第19話 従僕と第二王子


 お父様はただ、溺愛する愛娘に王国で一番良い縁談を持ってきたつもりなのだろう。それも、ディートグリム公爵家が優位になるようという形で。


 王太子殿下は年の離れた弟を可愛がっていると、お父様からよく聞いている。

 きっと兄としては、第二王子を王位継承権争いから安全に離脱させたいはずだ。明らかに王太子派である宮廷魔術師団の総帥の娘と婚約させたら、第二王子に群がる有象無象は牽制できる。


 側近のスタンハイル様は、まだ王立魔法学院を卒業されて間もないくらいのご年齢。お父様は宰相、お兄様はその補佐の家系の、三男坊。

 そんな背後関係から、野心というよりは、レグルス殿下に対する純粋な兄心を感じるし……王太子殿下のお考えに近いのかも。


 でも……大人の思惑はこの際、後回しだ。この縁談、絶対に回避したい。


「その、昨今のご令嬢が着ているドレスとは一風変わったドレスも、先日負った火傷の痕を隠すためなのだろう?」

「殿下、『一風変わった』ではなく『古典的な正統派』のドレスです」


 レグルス殿下の後ろからスタンハイル様が訂正するように耳打ちする。


「そ、そうなのか。すまない。女性の衣服の流行には疎くて……」

「いえ、いえ。お気になさらないでくださいませ」


 焦った様子のレグルス殿下が、もう一度「すまない」と口にした。


 ゲームでの彼も流行に疎くて、真面目な堅物で、女性が苦手という印象があった。流行の香水を身にまとい、甘えてべったりな悪役令嬢(婚約者)に『くさい』と言った場面は忘れられない。


 そうだ。まだ使ったことはないけれど、香水はかなり控えめに使おう。アルトバロンも狼の獣人だし、鼻が利くだろうから。むしろ獣人に配慮した香水を探した方がいいかも?

 お年頃になった時、信頼できる大切な従者に『くさいです』なんて言われたら、心がえぐられる……!


 じゃなくて、レグルス殿下だ。


「このドレスはデザインが好きで着ておりますの。火傷の痕を隠すためではございませんから、ご安心ください」

「いいや、無理に隠さないでくれ。俺にだってそれくらいの女性心は理解できる」


 ううう、どうすればいいの……。

 やんわりご遠慮しても暖簾に腕押しだし、お断りする逃げ道がない……っ!!


 彼の雰囲気ではきっと、王太子殿下、お父様、そしてスタンハイル様……それぞれの思惑が上手い具合に噛み合った結果、もともと社交界に流れていた『毒林檎令嬢の身体には火傷の痕がある』という噂を誰も否定せず、正義感溢れるレグルス殿下の勘違いを正さなかったのだろう。


 きっぱりと『婚約のお申し出はお断りします!』と言えたらいいけれど、第二王子と縁付くことを嫌がるなんて、外聞的にはディートグリム公爵家の立場が悪くなる。


 隣に座っているお父様にパスしたら、このまま婚約を進めちゃいそうだ。

 だってそれが乙女ゲームの正しいシナリオですものね!


 ど、どうせ婚約破棄されるのなら、ははは腹をくくって婚約する?

 でも国外追放はまだしも、暗殺命令を出されない可能性を信じるには不確定要素が多すぎる……っ。


 私は心の中で、盛大に頭を抱えて『うがーっ!』と叫ぶ。


 前世には『何もしていないのに悪役に仕立て上げられて断罪された悪役令嬢の話』がたくさんあった。私だって例外ではない。そしたら主従まとめて地獄へ真っ逆さまだ。

 それだけは絶対にダメぇぇっ。アルトバロンと聖女様の幸せな未来を、私は見るの……!


 自分の婚約はこの際そのあとでいい。お父様にも三人の弟妹がいるので養子縁組もありだ。

 だけど、ディートグリム公爵家に被害が及ばない断り文句が思いつかない。


 ははは、ここで詰みかぁ……と諦めにも似た微笑みを浮かべたところで、ふと扉側から刺すような視線を感じた。

 私はそっと視線の犯人を探す。

 視線は、護衛のために応接間の壁際に立っていたアルトバロンのものだった。


 長い睫毛に縁取られた青みを帯びた菫色の双眸が、どことなく仄暗い。

 従者らしく無感情な表情に徹していたが、もふもふの黒い尻尾がゆらゆらと左右にゆっくり振れており、凍てつく視線は何を考えているのかわからないくらい殺気立っている。


 あ、アルト……なにかイライラしてる……?


「君の従者は、俺と君の婚約に不服そうだな」

「えっ。いえ、あの」


 私の視線に気づいてしまったレグルス殿下が、アルトバロンに目をとめる。

 なんと返したら良いのかわからず言い淀む私をスルーして、レグルス殿下はアルトバロンをじっと観察しわずかに瞠目すると、「兄上の言っていたことは本当だったか」と呟いた。

 ……なんのことだろう?


「君の発言を許そう」

「感謝いたします」


 レグルス殿下がアルトバロンに向けた言葉に私はぎょっとする。

 アルトバロンは何処吹く風といった様子で、王族へ対する緊張感もなく完璧すぎるほどの礼をとった。


「僭越ながら申し上げますと。殿下が先の事件の際に我が主に負わせた火傷を気にされているのでしたら、心配は無用です。ディートグリム家には腕の良い癒師がおりますので」

「……何が言いたい」


 レグルス殿下が低い声音で応じ、アルトバロンを睨みつける。アルトバロンはそこでようやく、うっすらと微笑みを浮かべた。


「ない怪我の責任を取るよりも――むしろ、国民をあのような事件から守りきる技量を示される方が、王族というお立場においては大事かと」

「ほう?」

「前例をお作りになられると、今後もあのような事件があるたびに、殿下は他のお嬢様方ともその都度婚約を結ばなくてはいけなくなります。シュテルンベルク王国の側妃制度は存じておりますが……」


 ――責任を取ると言いながら、それではまったく責任を取ることにならないのでは?


 アルトバロンの発言は、言外にそのようなニュアンスを含んでいた。


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