ようこそ、魔術師労働基準監督署へ!~記憶喪失少女と魔労基署長の多忙な日々~
野々宮ののの
Episode1:ことのはじまり
―――少女は突然、腕の中に落ちてきた。
◇◇◇
「……毎度毎度イヤんなるわね」
見事なまでに粉々に割れたオフィスの窓ガラスを見つめ、金色の長い髪をぐしゃりと荒々しく掻きながらため息をひとつ。
「はぁ……」
小さなオフィスにくるりと背を向ければ、一面に広がる軽やかな秋晴れ。並木を縫うように気持ちのよい秋風が吹き抜け、赤や黄色に色づき始めた葉がサワサワと音を立てている。
どこまでも続いていそうな爽やかな青空を見上げてみる。その抜けるようなキラキラとした青さが眩しい。
(空はこんなにも綺麗なのにね)
秋風が、リゼットお気に入りのニットカーディガンとチェックのロングスカートをフワリと優しく揺らして、高い空へと過ぎていく。
―――刹那、目の前の空間がユラリと歪んだ気がした。
「え……」
その少女は前触れもなく、パッと空中に現れた。リゼットにはそう見えたのだ。
立ちすくむリゼットと、その瞳に驚きの色を浮かべる空中の少女。
時間が一瞬止まったかのようにお互いの瞳が交差する。リゼットは何か考えるよりも先に、とっさに思うさま腕を伸ばした。
「おっ……、と!」
一瞬おいて、リゼットの腕にドッと重力がかかる。
お姫様抱っこのかたちで、小柄な少女はリゼットの腕の中にストンと収まってきた。抱き留めてみたら意外と軽いから、驚いた。
(羽でも生えてるみたいな軽さね……)
「うわっ!えっ!なに??」
少女は驚いて声を上げる。
暗闇のようにどんよりと真っ黒なワンピースから覗くのは、細くて透けるほど白い手足。ツヤの足りないバサバサの黒いおかっぱ頭に、化粧っ気のない色素の薄い素肌。
一見とても大人しそうに見える彼女だが……。
「あっ、えっ?あの!なんかすみません!重たいですよね!お、おりますっ!!」
腕の中で大騒ぎしながら足をバタバタ揺らすので、リゼットは彼女をそっと地に下ろした。
「いいえ、ちっとも重くなかったけど……でもアナタ、一体どこから…?」
「どこ……?どこからでしょう……?」
2人はぽかんとした表情のまま、立ちすくんで青空を仰ぐ。
「空から落ちたのかしら……」
澄み渡った秋空に、小さなスズメが連れ立ってパタパタと呑気に飛んでいくのが見えた。
のどかな空には異変ひとつない。
「変ね。アナタ魔術師?お名前は?」
「えっと」
言葉を発しようとして、少女はあることに気付きゾクリと身をすくめた。
(なにも出てこない)
頭が真っ白。
「私の名前……名前……あ、あの!私の名前って、なんでしたっけ!?」
◇◇◇
「は?……お名前が、お分かりにならない」
「はい」
「お住まいとか」
「……」
「年齢とか」
「……」
「ご職業とか」
「ええと、一切思い出せない感じですね。うわ」
少女は困り果てて、頭を抱えながら周囲をぐるっと見渡す。重たい墨色のワンピースの裾が揺れた。
視界に入ったのは秋色の街路樹と、白い小さな建物。なぜか建物の窓ガラスは粉々に割れているが、それどころではない。
(おかしい。何も思い出せない……)
ゾワゾワとした恐怖が足元から自分を蝕んでいくみたいにゆっくりと這い上がってきて、そのまま少女はクラリとめまいを起こしてしまった。
まるで自分の体が誰か別人に乗っ取られてしまったみたいに思えて、ガクリと力が抜けてフッと意識を失いそうになる。
「あらま、大変」
リゼットはとっさに少女の背中に手を当てて支えつつ、「うーん?」と声を出して思案した。
「なんだか放っておけないから、ちょっとおいでなさいな。……窓が割れてるような酷い所で申し訳ないけど」
リゼットは返事を待たずに小柄な少女をヒョイともう一度お姫様抱っこする。そして、〈魔術師労働基準監督署〉と記された小さな木造オフィスのオンボロ扉を、片足で強引に蹴り開けた。
【次:↓第1章「記憶喪失の少女」へ↓】
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます