ある商談

社不旗魚

ある商談

 私は殺し屋だ。詳しいことは教えることはできないが、とある政府に楯突く邪魔者を消すためだけに物心ついたころから専用の教育を受けてきた。どこにも証拠を残さず、万一残してしまったとしても誰も有効な証拠と見破れないように、それでいて迅速な――そんな殺しを常に心掛けている。

 政府の上層部からも一目置かれるようになったこの頃、私が受けたのは国内でのみ活動する反政府組織への侵入、ターゲットもその組織の指導者一人のみで、いつもよりも簡単な暗殺内容だった。


 にもかかわらず私が背後を取られ、不意を突かれてしまったのは、この日が初めてだった。

「あの……すみません」

「うっ」

 記憶にある中では人生で一番驚いた私は、仕事中であったが思わず声が出てしまった。幸い、今回は侵入よりも成功率が高いと踏んで最近建てられた高層ホテルの一室から狙撃することにして、かつ音が建物の中から拾われないように防音室を借りていたので相手に勘付かれるということはない。

「ごめんなさい。迷惑だったですよね?ちょっとですので、どうか僕の話を聞いてくれませんか」

「えー……と、今終わらせるから少しだけ待ってくださいね」

 あまりに突然の出来事であったために、焦って話を聞こうと敬語で答えてスナイパーライフルの引き金を引いてしまう。それでもパヒュンとそれなりの大きさの乾いた音がやみ、弾丸が狙いを違えずターゲットの脳幹を貫く弾道をなぞったのを確認してから、私は声のした方へ振り向いた。

 そこには、まるで古代ローマ文明辺りからタイムスリップしてきたかのような、白い布のような洋服に身を包む、やや長い金髪の少年が不安げに、今にも倒れそうなくらいたどたどしい様子で立っていた。

「で、何でしょうか。出来れば今のことは内密にしてもらいたいのですが」

 目が合って、向こうが黙っているのでしばらく見つめていると、顔や体型も中性的で、女の子かも知れないと思った。いや、今はそんなことはどうだっていい。口では内密に、と言ったが、仕事の一部始終を見られてしまった以上はどこかでこの子を殺さなければならない。

「あ、あの。僕、こういうものです」

 白い服の子が小さな手のひらに乗せて差し出したのは名刺ほどの大きさの紙。見ると、本当に名刺だった。主への魂魄輸送業、『エンゼルホールディングス(株)』、etc.……という胡散臭すぎる内容に、私は一層警戒心を駆り立てた。

「実は、あなたの仕事を見て、僕たちの営業と相性が良いかなと思いまして……。ビジネスパートナー……?に似た契約についての話をしに来ました。……えぇと、平たく言うと商談です」

 殺し屋が商談だ?考えるだけでも馬鹿馬鹿しい。情報が洩れてはならない職業だというのにそんなことが許されていいものか。

「なるほど……。誠に申し訳ないのですが、本日は仕事が立て続けていてお話を伺えそうにありません。また後日連絡を……この番号にかけていただければ」

 そう言うと私はメモ帳に偽の電話番号を書き、それを破いて白い服の子に丁寧に渡した。同時に音を殺しながら腰に隠した拳銃の安全装置を外す。白い服の子は露骨に残念がりながら頷いてこう言った。

「あぁ……分かりました。では、ありがとうございます」

 言い終わるとその子はしょんぼりとして部屋のドアへ向かい、私に背中を向けた。ここまで愚かな裏社会の人間がいるのだろうか。どこか油断をさせるための作戦が動いているのかと疑ってしまうが、それを対処するスピードを上げるためにも私は躊躇なく拳銃の引き金を引いた。今度はライフルより火力が低いとはいえ、子どもの頭風穴を一つ作る。そんなことは造作もないはずだった。

「うわぁ!!いきなり何するんですか!?僕がいる所に発砲するのはいいですけど、せめてもっと小さな音にしてくれません!?」

 というのも、弾丸は確かにその子の後頭部に直撃したが、当の本人は驚きはしても、血の一滴も流さずに微塵も痛がる様子もなかったのだ。現実には考えられない事実に度肝を抜かれた私。今になってその子の言っていることに信ぴょう性が増してきた。

「本当に天使なら、何か凄いことでもしてみてくれ。そしたら、速攻ここで契約してやる」

 思わず敬語も忘れて子どもにものを頼んだ姿は、後から考えれば甚だ恥ずかしかったが、俺は言葉通り、速攻で契約することになった。

「凄いことですか…まあ天使なので、色々できるんですけど……。分かりやすく伝わるのは、あれですね。ほら、あそこにおじさまが見えるでしょ?」

 その子が指さす方を見ると、この部屋の窓から外の交差点の様子が伺えた。実際に指さす『おじさま』が誰かは全く分からない賑やかさの交通量だ。……これが一体なんだというんだ。

