第9話
エリ・グレイの日常に変化か生じる。本の整理をしながら読書に興じるだけだった生活だったが、礼儀作法をはじめ、淑女として必要な教育が開始される。
「……魔法全然関係ない」
ゆっくりとした拳法のような早朝の運動を新しい母、年齢的には祖母と言ってもいい、ミリア・グレイとトレーニングをしながら愚痴を呟く。
「お前は魔術的なことは家にある本をほぼ読み切ってわかってる。賢者の娘ともなれば最低限の礼儀も必要だ。最終的には圧倒的な力があれば協会の連中に舐められはしないものの、やるやらないは別として、知らないと知ってるでは大きな差がある。本に書いていること以外も学ぶ必要はある」
「……わかった」
渋々承諾をした。はずだったが、数日後にはリリーが屋敷の中を駆け回ることになる。
「ご主人様、お嬢様がまたいなくなっちゃいました。今日はダンスのレッスンだったんデスが」
「あの娘は……それでレッスンは何回目だった?」
「まだ二回目です」
「そうかい」
ミリアが指を鳴らすと、こっちだと迷わずに歩を進めて行く。立ち止まり、指差したのは屋根の上。
リリーが慣れた手つきで、専用の器具を取り出すと屋根裏に続く階段が出てくる。
「まさか、屋根裏の存在に気がついていたなんて、驚きデス。あー! お嬢様!」
屋根裏に小動物のようにクッションとお菓子、紙とペンを持ち込み、ゴソゴソと動いている、巨大なネズミもとい、エリいる。
ネズミは女主人の元に引っ張り出されると、レッスンをサボったことを反省するでもなく、今度はもっと上手くやると死んだ魚のような目をしている。
「ついておいで」
リリーがエリを抱えたまま、ダンスを練習するための部屋に連れて行かれる。
部屋には手伝いとしてか、マイケルも待機をしている。
「試験をしよう。一発で合格できれば新しい種類のダンスを覚える必要がない限りは、免除とする」
免除という言葉にエリは反応し、流される音楽に沿って見事なダンスを披露する。
マイケルとリリー夫妻はそれを見て驚いているが、ミリアは思った以上に平然としている。
夫婦にはエリの能力も話てはいたし、記憶力が良いことも理解はしていたが、実際に目の当たりに改めて驚愕することになる。
エリが合格を伝えられると、スキップしながら部屋を出る。
提出前には屋根裏はやめろと、母であるミリアに釘を刺されたのは言うまでもない。
「自信を失うことはない。あれは傑物の類だよ。あの子は自分にはもう必要ないと思ったからレッスンをしたくなくて逃げたんだろう。それを普通に会話ができれば尚いいんだけどね、その辺は性格面の問題もあるんだろう」
「一度しかダンスを見てないのに、驚きました。流石はご主人様が認めたお嬢様だ。俺らとは出来が違いますね」
「これからのレッスンや訓練については試験式にする。試験を受けるか受けないか、聞けばあの子が判断をするだろう。飴と鞭も重要だね。リリー今回はダンスのレッスンの合格祝いに外に買い物でも連れて行ってやりな」
「かしこまりました。お嬢様は外に出たがるか、心配デス」
「簡単なことだよ。美味いものが食えると言いな」
ミリアが言う通りに、今日のお昼は外で好きなものを食べてよいと話すと大喜びで外に出ようとするが、外行きの服装ではなかったため、リリーに着替えを強制される。
ヴァレンウッドは観光地であり、観光する場所は基本的には誰でも気軽に行けるような作りになっており、あとはお金持ちのエリアと、そこそこのお金も持ってる人のエリアと大きく別れている。
賢者が住む家は非常に広いが、エリアとしてはお金持ちエリアではなく、自然が残るそこそこのエリアに佇んでいる。
その理由から、徒歩では当然に時間がかかるので、外行きのどこに出しても恥ずかしくないお嬢様スタイルに変身を遂げる。地味めな服装ではあるが、生地の仕立ての良さが見ただけでも伝わってくる。最後にはエリのために作られたであろう、髪色と合わせた紋章入りの深緑のマントを羽織る。
着替え終わった後には街の側まで馬車を出してもらい、エリの希望で下町や観光地、庶民のエリアは広がる噴水の広場で馬車を降りる。
リリーが日傘を広げてエリの斜め後ろ、邪魔にならない速度でスマートに付き従う。何を言うでもなく、エリが迷うことなく、向かったのは野菜を販売している店の隣にあるパン屋である。
パン屋が混み合うのは早朝と晩飯時が一般的だが、向かった店は昼間だというのに長蛇の列ができていた。
エリは首を傾げる。店を間違ってしまったのかと、改めて周りを見渡すが、間違いないと頷き、ガックリと項垂れる。
「おい、あの傘の紋章って賢者様の従者じゃないか?」
「あの綺麗な女の子見ろよ。噂になっている、賢者様の弟子で新しいお嬢さんじゃないのか?」
エリの存在に気がついた人々かゴニョゴニョと話しながらエリ達に視線を向ける。
「今日は売り切れ! 店終いだよ! 帰った、帰った!」
売り切れを知らせるために女店主が店から出て、完売を知らせながらベルを鳴らす。
並んでいた人達はベルの音を聞いて慣れたものなのか、横目でエリ達を見据えながら早々に解散を始める。
完売の知らせを聞いてエリも肩を落としながら、その場を去ろうとすると、女店主が傘に記載の紋章や、エリのマント紋章を確認して、大慌てで声を掛けてくる。
「ちょ、ちょっとお待ちください!」
エリの前に出る女店主はまずは首を傾げる。
紋章を纏っていることから、少女が噂の賢者様の娘であることは直ぐに察知できる。
そのお嬢様が見たことがあるような気がする。何故か、どこで見たのか、店主は挨拶の前に首を傾げて考え込む。
そんな店主の混乱を他所に、そのお嬢様は手を小さく上げて見知ったような挨拶をしてくる。
「あの、失礼ですが賢者様のお宅の方ですよね?」
「はい、こちらはご主人様のお嬢様デス。私はその従者デス」
「お嬢様には失礼ですが、どこかでお会いしたことありますか?」
「……パンを買いに来てた」
抑揚がない、やる気のなさそうな声を聞いて、女主人は顔を白黒させる。
「ひぇええ!」
「ご心配なく、お嬢様は身を偽っていたわけでなく、本当に最近まで物乞いをしているただの少女でしたので、失礼があったとしても過去のこと。心配はしないでください。ね、お嬢様」
「……パン売り切れ」
「ぱ、パンの切れ端でよいならありますけど」
お嬢様が満面の笑みを浮かべて、食べたいと訴え掛けてくる。
女店主は困惑しながらも、お嬢様一行を店内へと案内する。エリは実際には入ったのが初めてのためか室内を見渡した後に店内に設置された椅子に腰掛ける。
少しして店主が持ってきたパンの切れ端を受け取ると、パクパクと口に運び食べ始める。
「……美味し」
「本当にあの時のお嬢ちゃんが……あんた出世したねぇ。あっと、これは失礼しました」
「お嬢様が不快に思わないなら、問題はありません」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます