第20話
トイレから戻ると池田さんが「おばちゃん、ミックスジュースとお冷とおしぼり下さい」と注文をしていた。僕が席に座ると、まじめな顔をして「もう一度聞くけど、この事件の依頼主は誰なん?」と言った。
「依頼主のことは話せません」と僕がそう答えると、池田さんは少し身を乗り出して「矢早は自殺や。しかも自殺してから数年もたっている。そんな依頼する奴はいないやろ。もし依頼主が君でなければ。なあ、辰巳君」
僕はいきなり自分の本当の苗字を言われて動揺した。なんでわかった? 一瞬誤魔化すべきかと思ったが、池田さんは僕が想像していたよりはるかに聡明な人だ。初めからすべてをわかっていたのだろう。すぐにもう逃げきれないと観念し、僕は小さな声で「はい」とすべてを認めた。池田さんは「うちに電話がかかってきた時点で辰巳と森の息子やろうと思っていたわ。今更矢早の調査なんてありえないからね。固定電話ではなくて携帯からっていうのも気にかかったわ。それに眼鏡で変装しているつもりやろうけど、君は辰巳と似ているねん。特にその鷲鼻。実際会って確信したわ。それに君、いろいろ表情に出すぎ」そう言った時にミックスジュースとお冷とおしぼりが運ばれてきた。池田さんは僕に向かってこう言ってきた。
「両親の過去を聞いてショックやったんやろう。顔色も悪いし、トイレで嘔吐していたみたいやしな。とりあえず水を飲んで落ち着こう。おっさんみたいやけどおしぼりで顔を拭こう。あとネクタイも緩めて」
僕は池田さんの心遣いに感謝した。僕を気遣うなんて、実家では絶対ありえないことだから。
「初めは断ろうと思っていたけどな。君が傷つくだけになるからな。だけど君が嘘までついて真実を知りたがっているならすべてを話そうと思ったよ。君にはつらいことだけどな」
「ありがとうございます」と言って僕はネクタイを緩めつつ水を一口飲んだ。
「ところで君の本当の名前は」
「辰巳佳彦と言います」
「佳彦君は学生か」
「はい大学生です」
「どこの大学?」
「大阪教育大学です」
「辰巳みたいに教師になるつもりなん?」
「いえ、僕は教師にはなりたくありません。父みたいになるつもりはありません」
ふと生徒と関係を記録したアルバムを思い出してまた嘔吐しそうになる。
「辰巳のことやから複数の教え子に手を出していたんやろうな」
僕はその言葉を否定せず、素直にそうですと答えた。ただアルバムのことはさすがに言えなかった。
「そうか、いわゆる反面教師が目の前にいるもんな、それやのに教育大?」
「ただ国立で自分のレベルでも合格の可能性がある大学を受けました」
「そうかー。ところで、佳彦君は下宿。それとも家から通学?」
「下宿です。あんなうちには一秒たりともいたくなかった」
「そうか。さっき君が辰巳と森が矢早の自殺の原因になったみたいなことを俺に聞いていたけど、佳彦君はどう思っているの?」
「僕は父と母が矢早さんを殺したと思っています。矢早さんのすべてを奪い殺した。それなのに自分たちには何も関係ないみたいにのうのうと今でも生きています。それは決して許されることではないと思っています」
「正直、両親に恨みがあったの?」
「はい、両親どころか、僕の家は異常でした。生まれたころから僕の父と母は僕を無視して、存在しないかのように放置してきました。話しかけてもくれませんでした。そこに父が自分の教え子と結婚したと知ったときは、僕は罪の子供だと思いました。分かりますか、池田さん。僕は父がその権力で未成年の母と関係をもって生まれてきた、生まれつきの罪を持った子供なんですよ」
「うーん、俺には分からないなぁ。ネグレストを受けたうえ、生まれつき罪を背負った子供なんて」
「両親が犯罪者なんですよ。必然的に僕も犯罪者の子供になります。それに実際、矢早さんを殺している。僕はそんな父と母に一切相手にされず無視され、自分だけの考えに凝り固まった厳しい祖父に育てられました。祖父は自分の考えに沿わなかったらすぐに暴力をふるいます。僕の友達も学校のこともすべて祖父が決めます。もちろん、うちの絶対権力者で誰も逆らえません。だから僕には友達もいませんし、将来の夢もありません。だから僕は今でも祖父が怖くて仕方がない。僕はこのまま祖父のいいなりに生きて、将来的は神社を継がないといけない。僕には自我がないんです。そう、何もないんです。僕は奪われるだけ奪われて、何も与えてもらえなかった。それなのに僕の行動や気持ちを制限する目に見えない法律みたいなものだけがあった。それが僕には苦痛なんです。祖父以外の考え方を持ったり、もっと自由に生きたりしたいんです。でもそれは僕には許されないことです」
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