第10話 差し出された手は掴むのみ(1)

「いけません、お嬢様!」


 まさか守護対象の幼い主人が危険へ自ら飛び込んでいくとは想像もしていなかったのか、不意をつかれたアルトバロンが声を荒げて追いかけてくる。


「だって庭園には妖精植物たちがっ!」

「それでも危険です! 旦那様や水魔法に覚えのある方々がすぐに対応なさるはずですから、屋敷内で待つべきです!」

「水魔法は、私だって得意だわ!」


 お母様が亡くなってから、庭師たちと一緒に水やりを行なってきたのは私だ。妖精植物は種類によって必要な水分量や水やりの強弱が異なるから、難しいと言われている繊細な微調整だって自信がある。


 それに、私の魔力量は我が家でも多くの使用人や護衛騎士団に属する大人たちを抜いて、お父様の次に膨大である。

 中級水魔法はまだ使えないけれど、いつもは抑えながら使っている水魔法を最大出力で放てば、大人何人分もの戦力になるだろう。


 なにより、この世界に転生した瞬間から前世の記憶があった幼な子らしくない私を、他の大人のように『奇妙』だなんて邪険にせず、一心に愛してくれた両親たちとの大切な思い出が詰まったあの場所が火の海になるのを、見過ごしてなどいられなかった。


 大広間から出てエントランスへ向かうと、執事やメイド長たちが主導して招待客たちの避難誘導を始めていた。


「大丈夫です。どうか落ち着いて避難してください」

「皆様、どうぞ大広間にお集まりください。さあ、こちらへ」

「お足元にお気をつけられてください」


 他の使用人たちも落ち着いた様子で的確に招待客たちをサポートし、屋敷に防壁魔法をかけている。大人数の魔力が集まり透明な壁を形成しながら、ゆっくりと屋敷全体を覆い始めていた。


 屋敷内は彼らに任せておけば大丈夫ね。


 私は人流に逆らいながら庭園に向かう。

 建物を覆っていた防炎魔法の外へ一歩踏み出すと、肌を焦がしそうなほどの凄まじい熱風がごうごうと吹いていた。そして。


「なにあれ…………火を吹く、獅子?」

「姿形から見てグリフォンのようですね。正確にはグリフォンの形をした炎魔法というのが正しいかもしれません」


 グリフォンらしき姿をとった炎の集合体は、まるで生きているかのように空を駆け咆哮をあげている。

 四大元素魔法に分類されるその炎獅子は、この土地の魔力を吸い上げているのだろう。縦横無尽に動く巨体の速度は風のように早い。

 しかも、それが一体ではなく三体もいるのだから状況は混乱に満ちていた。


 盛装姿のお父様は無詠唱で幾重にも魔法を放ち、炎でできたグリフォンを捕捉しては消滅させている。しかし消滅してもなお、どこからか次々に生まれては火球を吐き出して暴れまくるのできりがないようだ。

 護衛騎士たちは、防壁魔法や水魔法を駆使して庭園の消火活動にあたっている。だがそれも暴れる炎獅子を前にしては、まったく追いついていなかった。


 混乱した状況の中、彼らは皆、同様に誰かを守るように動いている。

 それはもちろん招待客が全員避難した屋敷の方角でもあるのだが――護衛騎士数人が取り囲む中心に、はらはらと涙を零す男の子の姿が見えた。

 その隣では、困惑した表情の青年が男の子を慰めるかのように話しかけている。


「あっ、もしかして、あの子が」

「ええ。グリフォンは自我を保てずに暴れている様子ですし、召喚した彼の魔力が暴走しているのでしょう」

「あの男の子が泣きやむか魔力切れを起こさないと、グリフォンが召喚され続けるのね」

「はい、おそらくは。お嬢様、これ以上近づいては危険です。…………ですが」


 グリフォンへの恐怖や戸惑いなど微塵も見せずに私の前へ立ったアルトバロンが、すらりと剣を抜く。


「お嬢様がここで援護なさることをお望みであれば、僕がお嬢様を必ずお守りいたします」


 討伐対象だけを見据える美少年の見せた精悍な顔つきに、十年後の姿が重なる。


 確か原作のアルトは、幼い頃から上級魔法を使役していたんだったか。王立魔法学院で生徒の誰よりも高度な技能で以って披露された上級魔法の数々に、聖女様が度肝を抜かれていた時……アルトバロン自身がそう答えていた気がする。


 さらに今のアルトバロンは『封印の楔』も外れていて、原作の彼以上に万全の状態のはず。

 まだ八歳だが、天才的な魔法の才ははかり知れない。

 その証拠に、抑え切れない魔力が溢れ出して、彼の濃紺がかった黒髪をふわりと浮かせていた。


「ありがとう、アルト。頼りにしてるわ」

「……はい」


 臆することなく上級防壁魔法の呪文を詠唱し始めたアルトバロンの後方で、私も両手をかざして最大出力で水魔法を放つ。

 妖精植物に火球が被弾するよりも先に、とっさに水魔法を応用して作った水狼が大きな口を開けて、牙を立てるようにして火球を飲み込んだ。

 飲み込まれた火球はそのまま瞬時に消火されていく。


 目の前で飛び交う炎のグリフォンから着想を得て、見よう見真似だったけれど、ちゃんと成功して良かった……!!


 ただの放水では到達するまでの距離分の魔力を無駄にしてしまうし、なにより速度的なイメージが掴めない。

 お父様が『魔法の上達速度はイメージ力の有無も関係している』と言っていたが、私の場合はどうやら前世で培った魔法へのイメージが力を発揮してくれたようだった。



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