第2話
店の中の客は、気が付けば俺1人になっていた。時間は既に朝の9時を回っていて、一般の人間は普通、仕事に手を付け始める時間となっているからだ。
こうやってコーヒーのおかわりをして長い朝を満喫しているのは、俺のような事業主くらいなもんだろう。
そんな独特な優越感に浸っていると、左肩あたりに痛いほどの視線を感じた。
目線だけそちらにやると、洗い物を終えた梓ちゃんがじーっと細い目で俺を見ている。今にも何かを話しそうなその雰囲気を察知し、俺はコーヒーを勢いよく飲む。
まだ少し熱く、喉が少し焼けるようなヒリヒリ感を感じながら席を立つ。
「あ、ちょっと...」
視線の元から少し遠慮気味な声が聞こえた。ような気がするが、これはきっと気のせいである。仮に本当に聞こえていたとしても、それが俺にあてたものだったかなんて分からない。
つまりだ、俺は何も知らないのだから仕方ない。
ごちそうさま、とマスターに伝えて500円玉と100円玉2枚を机におき、俺は踵を返した。カランカランとなる扉を開け、湿度の籠った空気を喰らいつつも外に出る。
「ちょっと待ってください!!」
俺の左腕は、柔らかく力強い手によって掴まれていた。
まだ、気のせいかもしれない...。
俺は振り返らず一歩前に出ようとする。その行動に比例して、掴まれた左腕に掛かる力は増していった。
これ以上強くつかまれると、普通に痛いな。
後ろを振り返れば、ぷくーっと頬を張らせた店員の顔があるのが目に浮かぶ。
俺だってもう25歳だ。人生の先輩として、20歳ちょっとの子の相談くらいには乗ってやりたいと、心では思っているのだ。
うーん。
それを凄くためらっているのは、今までの経験によるものだ。
梓ちゃんの相談事はサプライとリターンが見合わないことを俺は知っている。なんせこの梓...苗字は何だったかな。
とにかく、この子は面倒事を持ってくるのが特技であり、俺の探偵という職業と無駄にマッチングしてしまっている。
金が発生すれば俺だって責務を全うする。それが仕事を引き受けた者の義務だからだ。
しかし今、この状況において俺には何の義務もない。なんせ金が発生しない。
”金の入らない仕事は仕事じゃない”
俺の社会人としての格言である。
言い得て妙だと自分でも思っている。結局、仕事の価値はお金でしか測れないのだ。その格言に従うと、俺は仕事として何の価値もないことに向き合う羽目になるかもしれない。
まぁ、結局ここの2階に仕事場を構えている俺にとって、梓ちゃんの悩み事はいつか向き合わないといけない問題でもあるのだが...。
2度か3度、うちの職場に直接相談に来たこともあった。ここでムリに振り解いても、仕事が終わり次第2階まで雷の如く階段を駆けあがってくるのが容易に想像できる。彼女はそういう人間だ。
俺は唾を飲み込んだ。喉をうっすらとした苦味が通る。
やるのであれば効率よく、だ。
「梓ちゃん?ちょっと、痛いんだけど…。どうかした?」
チラッと後ろを振り返り梓ちゃんの顔を見る。その顔は意外にも真剣というか、深刻そうだった。
「わっ!ごめんなさい。」
はっと無意識から戻ってきた彼女の手は、俺の左腕から離れる。
「ちょっと気になることがありまして!」
急にドアップになった小さな顔から、俺は一歩後ずさりする。
ぱっちりとした二重の目とキュッと閉じた口元からは、必死さが伝わってきた。
彼女の圧が凄かったのと、マスターがコーヒーもおまけしてくれるとのことだったので、仕方なく俺は席に戻り、もう一杯コーヒーを嗜むことにした。
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