Blind-Bruise

@clownfish

Blind-Bruise

私は父が嫌いだ。父を形容するなら、合理的とか理知的とかが正しいだろう。


父は、やること為すこと全てが自分の家―アシュクラウド家―の為だった。

それが利益になると踏んだ時なら、悪党と繋がりを持つこともあった。


自分のことさえ顧みずに家のために尽力する姿に、私は『人間らしさ』を感じられなかった。

何を訊いても外套を深く着込むように感情を見せないところも、気味悪さに拍車をかけていた。


そんな父にとって、私は合理的とはかけ離れた存在と言えた。母が顔に痣を持った赤ん坊一人を産み落として産死し、跡継ぎもおらず嫁に出せない娘一人の状況となったことに父は絶望したのではないか。


父が私を娘として見たことは、ただの一度だってなかっただろう。


貰っていないものを返すことなど出来るはずもなく、私も父に愛を向けることは終ぞ無かった。


だが私は、他でもない父が選んだ見合いの相手に嫁いでいる。


見合いの相手は、家の箔の為に名家かつ顔に痣のある女を受け入れてくれる家である必要があった。そんな条件に合った相手が、視力を失って跡継ぎから降ろされたシャルル家の長男シャルル・ペロー、現在の私の夫だった。


従者一人と無駄に多い嫁入り道具を持った私を迎えたのは、街から少し離れたこぢんまりとした

家屋と、柔和な笑顔を浮かべる夫。


彼は、目が見えないことなど感じさせないくらい朗らかな人柄をしていた。


彼がくれたのは、今迄誰にも愛を向けられなかった私が初めて感じ取れる愛だった。


最初は私も戸惑っていた。こんなに愛を感じるのは初めてだったから。


顔を知らないからだとか、ネガティブなことも思い浮かんだ。


だが、次第にそのようなことは考えなくなっていった。

夫を愛せるようになれたから。満たされるようになれたから。


私にとって夫は、愛を教えてくれた人でもある。


そんな夫の、見えなくなった目を治せると聞いたら、涙を流して喜ぶのが普通だろう。





「目ん玉のところに悪いもんが入ってますね。それを取り除けば、目も見えるようになることでしょう。そんな難しい手術でもありません。明日にでもやってしまいましょう。」


旅医者を名乗る男は、夫を診てそう言った。


目は神経が多いと聞くが、難しくないと言うところ腕の立つ医者なのだろう。


『目が見えるようになる』と聞いた途端、空気が変わるのが感じ取れた。

本人も周りの者たちも全員嬉しかったのだろう。


私が嫁に出たときについてきた従者のブーフィも、「よかったですね」としきりに言っている。

私はというと、あまり実感が湧いていなかった。


「特に言っとくことは無いですが、強いて言うなら早めに寝といてくださいくらいですかね。それじゃ今日はこれで」


そういって医者が出て行った後も、部屋はいつもより賑やかだった。


私はどうも一緒になれずに、そっと部屋から抜け出して風に当たりに行く。


ブーフィも出てきたが、何やらお金を持ってどこかへ行ってしまった。

何か買いに行くのだろうか。彼女が一人でどこかへ行くのは珍しい。


私は一人でベランダへ歩く。一歩を踏みしめる足音が、やけに大きく感じた。


(夫の目が見えるようになってシャルル家の跡継ぎに戻ったら、当主の妻として暮らしていくのかな…)


なんて頭では考えていても、自分が大きい家で暮らしたり、多くの従者を抱えたりする姿はどうしても想像することができなかった。


夏にしては冷たい風が、私の頬を撫でる。


風に揺れる蠟燭の火が、私の心を映しているように感じられた。


頭上では、鳩が呑気に翼を広げていた。





医者の男が家の門を叩いたのは、翌日ではなく今日の晩のことだった。


「すみません、泊まっていた宿で野党の襲撃に遭い。通りすがりの方に助けていただいたんですが、彼らはどうやら私を狙っているようで。一晩泊めて頂けませんか」


申し訳なさそうに言う男は、疲れている様子だった。


家の者たちは、驚きつつも彼が泊まる用意を始めた。


その夜、私は夫に晩酌に誘われていた。


以前から二人で飲むことはあったが、手術の前日となればそういう意味もあるだろう。


幼い頃から光を映さなかった目が、ある日突然見えるようになると言われるのだ。

思うことが喜びだけとは限らないだろう。


夫が、ぽつり、ぽつりと話し始める。


「私は、さっきの話…少しおかしいと思うんだ」


手術の話ではないのか、と少し拍子抜けする。


「おかしい、ですか?」


「そうだ。旅医者殿は、野党が自分を狙っていると言っていた。だが彼は、失礼だが金持ちでは

なさそうだし、野党の恨みを買うことだってそうそうないだろう。しかも、彼は旅をしているのだから、わざわざ街にいるときに襲う必要はないだろう、急いでいない限りは。つまり、誰かに金で雇われた可能性が高いと思うんだ。」


夫の見たことのない雰囲気と止めどないに、少し気圧される。


「もし仮に、旅医者殿を今日中に襲撃する必要があったとすれば、明日の手術が関係しているんじゃないのか。でも、手術のことを知っている人間は限られているよね。それこそ、この屋敷に住んでいる人とか。彼が屋敷から出た後、君とブーフィだけが部屋から出たと聞いたよ。君がベランダに一人でいたともね」


もしかして夫は、誰が起こしたことか目星をつけているのではないか?


そんな疑問が頭をよぎる。なら何故私と二人きりの状況で話したのか。


そんな思考は、夫の言葉で動かなくなってしまった。


「野党を雇ったのは君じゃないのかい?」


思考が止まる、息が詰まる、視界が歪む、汗が噴き出す。


まさか、ばれるなんて思ってもみなかった。


どうしてわかったんだろう。ブーフィの可能性だってあったはずだ。


「目が見えるって聞いたとき、君だけ嬉しそうじゃなかったよね」


あんな少しのことで分かってしまうものなのか。


私はたった一言のために声を絞る。


「……ごめんなさい」


言った瞬間、堰を切ったように涙が溢れてくる。


「理由を聞いてもいいかな」


夫は、宥めるように優しく語り掛ける。


「私…、顔に痣があるから……、それ見られたら…嫌われると、思って」


夫は、私の慟哭をずっと背中をさすって受け止めてくれていた。


私は、夫の胸を借りて長い間泣き叫び続けた。。


少し落ち着いた頃に、夫がふと呟いた。


「君は、僕が顔に痣があるくらいで君を嫌いになるような薄情な人間だと思っているのか?」


「っ、そんなことは―」


慌てて否定する。彼の人の良さは私が一番よく知っている。


そんな彼が、薄情などと思うはずがない。


「ならさ、信じて待っていてくれないか」


「ぇ——」


一瞬、言われた意味が理解できなかった。私は許されたのか?


彼の妻としていることを認められたのか?


未だ思考が完結しない私の体が、強く抱きしめられる。


隙間などつくるまいとでも言うような強さに、思わずまた涙が溢れる。


私は、私が思っているよりもっと愛されていたんだ。


それが解った瞬間、私の涙はまるで聞かん坊のように溢れ続けた。

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