悪魔のような天使

道化美言-dokebigen

悪魔のような天使

 日中、ふわふわの雲に黄金色の輝きが美しい天界には現在、深夜特有の満天の星空が広がっていた。まだ天使たちの多くが寝静まっている時間にひとりの天使がふらりと姿を現す。

「何が『君の働きに期待している』だ。くそっ、だったらアタシひとりに任せろっての。……まあ、でも」

 陶器のような少し血色の悪く青白い肌に、天使のものとは思えない黒い四対の翼と、漆黒のロングストレート。インナーカラーで冷たい赤が髪を染めていた。そして、血のような切れ長の赤い目が鋭く光り、誰もいない夜闇を睨みつける。

 すらりとした身にまとう服は、白いシャツにサスペンダーで繋がれた黒の短パンというどこかのお坊ちゃんが着ていそうな物だ。

 軽装で純白の道を闊歩する少女ニルは天使らしからぬ猟奇的な笑みを浮かべ、頬を紅潮させていた。

「うふ、あっはは! やっとだ! 今日こそあの憎き天使を屈服させてやる!」

 女性のものにしては少々低いダミ声が、天使にしては少々はしたない声が響く。怒りと歓喜を詰め込んで煌々と輝く、グラスに注がれた赤ワインのごとき目は静かな夜の中でじわじわと熱を溜め、揺らめいている。興奮からニルが得意とする闇魔法がオーラとして漏れ出し、握りしめた手には黒煙がまとわりついていた。

 待ち合わせている相手が来るであろう方向を見据えたまま黒煙を振り払えば、地に咲いていた花の茎が折られ頭が落ちる。

「チッ……。遅い。このアタシを待たせるとは一体どういうつもりだ? ただでさえアイツと組むのは嫌だっていうのに」

 ひとしきり笑った後、子供のように無邪気で残虐な笑みを引っ込めて、つまらなさそうに口を窄めては悪態をつく。絡まることのない長い黒髪をかき分け、うなじに刻まれた二番の数字をかきむしった。

 悪しき者から天界を守護する戦士。数多の戦士たちは羽の純度と実力によって立場が決まる。黒い翼を持つにもかかわらず二番目の位を持つニルはこの日、日頃から目の敵にしている同期と堕天使の始末という任務のペアを組まされることになっていた。

 嫌がらせのつもりで五分遅れて待ち合わせ場所に来たニルだったが、まだ姿がない今日限定の相方のせいで結局暇を潰す羽目になる。一つ、二つと足元で薄ら発光する花を細長い足で踏みつける。淡い色だった花は黒く染まる。いくつかの花を潰し、無色透明の花弁を持つ花を踏みにじれば、汚れ潰れた花を見て顰め面は歪み、再び三日月のように口角が持ち上がっていった。

「ニル、花をいじめちゃいけないと何度言えば分かるの?」

 ふと、背後から聞こえたソプラノの声に憎悪を込めた満面の笑みでニルが向き直る。

「おやおやおや! やぁっと来たか、待ちくたびれたよ。良い子のスペスちゃんは悪魔の子でも寝かしつけてたのかなぁ?」

 四対の大きな翼を広げ、威嚇しながら口元に手を当ててキャハキャハと嘲笑する。

「よく分かったね。悪魔ではないけど、最近生まれたばかりの子の付き添いをしていたの」

「あっそ」

 現れたのは、ニルよりも少し小柄な少女。天然パーマが入った雲のようなふわふわで色素の薄い金髪に、おっとりと垂れた金の瞳。白のワンピースと、血色が良くも雪のように白い肌が天使らしい愛らしさと儚さを演出する。瞳の色と同じ金色の天使の輪が頭上で暖かい光を発していた。

 そして、黒い翼を持つニルとは全く違う、星々の輝きを反射させる無色透明で大きな六対の翼。

 相変わらずの天使らしいスペスの容姿と口調にニルは顔を顰める。

 そんなニルに距離を詰め、スペスが彼女よりも少しばかり高い位置にあるニルの腰へ腕を回し、そっと微笑んだ。

「ニル、今日はよろしくね。もう百年ぶりくらいじゃない? 一緒にお仕事するの」

「ハッ、誰がアンタとよろしくするかよ。アタシひとりでできるっての。大体、アンタに任せたらどうせお慈悲とやらで殺し損ねるだろ」

 邪魔するな、そう言って手を振り払い歩き出したニルの背にスペスが一つ交渉を持ちかける。

「そうね。せっかく久しぶりに組めるんだし、ゲームをしましょ。先にあの子を解放してあげたほうが勝ち。わたしが負けたらニルの願いを一つ叶えてあげる。だからニルも。わたしが勝ったら、またお友達になって?」

 救世主のようにすらりとした手を差し伸べたスペスにニルは、はためかせていた翼をしなりと下げ、硬直した。

「……なんて言った? いつも悪魔にさえお慈悲を与える天使様が、今回の任務をちゃんとこなせるって? 元お仲間を殺せるって? その上嫌われ者のアタシと仲良しごっこをしたいとか! あはっ! 冗談よせよ! ほんと、ふざけるな。お飾りのアンタにできるわけがないだろ」

