3.
それから正確な時間こそ決まってないけれど、毎日夜が深くなってきた頃、僕らはその公園に集まった。
相変わらず眩しい夜道を通って。今日を含めると彼女に会ってから五日ほどが経過していた。
今日は風が吹いてない割にはいつも以上に寒くて、夕方から雪が降っていた。こんな変なものが降ってくるなんて全く雲の中はよく分からない。
雪はこの地方だと四、五年に一度しか見れないものだった。だから今日は、どこか特別な日な気がしていた。
「こんばんは。怜くん」
ぼーっと住宅の屋根を覆う雪に埋もれる想像していると、音もなく後ろからエリが近付いてきていた。
「結構遅かったね。今日は僕も用事あって遅く来たのに、いなかったからびっくりした」
「まあね」
「事故にでも遭ってるのかと思ってた」
「……君って真面目だけど、たまに妄想癖がひどいよね」
柔らかなその声で彼女は僕を小馬鹿にする。
「……否定はしないけど」
「嘘嘘。遅れたのには理由があってね。これを買ってたの」
そう誤魔化すように笑うエリの手には白い何かが握られていた。雪と同化していてよく見えない。でも目を凝らしてよく見ると、それはどうやら
また、同じ手の、内のほうにはコンビニのテープの付いたライターがあった。その銀の部分が僕を唆すように光をキラリと反射させていた。
「今日、雪らしいから逆のことでもしようかなと思ってね。勝負しよ。線香花火で」
そう言った彼女の手元から今度は細い紙の束が何本も出てきた。
線香花火。きっとそれだ。久しぶりに見たものだから一瞬認識できなかった。
驚いた。線香花火なんて夏にしかしてはいけないのだ、どこか僕はそう思っていたらしい。冬の雪の上でやるそれは何か叶えたい夢の一つのように感じられた。犯罪に手を染めるような感覚がした。
冬に花火をするやつなんて僕ら以外にいるだろうか。
彼女はずっと計画していたのか素早く場所取りを済ませ、蝋燭に火を灯す。僕は遅れて彼女の手伝いをした。
徐々に蝋燭の明るさに目が慣れていく。光は僕らと街の境界を線引くように円状にくまなく広がっていった。
『よし、いくよ』と彼女が声をかける。いつのまにか手にしていた線香花火を僕は、彼女と一緒に赤い火へ近づける。
少しずつ火薬が着火していく。そしてしばらくすると、ぱちぱちぱちっと音が鳴り始めて、震えが指先に伝ってきた。
火薬と煙の墓地の匂いが辺りに充満する。火花の勢いは僕の方が強い。それを見て彼女は『これなら勝てるかも』なんて言った。
「ねぇ」
「なに?」
「あっ」
ぽとん、と彼女の火の種が呆気なく落ちた。
「もう一回」
「……いいよ。何回でも。エリの気が済むまで」
何故か楽しそうに彼女は僕に二本目の花火を渡した。
そして、ジジジッと鳴ったのを確認するとまた僕らは集中して花火を自分の方へ寄せる。
「それで?」
「いや、別に大したことじゃないんだけどね。なんか嬉しい。一緒にできて」
「良かったね」
「君は?」
「多分同じ気持ちだよ」
火花が急激に勢いを加速していって僕らの会話の間を埋める。彼女は真剣な顔でそれを見つめていた。薄青い瞳に確かな赤が映っていた。
会話こそ止まったけれど
また真剣な顔の彼女を見つめる。今にも落ちそうな勢いの火花に苦い顔をするエリ。それを見て僕は。僕は、きっと見知らぬ幼馴染がいるとすればこんな感じなのだろう。そう思った。
ヒューッと風が吹いてきた。蝋燭の火が彼女と逆方向に揺れた。風が彼女の体を通り抜けたように一瞬見えた。
「あー、負けちゃったー」
声に気付いて相手の花火を見るとその先から明かりが消えていた。僕のもそれを追うようにポトッと落ちる。
「線香花火は、軽くねじった方が長く保つらしいよ」
「え、ズルい! 言ってよ」
「勝負だから」
また何も言わずに花火を手渡す。僕らはそれを何回か繰り返した。
彼女はずっと消えてしまいそうなほど儚い雰囲気をしていた。
「明日さ、久しぶりに学校に行こうと思うんだよね」
そして線香花火の音しか鳴らなくなった頃、僕はそう話を切り出した。
「おー、楽しみだね」
彼女は何も気持ちのこもってないような声でそう呟く。
「……楽しみ、か。別にそんなんじゃないよ」
僕の火花が萎んでいく。色が淡く変わっていく。
「じゃあ何で行くの?」
「罪悪感かな。正直行きたくはないよ」
「そう」
沈黙の時間が数秒流れる。
そして。間を繋ごうと何か言葉をかけようと僕が口を開いた時、視界の外から火花がもう一つ、僕の火花に近付いてきた。
その次の瞬間、トンッとエリのが僕のを軽く叩くようにして、二つの火花がくっついて白い雪の上に落ちた。火花が雪の上でガラスのように弾けたのを見た。
「え、何やって──」
「なら、今日は早めに寝なきゃね」
彼女は優しくそう微笑んでいた。
「……ああ、そうだね」
蝋燭に付いた火を消して、残った花火を集めて、『結局負け越しちゃったな』と言う声を背中で聞いて。僕らはすぐ帰りの準備を終わらせた。
蝋燭が消えると辺りは暗い。遠くの雪が月の光をこちらへ跳ね返していた。
「ねぇ、これ」
「え?」
名残惜しい感覚を誤魔化していた時、なんかそんな声がして僕は振り返った。
するとその瞬間、彼女が僕の腕を握ってきた。
彼女のもう片方の手には何かが握られてる。それを彼女は僕の手の上に乗せた。
それは金色のキーホルダーか何か。アルファベットのSみたいな、くねった形。
これは――僕はその形状をよく知っていた。
「ほら御守り。この前、サックス好きだって言ってたでしょ?」
――言ったこと、あったっけ。
中学校以来、使わなくなったサックス。今でも部屋の隅に置いてあるサックス。
でもそれは僕が唯一好きだと心から言えるものだった。
何故か、何故だか今その事に、やっと気がついた。
「……ありがとう」
「どういたしまして。じゃあ、また明日」
「うん。また明日」
彼女はそう言うと雪の中をふわりふわりと駆けて去っていく。その姿を見ながら、僕はどこか救われた気がしていた。
初めて希望を持てた気がしていた。僕が経験しておくべきだったこと全てが今そこにあった気がしていた。
雪の上を僕は、ゆっくりザクッザクッと音を鳴らしながら帰る。
――そういえば。
そういえば、今日一つ気付いたことがあった。
花火をした時、気付いた。ライターの火があって。蝋燭の火があって。花火の明かりがあって。月の明かりがあって。でも、それはなかったことに、気付いた。
彼女にも影がなかった。
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