「僕らは、主の元へ魂を循環させるために随時魂を回収しています。基本的にその為の能力が僕たちには備わっているんです」


 その時、あそこはルミネに付いてる駐車場だったろうか――簡単に言えば凄惨な交通事故が起こった。

 駐車場から出てきた車両と、何らかの理由で明らかに速度制限を超えて道路を走る車両が互いに垂直に衝突し、制御を失ったそれぞれが歩行者に襲い掛かっていた。

「あれでも死んでるのはあのおじさまだけです。主は確実ですから」

 一部始終を見ていた私は、その天使が少しだけ怖くなってしまった。

「君は……死期が近い人が分かるのか?」

「あぁ、いえ。正確には主が決めた年齢より長生きしてしまっている人の頭の上には歪んだ模様が見えるんです。……信じられませんか?でも、あの!あなたは相当腕の利く殺し屋だと思うんです、その、僕、住み込みで家事とかもできます。どうか、前向きにご検討を」

「分かった分かった。まさか本当に事故が起こると思ってなかったから、単に驚いていただけだ。疑っていたわけじゃない。……契約書はあるか?いいさ、言い出したのは私だからな」


 それからしばらく、私の仕事ぶりは以前にも増して危険がなくなり、効率も格段に上がった。天使の見る模様は私の殺す対象も正確に表しているようで、何度か高度な変装技術で用意された影武者を見破ってくれた。向こうとしても自分から魂を探さなくても良いのはとても楽だそうだ。

 天使曰く、主は死人の魂から記憶を取り除き(天使はこれを漂白と呼んでいた)、奪った記憶をエネルギーとして使い小さな事故から疫病の世界的な流行までさまざまな事象を引き起こすことで自身の決めた寿命を迎えた人間を主のもとへ導くそう。また、最近はその主のもとへ向かう魂の量が減ってきている、もう少し仕事を頑張って欲しいと物騒なことも言われてしまった。

「そうは言いましたが、僕としてはやっぱり殺し屋さんが長生きしてくれた方がいいですね。長い目で見たらそっちのほうが利益を得やすいので」

 あと、天使は当初言っていた家事もできることを律儀に証明しながら私と共に生活を送っていた。

「はい、初めて蕎麦作ってみました!お口に合うといいんですけど」

「……この菊は?」

「あ、それ、この間テレビで食べられる飾り付けって紹介されてたのでつけてみました」

「これ、外で採ってきたものですよね。茎が残っているし、洗いすぎて花の色も薄くなりすぎている」

「え?そういうもんなんじゃないんですか?レーゾーコに無かったので……もしかしてまずいんですか!?すみません……」

「気にしないで欲しい。因みに、そのローマ風の服、しわが少し目立つ。おそらく投入口に間違えて漂白剤を入れてる。あぁ、それもまた気にするな」

「すみません、すみません……」

 その後の二年間は今までの人生で一番速く時間が流れていくように感じた。契約期間は特に決めず、お互いが仕事をしたときに利益を得ていたので、ただの仕事関係でここまでの繋がりを保つこともなかっただろう。いくらでもドジを踏み、気にするなと言えば言うほど謝ってくる天使。その子がそばにいるだけで結婚もしていないのに子どもだけできた気さえした。何気に私が天使よりもこの生活を愛していただけあって、突然居なくなられてしまったときは一瞬何も考えられなくなってしまった。


 それはいつもより少し長い期間出かけた仕事を終えて家に帰った翌朝のことであった。起床直後、ベッドの横のテーブルの上に手紙だけが添えられて、そのことだけで内容は察せた。中を見てみると、

 拝啓

 行く年を惜しみながら新たな春に希望を抱くこのころ

 殺し屋さまにおかれましては、最もちかくでその仕事振りをを拝見させていただきました

 先日、主が地上の全ての天使の魂を使い人の魂を回収すると決定致しました。たしかソドムという場所に火の雨を降らせたという記録がされたものと同じものになります。私はと言いますと、お陰様でここ数年の成果から昇進を頂き、回収が終わるまでは、急な事ですが天上で過ごすことにしました。もちろん、大天使達に取り合って殺し屋さまの住居周りに被害がゆかないようにしておきました。

 本日、日頃から何かといたらぬ私にいろいろとお心遣いを頂いた、言語では言い表せないほどの感謝を込めて蕎麦を作らせていただきました。仕事で外食する時は大体麵類ばかりで小食気味だった殺し屋さま。そのような殺し屋さまに私が蕎麦を作るのはこれで二度目になりますが、最初の酷かった手前から拙くも練習を重ねたので、いつも通り昼頃の起床後に召し上がっていただけましたら嬉しく思います。

 』

 その後に、『 それでは、いつの日かお目にかかれますことを楽しみに』と一度書いてから消された痕の上に『出来るだけ遅く、天界でお会いできることを楽しみにしています』と締めくくられているのを読んでから、私はリビングへ向かう。

「どれ程不器用でも、私はあなたのそばが良かった」

 キッチンのカウンターに置かれた皿にかかったラップを、私はしばらく捨てられずにそんな言葉をこぼした。

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ある商談 社不旗魚 @20070630

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