第5話
朝日が上る前には布団からモゾモゾとエリが顔出す。
『早いではないか。それでは朝の運動であるなぁ! あの小娘がもう起きて動こうとしている、あれは私が考案した実戦的な内容だ。お前も真似をするがいい!』
エリは渋い顔をして布団に潜り直すが、幽霊相手には通用はしない。
布団をすり抜けておっさんの顔が眼前に迫ってくる。
『よいか! 私のような素晴らしい大賢者になるにはまずは健康的な生活だ! そしてお前は魔力も私と比べれば乏しい。だからこそ、魔力を増やし、効率的に魔力を運用するためには必要なことでだ−−』
−−煩いと言わんばかりに仕方なく、外に出ると庭で既に行動を起こしているミリアを確認する。
一瞬だが目が合ったものの、直ぐに目を逸らされてしまい、ミリアは踊りでも体操でもない、拳法のような動きを始める。
エリは最終的に動き出すことはなく、それをジッと眺めているだけだった。一つ一つの動作に意味があるのか、終わる頃にはミリアはびっしょりと汗をかいていた。
朝のトレーニングが終了すると、ミリアは大浴場に向かう。
既にリリーが待機しており、着替えなどを用意してくれていた。同じく着いてきたエリを見て、少し驚いてはいたがエリの分のタオルも直ぐに用意し始める。
ミリアは無言で雑に服を脱ぎ捨てると、大浴場に向かおうとするが、着なれない服を着ているためか、エリはモゴモゴと動いて上手く服を脱ぐことができない。
軽く目頭を抑えた後に、エリの服を脱ぐのを手伝い、一緒に大浴場に入る。
ミリアが自分で体を洗い始めると、それに倣ってエリも石鹸で体を洗い出す。
髪も軽く流すと、内湯に大きな息を吐きながら浸かる。
「うー」
その所作を見てエリも同じく、うーとババくさい所作を真似する。
「馬鹿にしてるのか?」
何が? と言わんばかりのエリの反応で、ミリアはそれ以上の追求をやめる。
風呂から上がり、髪を洗って、体を改めて流して、タオルで軽く水分を拭き取り、脱衣所に入ると大きなタオルで体を拭き、巻き付けてから、魔道具で髪を乾かす。
そんな一連の流れをエリも同じように真似をする。
「お前は馬鹿に見えて、本当の馬鹿ではないんだな」
自分が使い終わった魔道具をエリに渡して、ミリアは身を整え始める。
タイミングよく、リリーがエリ用に新しい服を持参してやってくる。
「服は慣れてないようだから、手伝ってやりな」
「かしこまりましたデス」
ミリアが席に着くと、ヘレナが用意してくれた新しい魔術論文を片手にコーヒーを口に含む。
「早速、弟子に教えを与えていたんですかぁー?」
「勝手に着いてきただけだよ。今日は朝食が終わったら役所に行くよ」
「わかりましたぁー」
リリーがエリを連れて食堂にやってくると、円卓には朝食が並べられ始める。
「昨日は夕食後だったからお前一人だったが、我が家では特別なことがなければ使用人を含めて全員で食事をとる」
「……わかった」
朝食の準備ができる間に、並べられる食事に夢中のエリに対して幾つかの質問をしていく。
生まれた町の名前、両親のことなどを不躾に聞き進める。
エリから出てきたのは片田舎にある村の名前くらいで、母親の名前すらわかっていなかった。
質問をしている間に、焼かれたパンに目玉焼き、ソーセージにサラダ、牛乳とシンプルな朝食が並べられると、昨日はいなかった二名の男も席に着く。
日に焼けたハゲの大柄の男と、エプロンをつけた温和そうな優男。最初にハゲが口を開く。
「自分はヘレナの夫でウィリアムです。よろしく、新しい魔女様」
「僕はここの料理を担当している。マイケルです、魔女様はご飯が好きと聞いているで要望があれば行ってください」
エリはハゲを無視しつつ、椅子から降りると、マイケルの両手を握りしめて目を輝かせながら振り回す。
「あらあら、エリ様に気に入られたみたいねぇー。浮気はダメよー」
「母さん、何を言ってるんだよ! 違うからね、リリー!」
「やきもち妬いちゃいそうデスね」
ヘレナもリリーも本気ではないためか、ニヤニヤと笑み見せるが本人となる、マイケルは少し焦りをみせて、顔を赤くする。
「騒いでないで、食べるよ」
主人であるミリアの号令で朝食を食べ始めるが、エリが食事を口にする度に驚き、喜び、子供らしい表情を見せる。
「可愛らしいデス」
「そうだね。僕らの子もきっと可愛いよ」
「お前ら二人は朝からお盛んなことだね。今日はヘレナと外に出てくるから、リリーはその子に最低限のフォークやスプーンの使い方を教えな。後は字の練習だ」
「かしこまりましたデス」
朝食が終わると、リリーは洗い物もあるため先に字の練習と勉強兼ねた基礎的な魔術書をエリに手渡す。
「勉強と字の練習にもなる。お前がどの程度かわからないが、まずはそれで練習しな」
エリはつまらなそうに本をパラパラとめくり終わると、本を閉じて写本兼、字の練習を始める。
それを少し見届けて、ヘレナを伴って外に出る。
外には既に車が用意されていた。この世界にも数台しかない貴重な移動手段の乗り物に雑に乗り込むと、ヘレナが運転席に座り、車は動き始める。
「見たかい、ヘレナ」
「えー、何をですかぁ?」
「わかっているだろう。あの娘、本を数十秒めくっただけで、本を見ずに写本を始めたよ」
「驚きですよねぇ」
「あの子は平然としていたけどね。他にどんな力を持っているのか、年甲斐もなく少し楽しくなってきた」
車を走らせること、十五分。
お目当ての役所の施設に到着すると、中から大慌てで数人の職員達が出てくる。
「け、賢者様! これはどうされましたでしょうか?」
「子供を雇い入れることになったから手続きをね」
「そんな些細なことであれば私どもが赴きますのに!」
「そんな些細なことに、そこまでの迷惑をかけるつもりはないよ」
ヘレナが車を空いているスペースに動かしている間に応接室に案内され、手続きを進めるためにエリの特徴をいくつか話をする。
世界的に戸籍はそれなりな管理をされてはいるが、小さい村の出身の者や、探索者、娼婦など子供が生まれても手続きを正式に行い者も多く、曖昧な部分はある。
ミリアが開発したものではあるが、髪の毛や血などを元に個人情報を特定、登録できるようなシステムが開発され、近年ではそれなりの上流階級の者からではあるが順次登録を進めている。
「賢者様の作っていただいたシステムに登録もなかったですし、聞いた村もかなり小さい村で既に消滅しているようで、戸籍の登録も確認ができませんでした。孤児ということで、こちらで新しい戸籍と証明書の発行を進めさせていただければと思います」
「保証人は私でいいよ」
「賢者様が保証人ですか! か、かしこまりました」
入れ替わりでエレナと衛兵長と孤児院の院長が入ってくる。
「あらあら、ご主人様直々にでよろしかったんですかぁ?」
「問題でもあるのか?」
「いえいえー。うふふ」
「それで、衛兵長と院長が揃って何用だい? 私はどこかの衛兵と違って子供売買なんてするつもりはないけどね」
衛兵長は敬礼をしながら固まり、大量の汗を額に浮かべる。
「賢者様のお膝元で、大変な事件を起こしてしまい申し訳ございませんでした」
「終わったことは仕方ない。被害者の調査も進んでいるんだろうね」
「勿論です! 中には亡くなってしまった子供もいまして、最大限家族にはフォローをするつもりです」
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