第21話

「そうか言いたいことはわかったわ、すごく簡単にまとめると佳彦君は二つの問題を抱えているんだね。一つ目は両親の犯した罪への意識をなぜか、本人ではない佳彦君が持っていること。二つ目はおじいさんの問題。これは子供のころから暴力を受けてきたから、おじいさんへの恐怖心で自我が押さえつけられていること」

「罪の意識は当然持つべくして持ったもので、それはある意味、僕の中心なんです。だけど父と母は自分が犯した罪には完全に無関心です。その他は池田さんが簡単にまとめたのでほぼ間違いありません」

「佳彦君、罪の意識が自分の中心だなんて言っていたら、矢早みたいに精神を病むよ。佳彦君が本当に求めているのは罪の意識ではなくて、その罪を許してくれる存在だよ」

「よく夢を見るんですよ。矢早さんが僕に何かを話そうとしている。でも僕にはその『声』が聴こえない。だけど僕にはその『声』を聴く必要があるんです」

「『声』か? 面白いこというなぁ。でもその『声』を聴いたらアカン。さっきから聞いていると佳彦君は矢早のことを神格化しすぎているみたいや。神の『声』って理不尽で不条理なもんや。君の求めているのは罰じゃない、救いや。救いは神ではなく人にしかできない。だから心療内科でも大学の学生相談センターでもいいから、そっちに行ったほうがいいと俺は思うよ」

「それでも僕は矢早さんの『声』を絶対に聴かないといけないんです。僕は現実と向かい合わなければいけない。逃げるわけにはいかないんです。道は一本しかないんです。だけど実際の僕にはこの罪に対して何も返すものがないんです。だから僕の進むべき道は罪の意識と真摯に向き合うこと。それが僕の唯一の存在理由です」

「そこまで言うか。じゃあ俺からの忠告や。よく意味を考えるんやで。人は同じところをぐるぐるする生き物や。例えば車に乗っていて同じ道をぐるぐるしているからって、一方方向の道に逆走して入ったら絶対アカン。それは法で禁止されているからや。いわば掟の門や。矢早の『声』も一方通行と同じ。決して聴いたらアカン『声』や。それは佳彦君にとって最悪の結果をもたらす。だから佳彦君に必要なのは許し。他人に頼ってもいい。いや、むしろ頼るべき。自分で何もしていない佳彦君には特に自分で自分自身を許すことが必要や。佳彦君の存在自体が罪になったら絶対にアカン」

「すみません。よく意味が分からないのですが…」

「なに、すぐ理解するのは難しいよ。時間をかけて理解し」そう言うと池田さんはミックスジュースを飲んだ。

「もう一つは、佳彦君の自我がないって点やね。佳彦君、ちゃんと自我があるやん。さっき祖父の言いなりに生きるのが嫌やと言ったやろ。それって佳彦君の立派な自我やんか。ただ幼少期からの暴力でその自我が押さえつけられているだけ。その恐怖をゆっくりと取り除けばいい。まあ、それが難しい問題だけど」

「いえ、僕には自我がありません。祖父の操り人形です」

「だったら、なんでここにいるの」

「……」

「それともおじいさんの意志でやって来たのかな? 違うやろ。佳彦君が自分の意志で真実を知りたくて、わざわざ変装までしてここに来た。違う?」

「それはそうですが、僕はやはり祖父の支配から逃れることはできません」

「時間はかかると思うよ。その束縛から完全に逃げるには。しかも一人では絶対に無理や。そこは専門家の手を借りて徐々にその支配から逃れて行こう。さっきも言ったけど、心療内科とか学生相談センターとか使って佳彦君の自我を押さえつけている恐怖心をゆっくり取り除いていこう」

「しかし僕は…」

「怖いんやね。おじいさんの存在が」

「はい、僕が何をしても祖父の考え方に合わなかったら暴力を振るわれる。それを目の前で見ていても父も母も助けてくれないどころか、完全無視ですから。それが幼少期から大学に入って一人暮らしをする今まで続いているのです。こんな環境で育ってまともな自我を持てる訳がないんですよ」

