第20話
「クラリス、お風呂に入って来なさい。今日は念入りに洗ってくるのよ」
「はい、義母様」
義母の強い眼光に気圧されながら、クラリスはお風呂に入り終えると脱衣所で体を拭き、着替えを確認するといつも用意されているパジャマではないことに気がつく。真っ白なワンピースだった。
「誰かいますかー? あれ、人の気配がない。間違えたのかな」
間違えかと思い、声をかけてみるが反応はない。
裸で歩き回るわけにはいかないので、ワンピースに着替えると、自室でパジャマに着替えようと向かうが途中で鎧を着た怪しい男達が現れる。
「誰……ですか?」
無言のまま近寄ってくるため、クラリスは当然走って逃げるが、逃げる先にも人が現れて最終的にはリビングへと誘導される。
リビングでは父であるロデリックが独特の匂いのタバコを吸いながら、義母が怪しげな男と談笑をしている。
「お、お父様!」
父に縋ってはみるが反応は薄く、義母と男が満面の笑みで近寄ってくる。
「これは伯爵様もお喜びになるでしょう。このような無垢な子供大好きですからね」
「しかもこれまで幸せいっぱいな環境で育ってきたお嬢様よ。満足したら上乗せを忘れないでね」
唐突な出来事ではあったが、優秀であるがゆえにクラリスは自分の立場を理解してしまう。
「お父さん……」
無反応な父親はタバコを吸い続け、クラリスに視線を向けることはなかった。
自分が売られたことを理解して、空の樽の中に押し込まれることになる。
樽を持った商人達は邸宅から馬車で出て行き、待機していた偶然を装った衛兵に荷物チェックをされるが、二重底となった樽には気がつけず、そのまま馬車は街の出入り口へと進んで行ってしまう。
『ご婦人、どこかでお会いしましたね? なんか薄くない? ちょっと待っておれ! おーい! エリ、小娘よ起きろ! ご飯だぞ! アップルパイもつけるぞ!」
「……うるさい」
『やっと起きたか。客人だぞ』
眠い目を擦りながら、人ならざる客人を見上げる。
いつもクラリスの側にいた女性が立っていたが、言葉も発することができず直ぐに消えてしまう。
ただその唇は『助けて』とだけ動いていた。
『消えてしまったな』
「……守護してる人は普通、離れられない。無茶をした」
寝巻きにスリッパのまま、グレイ家の家紋が刺繍された外套だけ羽織り、窓から華麗に飛び降り、駆け出しながら口笛を吹くと、ロバが走ってくる。
勢いをそのままにロバにしがみつく様に跨ると、向かう方向だけ指を刺す。
少し遅れて、リリーが転げながら飛び出してくるが、既にロバは高い塀を飛び越えていた。
「お嬢様! どこに行くんデスか!」
戦闘民族の末裔でもあるリリーの身体能力は常人のそれとは違う。長距離であればともかく、二、三キロほどの距離だったら馬よりも早く駆けることができる。
できるのだが、一向にロバに追いつく気配がない。
「天馬のハーフって冗談じゃなかったんデスかー!」
走りながら、主人より預かっていた玉に火をつけて空高く投げる。
大輪の赤い花火が開いた。これが開戦の合図になるのを知っている人間は数くない。
「街の門、急いで」
「うひん!」
主人であるエリの言葉をロバにも関わらず理解し、深夜の街を走り抜ける。
「ショートカット」
「うひん」
空高く飛ぶと、建物の屋根を伝って飛ぶようにして走る姿はまさに不細工な天馬である。
上空から降り立ったロバに衛兵が驚き、その場に三人ほどいただが二人は尻もちをつく。
「だ、誰だ貴様は!」
深緑の美しい髪が月明かりを反射し、力強い左右違う色の瞳が見据えてくる。
自分が誰であるか証明をするように体の前方にマントの一部を見せつける。
「賢者様の? お嬢さん?」
「おい、何をしてるんだ! 早く荷物チェックして出させてくれよ! 通過の許可はもらってるんだ!」
「それを通してはダメ」
「なんだと小娘!」
体格の良い護衛らしき男と、商人、ローブを羽織った男の三名が車内と荷台から降りて威嚇するように出てくる。
「返して」
少女の言葉にまずは護衛の大男がナイフを取り出し切り掛かってくる。それを援護するようにしてローブの男が魔法を展開する。かなり遅れて衛兵達も動こうとするがかなり遅い。
そんな中で一番早かったのはエリだった。向かってくる大男の懐に入り込むと掌底を打ち込み、魔法での攻撃を受けないように、大男の巨体を盾にしながら、魔法を素早く展開する。
細い線、糸にも似たものがローブの男の四肢を貫き、行動不能にさせる。
「なんだこれは! 戦士と魔導師相手にこんな子供がぁ!」
「返して」
一瞬の出来事だった。小さなが子供が大の男を掌底だけで倒し、魔導師よりも早い速度で戦いながら展開をした。
次はお前の眉間を撃ち抜くぞと、指先を額に向けられると、商人の男は数個の樽を下ろして少女達をどんどん出していく。
その中にはクラリスもおり、へたり込んでいた少女をお暇様抱っこするとロバに乗せて立ち去ろうとする。
「ちょ! ちょっと待ってください! 流石に少しお話を聞かせていただきたいです!」
致し方ないが、ほとんど役に立たなかった衛兵が今更になって仕事をしようとする姿に、エリは大きな舌打ちをする。
少女に舌打ちをされて、大人三人が涙目になる。
「お嬢様!」
ヤッホー、ここだよーと手を上げるエリにやっとリリーが合流する。
「ご無事だとは思ってましたが、心配しましたヨ」
「……ごめん」
「クラリスさんも無事で何よりです」
「あの、お話を聞かせてもらえますでしょうか。お願いしますぅ」
「……任せた」
「お嬢様ぁ!」
リリーの静止を振り切り、ライアンと共に逃げ出す。
向かった先は街が見える小高い丘の中、小さい森があるスペース。
「……ここで前はよく寝てた」
ロバにクラリスを残して、エリは木に登っていく。
太めの枝に抱きつくようにして、巻き付くエリ。
「……羨ましい」
唐突な言葉についていけない、クラリスだったがエリの言葉に涙が溢れてくる。
「何が羨ましいって言うんですか! 父に売られたんですよ!」
「私も捨てられたし、売られそうにもなった。誰かに愛されることなんてなかったけど、クラリスは愛されてたよ。お母さんが助けてくれた」
「意味がわからないです」
「見えない物が見える。お母さんが来たよ、助けって」
飲み込むことができないクラリスは木の上に登ったままのエリを見上げる。
ふざけている様子もなく、真剣な瞳で見下ろしてくるエリを見て、クラリスは薄く笑う。
(嘘じゃないのかもしれない)
「大丈夫。なんとかなるよ」
噛み砕いてしまえば、この世界ではクラリスに起きた不幸などは少なくはない。それ以上の不幸もあるから元気を出すようにと、遠回しの励まし、エールだ。
「励まし方が雑なんです」
「ごめん」
「助けてくれてありがとうございました」
泣いていた少女に歯に噛むような笑顔が戻った。
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