第20話 続、従僕と第二王子


 レグルス殿下とアルトバロンの間に、肌をピリつかせるような沈黙が広がる。


 ……ど、どうしちゃったのアルト!?

 婚約を穏便にお断りしたかった私としてはすごくありがたいけれど、ありがたいけれど……っ。


 今までおとなしくしていた美しい獣が、隠していた牙をちらつかせながら微笑する様子に、私は戦慄する。その姿はまるで、狙いを定めた獲物を他の雄に取られんと威嚇する黒狼だ。


 あ、あれ? これって一応、主人の願いを汲んでくれた凄腕従者にフォローされてる、ん、だよね? 忠誠だよね?

 まさか十年後と言わずすでに暗殺対象だから、王族と縁付いて手を下すのが難しくなるのを防ごうとしている、なんてことはないよね……!?


 あわわわわと小さく震えている私は、今や完全に蚊帳の外だ。


「……君の言いたいことはわかった」


 溜息をつくように、レグルス殿下が声を絞り出す。

 体感的には長いあいだ沈黙が支配していたように感じたが、二人の睨み合いはほんの一瞬だったのかもしれない。

 だけど今度はレグルス殿下が、不服そうな顔をする番だった。


「確かに婚約で責任を取るだけでは、ティアベル嬢や国民に誠意を見せる結果にならないな。第二王子として軽率な判断だった。……今回の申し出を、撤回させていただこう」

「殿下の誠実なご決断に、感謝申し上げます」


 アルトバロンが跪き頭を垂れる。


「いや、いい。いくら不法侵入者の攻撃を抑え込めたとしても、その場の感情に呑まれて俺の固有魔法が暴走した事実は消えない。王族としてふさわしく在れるよう、精進するのみだ」


 レグルス殿下はふっと笑みを浮かべ、首を横に振った。


 よ、よかった……っ。


 アルトバロンの助言のおかげで、なんとか穏便にレグルス殿下の方から婚約の話をなかったことにしてもらえたみたいだ。


 ほっとしてしまった私は、気が抜けて安堵のため息をつきそうになり、慌てて表情を引き締める。

 いけない、いけない。祝杯を挙げるのはまだレグルス殿下の婚約者が決まってからだ。


「ティアベル嬢」

「はい」

「今後、俺は君を……いや、国民を傷つけることなく守れるように、強い精神力と技術を身に着けると誓おう。第二王子として立派に国を治めることができるよう、俺のそばで見届けてはくれないか」


 レグルス殿下はソファから立ち上がると、真剣な表情で私へ向かって片手を差し出す。


「え、えっと」

「もちろん、友として」


 同じく立ち上がって、彼の手を取るか一瞬迷った私に、彼はふっと微笑んだ。

 私は相好を崩して心からの笑みを浮かべ、両手で包むようにして差し出された手を取る。


「はい!」


 この世界で生まれて、初めての友達ができた。

 お父様や使用人、それにアルトバロンがいるから、社交界ぼっちでも構わないと思っていたが、やっぱり友達ができるのは嬉しい。


「レグルス殿下は、私の初めてのお友達です」


 レグルス殿下と少年漫画並みの熱い握手を交わす私の脳内では、婚約回避と友達ゲットに大喝采だった。

 じわじわと広がる喜びを噛み締めながら「えへへ」と微笑む。


 すると、レグルス殿下のお顔が急激に赤くなっていく。

 もしかしたら私と一緒で、同世代のお友達がいなかったのかもしれない。胸に広がる喜びを、同じように噛み締めていらっしゃるのかも。


 私も、昨日の敵は今日の友、みたいな気持ちで照れくさい部分はある。


「これはこれは殿下」

「お嬢様。殿下が困っていらっしゃいます」

「へ? あっ。ご、ごめんなさい」


 お父様のバリトンボイスと、アルトバロンのどこか棘のある優しい声に、私はパッと堅い握手を解く。

 目の前のレグルス殿下は、いつの間にか茹で蛸のような真っ赤な顔で涙目になっていた。


 ……そ、そうだ。レグルス殿下は女性が苦手だったんだ。

 だとしたら悪いことをしてしまった。さっきまで恥ずかしげもなく求婚されていたし、勝手に私は対象外なのかと思って、熱くて堅い握手をしてしまった。


「私ったら、その」

「い、いや。構わない」


 彼は視線を泳がせ、一歩さがる。

 そして「ごほん」と気を取り直すように咳払いをして体裁を整えると、次はアルトバロンへと体を向けた。


「君の名を教えてくれ」

「……アルトバロンと申します」

「そうか、アルトバロン。君とは、もっと対等な立場の友になりたかったが」

「滅相もございません」


 姓もない名を名乗ったアルトバロンに、レグルス殿下は好敵手を見つけたような顔つきで言った。


 気に入った者は、たとえ異世界から来ようが手を伸ばす。

 その大胆不敵さと芯の強さは、まさに獅子の名を冠する第二王子らしく、良い意味で上に立つ者としての魅力があった。


 ゲームでのアルトバロンとレグルス殿下は、王立魔法学院で同級生でありながら、悪役令嬢わたしのせいもあってあまり仲の良い印象はなかったけれど……。

 今回の邂逅がきっかけになり、二人の間に仲良しフラグが立ちそうに見えて嬉しい。


 ふっふっふ! なんだか、すごく未来が明るくなりそうな予感がするわ……!




 ――こうして第二王子レグルス殿下のご訪問は幕を閉じた。


 後日、改めてレグルス殿下から謝罪の品として『林檎の花の精油アロマオイル』が届いたのは、将来私が香水ぷんぷん悪役令嬢になるように、世界が誘導しているからではない……と信じたい。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る