「まあ、俺は虐待の経験ないから何とも言えないけど、そういうことも含めてすべて専門家に診てもらったほうがいいと思うよ。もちろん初めは怖いと思うよ。でも結果的にこれからの佳彦君の人生には役に立つと思うけどなぁ」

「万が一、祖父の呪縛から逃れられたとしても、果たしてそこに僕の本当の自我なんて残るのでしょうか? やはりそこに残るのは矢早さんに対する深い罪の意識だけではないでしょうか?」

「うーん、やっぱりそこに戻るのか。佳彦君、何度も言うが君に罪はない。だから自分を許してあげて」

「池田さん、僕の存在自体が罪ではないでしょうか?」

「断言する。佳彦君に罪はない。あえて言うなら、辰巳と森の罪や。それを君が背負ってどうする。佳彦君はその根拠のない罪の意識を自分自身で許すべきや」

「父と母は罪の意識など感じていません。矢早さんに対しても一切。だからその二人の子供である僕の存在自体がやはり罪だと思います」

「堂々巡りやな。あかんな、佳彦君、視野が狭くなっているわ」

「視野ですか?」

「そや、佳彦君も自分の考え方に凝り固まっている」

「いえ、僕はそんなことありません」

「そういう人こそ絶対そう言うねん。だからたくさん本を読み。小説とか学術書とかなんでもいい。すると自然と視野が広くなって凝り固まった考え方も消えていくから」

「はい」と僕はその部分だけ軽く聴き流した。だけど僕はあいつらのように間違ってはいない。

「あとは友達を作って遊び」

「祖父が友達関係にも口出ししてきたので、僕は昔から友達の作り方を知りません」

「そうか」と言うと池田さんは僕が渡した偽の名刺を僕に返してきた。

「裏に俺の携帯番号とメールアドレスを書いておいたから。平日は仕事で対応できないけど、休日なら対応できる。俺、今でも独身の実家暮らしやから、何かあったら連絡して。気晴らしにドライブとか行こう。ただ話を聞いてもらえるだけでもずいぶん楽になるから」

僕は名刺を受け取り裏返すと、そこには少し丸い字で池田さんの連絡先が書かれていた。いつの間にと思ったが、僕がトイレに駆け込んだ時に違いないと思った。本当に僕は池田さんにすべてを見透かされている。池田さんは本当に聡明な人だと改めて思った。

「ありがとうございます」

「俺でもいいけど、心療内科か学生相談センターに行きや、絶対に一人では解決できない問題やから。何度も言うけど絶対に一人で抱え込んだらアカンで」

僕は躊躇ったが一応「はい」と返事をしていた。

「今は少し気持ちが楽になったかな?」

「はい、うちのことを人に話したのは初めてだったので」

実際、僕の気持ちはだいぶ楽になっていた。

「そうか、それはよかった。もう俺からは話すことはもうないからそろそろ出ようか? 佳彦君、体調は大丈夫? 下宿先まで帰れる? 何なら車で送っていくで」と池田さんが僕に気遣ってくれたのがとても嬉しかった。そして池田さんはテーブルの伝票を取り上げた。「池田さん、それはダメです。僕が無理を言って池田さんを誘い出したのに」そう言うと池田さんは笑って「子供に払わす大人がいるか!」と言い会計を払ってくれた。車で送っていくを拒否した僕を池田さんは駅の改札口までわざわざ見送ってくれて、最後に「困ったら迷わずに連絡してや」と言う池田さんを見ていると、きっと矢早さんもこんな優しくて聡明な人だったのだろうなと思った。するとさっきまで晴れていた気分がまた曇り始めて僕は帰りの電車内で矢早さんに一体どう償えばいいのかと深く思い悩んでしまっていた。


 

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