。



「じゃあまず、時系列順にお話していきますね。えっと、緋村さんってうちの常連の城嶋庄司さん、知ってますよね?」



「うん?どんな人?」



さすがに名前だけでカフェの常連を認識できるほど、俺は社交性に優れているわけではない。というかそんな情報どこで仕入れるんだ?



「いつもあの席に座っている、エンジニアの方ですよ。ちょっと細身で眼鏡をかけてる。」



彼女の指さす先は、トイレの隣に位置するテーブル席だった。



「あぁ、あの人か。」



そこまで聞いてピンときた。俺がたまに朝早くここに来ると、毎回決まってトイレ近くのテーブル席に座って携帯を触る男が確かにいた。顔ははっきりしないが、猫背でスマホと顔の距離が近くて印象的だった。

あの人エンジニアだったのか。確かに自分の中のエンジニアのイメージそのままの人間だった。


一度だけ会話をした記憶もある。おそらくトイレに行く時に声をかけられたが、何の話をしたのかは全く覚えてはいない。


梓ちゃんは2度頷いて話を続ける。



「その城嶋さん、ここ3日間店に来てくれていないんです。」



彼女の深刻そうな声と同時に、マスターが所望の水を持ってきてくれた。俺は軽く会釈をし、一気に半分ほど喉に流し込む。

時計の秒針はとめどなく動く。



「それで、それがどうかした?」



「大事件ですよ!城嶋さん、ここ半年間毎日うちに来てくれていました。平日も休日も、雨の日も雪の日も、文字通り”毎日”です!!」



語気強く、彼女はそう訴える。



「最後に来てくれた日も言ってました。「明日もまた来ます」って。」



「なるほど。でも、急用ができたとかは考えられない?出張とか、風邪を引いたとか。」



「私も最初はそう思っていました。でも、城嶋さんが来なくなるのと同時に、怪しい客が毎日来るようになったんです!」



雨はさらに強くなって、店の中でもしっかりと雨音が聞こえてくる。テーブルから少し身を乗り出すように彼女は熱く語ってきた。俺は残り半分の水も飲み干し、マスターにおかわりを要求する。

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