 感情的に嘲笑うニルに、スペスは目を閉じておもむろに口を開いた。

「ニルと違って無駄な殺しをしていないだけよ。悪魔だからって誰も彼も殺してしまうのは、なんだか違うでしょう? それに、ごっこじゃないもの」

「ふーん、あっそ。これだから甘ちゃんは。戦闘中にそんな手加減してるといつかホントに殺されるかもな? なんならアタシがその息の根、止めてやろうか」

 闇で短剣を作り出し、刃先をスペスの首元に向ける。

 一瞬の静寂。それは刃に手を添えたスペスによって壊された。

「もし、わたしが負けたら試してみてもいいよ。ニルには無理だと思うけど」

「……おい。それ、どっちの意味だ?」

「んふ、どっちも?」

 くすりと穏やかな笑みをこぼすスペスに、ニルの額へ青筋が立つ。

「チッ、分かったよ。精々そのお綺麗な心とやらで足掻いてみろ天使様! その代わり、アンタが負けたら二度とアタシに関わるな」

「うん、いいよ。それじゃあ裏切り者の始末に行こっか」

 

 競うように天門を潜り抜けた先、手当たり次第の悪魔を消し飛ばす堕天使の姿があった。

「アイツ、自我失ってんじゃん」

「強大な力は身を滅ぼす、って言うものね。可哀想に」

 はらり。スペスの頬を一筋の涙が伝う。暗がりの中で透明の羽が虹色の輝きをまとって広がり、涙は光のレイピアを作り出した。

「さすがトップの天使様。見た目だけは派手だなぁ! その細剣を使う前にアタシがアイツを殺してやるから安心しな」

 光に気づいた元九番の堕天使は悪魔たちを振り切り、勢いよくスペスに向かって飛んでくる。

 堕天使から放射状に放たれた液体の闇魔法は、ニルが軽く手を払っただけで地上へと落ちていく。その上黒煙で視界を覆ってやれば、簡単に喚き散らし無差別に攻撃を始めた。攻撃の中には光魔法も混じっており、氷柱のような光がニルの肩をつぷりと貫いた。

「ニル! ひとりで行かないで、危ないでしょう!」

「少し掠っただけだ。治癒でもしてみろ、先にアンタをぶっ飛ばすからな!」

 スペスと連携を取らないまま、光魔法を避け、闇魔法を相殺し、隙を見て魔法と物理ともに攻撃を仕掛ける。後ろからスペスの援護も入るが、激しく魔法を撃ち交わし飛び回るニルに、中々応戦できないでいた。

 しばらくは戦闘経験が豊富なニルが優勢に立っていたが、何故か次第に闇魔法が通らなくなり現在ではニルが押されていた。

「ああ、くそっ! なんなんだコイツ!」

「ニル、あの子暴走しているからまともにやり合うなんて無理よ。お願いだからひとりで突っ走らないで。何の為にふたりで組むことになったと思っているの?」

「〜〜っ! うるさい! アタシに指図するな! だいたい、アンタが後ろからちょこまかと邪魔してくるから——」

 ニルが目を背けた瞬間。にたりと笑った堕天使が転移したかのような速さでニルの背後に迫り、黒い翼の先を思い切りむしり取った。

「いっ……⁈」

 バランスを崩し、十メートルほど一気に下降する。その隙をついて上下差を利用し、悪魔のようなカギヅメを振り翳した堕天使はニルの眼前へと迫っていた。

「『戦闘中に手加減していたら殺される』だっけ。私のことが好きなのは分かるけど、あんまりよそ見していたらあの子が可哀想よ?」

 スペスがふたりよりも加速してニルの身体を受け止めると、そのまま中空高くへと舞い上がる。

 暴れるニルを両腕で抱えたまま、スペスは天界に住まう粛清者にしか理解することのできない言語でぽそりと呟く。

 その瞬間、透明な羽は一等色とりどりに輝き、暗闇にスポットライトのような明かりが差し込んだ。その明かりの先では、堕天使が脇腹に受けた闇の短剣に気を取られている。

「お疲れさま。おやすみなさい」

 慈愛に満ちた微笑みを浮かべれば、数えきれない光の槍が堕天使の体を貫き浄化した。

 

 少しの肉体も残さない攻撃の後、未だ輝き続ける空の一部と羽。天門を潜り天界に戻ってきても、腕の中で見下ろされているニルは抵抗することなく呆然としたまま抱えられ続けていた。

「さっきのは危なかった。いつも自分は後回しで傷ついて、ダメでしょう。……わたし、これでも戦士の中でトップなの。ニルの隣に並びたくて、ずっと頑張っているの。頼って? そんなにわたしのこと、嫌い?」

 へにょりと眉を下げ、小首を傾げるスペスをニルは鋭く睨みつけながら、次第にぼろぼろと涙を流し始めた。

「……ホントムカつく。何? なんなの⁈ アンタって昔っからいっつもそう! 勝手に離れて勝手に努力して勝手に隣に並ぼうとして? お飾りのクセに! アタシがいなきゃ、何もできなかったクセに……。勝手に、置いてかないでよ。スペス……」

 目を見開いて今度はスペスが動きを止めた。ぐすりと鼻を啜る音が聞こえて顔を覗き込めば、ニルは少し赤くなった目元と鼻先のまま挑発的な笑みを浮かべている。

「約束だったから。……悪魔討伐くらいなら、暇な時に付き合ってあげる」

 ぶっきらぼうに言い放ち、するりと腕の中から抜け出す。

「ぷはっ! 何思い詰めた顔してんの? アタシが約束破ったことないだろぉ?」

 ぽかんと立ちすくんでいたスペスは破顔し「そう、だったね」と呟いた。

「前みたいに友達には戻れない、けど。協力くらいならしてやるよ、天使様」

 淡い光が包み込む天界で、ニルは悪魔のように意地悪な笑みを浮かべた。

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