第24話 氷の心、溶ける時

 次元断層に囲まれた北海道からQH学園に戻ってきてからしばらくしたある日。真夏の炎天下、俺と彩姫は山岳地帯でのQ-アルマ性能テストという任務に就いていた。周囲の気温は35度を超えているというのに、彩姫の『霜雪帝姫そうせつていひ』の周囲だけは、薄い霜の層で覆われている。


「この暑さの中でも、君のクォンタム・ギアは涼しげだな」と俺は声をかけた。


 彩姫は無表情のまま答えた。


「当然です。極低温を操る『霜雪帝姫』にとって、この程度の暑さなど問題ありません」


 その瞬間、彩姫のクォンタム・ギアから異音が聞こえ、彼女の体が一瞬揺らいだ。


「大丈夫か?」と俺が尋ねると、彩姫は少し困惑した表情を見せた。


「ええ……ですが、この暑さで制御が少し難しくなっているようです」


 俺は彩姫の様子を心配そうに見つめた。いつもの冷静さが少し崩れているように見える。


「少し休憩しよう。あそこの木陰はどうだ?」


 彩姫は躊躇したが、最終的に同意した。木陰に移動し、Q-アルマを収納状態に移行すると、彩姫の額には汗が浮かんでいた。


「暑いのか?」と俺が尋ねると、彩姫は少し恥ずかしそうに頷いた。


「実は……暑さが苦手なんです」


 その意外な告白に、俺は思わず笑みがこぼれた。


「意外だな。いつも冷静で、クールな印象だったから」


 彩姫は少し顔を赤らめ、視線を逸らした。


「私にだって、弱点はあります」


 俺はリュックから水筒を取り出し、彩姫に差し出した。


「ほら、冷たい麦茶だ。飲むか?」


 彩姫は躊躇なく水筒を受け取り、一気に半分ほど飲み干した。


「……ありがとう。」


 その瞬間、彩姫の表情が柔らかくなり、いつもの鋭さが消えていた。俺は思わずその表情に見入ってしまった。


「なにか?」と彩姫に問われ、俺は慌てて視線を逸らした。


「いや、えっと……いつもと違う表情だったから」


 彩姫は少し考え込むように目を伏せた。


「そう……昔は、もっとこんな風だったかもしれません。」


「昔?」


 彩姫の目が遠くを見つめる。そして、彼女は静かに語り始めた。


 ◇◇◇ 彩姫の回想


 私が5歳の時、両親と山で遊んでいました。山といっても幼稚園の遠足などにも使われるような整備された低い山ですが。その日は特別暑い夏の日で、私は木陰で休んでいました。


 突然、轟音が鳴り響き、山肌が崩れ始めたのです。そのときはわからなかったのですが、後になって聞きました。土砂崩れでした。


 両親がこちらに向かって手を伸ばす必死な表情は、今も忘れられません。私も必死に両親の元へ行こうとしたのですが、いつの間にか意識を失ってしまいました。


 そして、気がついた時、私は病院のベッドの上にいました。ですが、両親の姿はありませんでした。


 それから、私は親戚の家を転々としながら育ちました。誰も長く私を引き取ろうとはしませんでした。「あの子は厄災を呼ぶ」と。


 そんな中で、私は感情を押し殺すことを覚えました。誰かに近づけば、その人を失うかもしれない。だから、誰も近づけないようにしたのです。


 そして、クォンタム・ギアと出会いました。『霜雪帝姫』は、私の冷たくなった心そのものでした。


 ◇◇◇ 悠哉視点


 彩姫の話を聞き終えた俺は、言葉を失っていた。彼女の冷たい態度の裏に、こんな悲しい過去があったなんて。


「氷雨さん……」


 俺が声をかけると、彩姫は急に我に返ったように顔を上げた。その瞳には、薄っすらと涙が光っていた。


「ごめんなさい。こんな話をするつもりはなかったのに...」


 俺は思わず彩姫の手を握っていた。彩姫は驚いたように俺を見つめたが、手を引っ込めようとはしなかった。


「氷雨さん。いや、彩姫さん、君は一人じゃない。俺がいる。俺たちがいるよ」


 彩姫の目に、驚きと戸惑い、そして何か温かいものが浮かんだ。


「悠哉くん……ありがとう。」


 その瞬間、収納状態に移行していた彩姫のQ-アルマが淡く光り始めた。周囲の温度が急激に下がり、二人の周りに小さな雪が舞い始めた。


「なっ……何ですか、これ?」と彩姫が驚いた声を上げる。


 俺は思わず笑みがこぼれた。


「君の心が、クォンタム・ギアに反応したんじゃないか?」


 彩姫も、久しぶりに柔らかな笑顔を見せた。


「そうかもしれません」


 真夏の暑さの中、二人を包む小さな雪。それは、長い間凍りついていた彩姫の心が、少しずつ溶け始めた証だった。


 任務を再開しながら、俺は彩姫の表情が以前よりも柔らかくなっていることに気づいた。彼女の中で何かが変わり始めたのは確かだった。


 そして俺自身も、彩姫のことをもっと知りたいと強く思うようになっていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る