第9話 毒林檎はいかが?
ついと特大林檎パイのあるテーブルに視線を向けると、恐怖に怯えて悲鳴をあげている人々と、歓声をあげて使用人の前に並び、嬉しそうに切り分けてもらっている人々にわかれている。
うわあ、温度差が激し過ぎて逆に怪しさ倍増って感じがすごい。
私も歓声側に混じったら、さらに毒林檎感が増してとんでもないことになる気がする。
……でも、これってもしかして、ある意味良い機会に恵まれているのでは?
ここは三人にそれとなく話しかけて、エルダーアップルで作った林檎パイの美味しさを布教するチャンスかもしれない。
これだけ多くの人が林檎パイで盛り上がっているところに毒林檎令嬢が現れたら、いやでもこちらに注目が集まるだろう。うんうん、他の招待客にも布教できて一石二鳥!
私はアルトバロンに頼んで三人分のパイを取ってきてもらう。それからできるだけ無害に見えるよう微笑みながら、彼女たちに近づいた。
「ごきげんよう、皆さま。本日は私のお誕生日パーティーに来てくださり、誠にありがとうございます」
「おほほほほ、ごきげんよう」
「こ、こちらこそ、お招きいただき光栄ですわ」
「おっお誕生日おめでとうございますぅぅ」
「あの、私は無闇やたらに呪ったりしないので安心してください。実験台も間に合っていますし」
実際はなんの実験もしていないし、とりあえず間に合っていると言っておけば安心してもらえるかも、と思ってそう伝えておくことにした。
ついでに優しく見えるように、ニコリと頑張って微笑んでみる。
しかし彼女たちは「ヒィッ!」と顔を青くしながら跳び上がり、その場で震えながら身を寄せ合った。
…………毒林檎むしゃむしゃしてないのに相変わらず危険物扱いなのはなぜ?
こほん、とわざとらしく咳払いをして私は気をとり直した。
「皆さんにも紹介させてくださいね。彼は私の新しい従者となったアルトバロンです」
「アルトバロンと申します。ティアベル様の側仕えをさせていただきますので、以後お見知りおきください」
彼はその美貌に小さく笑みを浮かべた。シルバーのお盆を片手に持ったまま、もふもふの黒い狼耳をピンと立て、尻尾をピシリと正して一礼をする。
我が家の軍服のようなお仕着せを身にまとった美少年は、まるで王女に仕える気高い騎士のようで格好良い。
「……っ! お、覚えて差し上げてもよくってよ」
「ええ、その、もちろんです」
「あうぅ、林檎パイですぅ」
彼女たちもそう思ったのだろう。青かった頬が、みるみるうちに桃色に染まる。
ドロル伯爵令嬢はさっきまでの怯えようが嘘みたいに、彼の持つ三切れの林檎パイに釘付けだ。
アルトバロンのおかげで場が賑やかになる。今がチャンスね。
「お近づきの印に、甘くて美味しい林檎パイはいかがですか? 実はこれ、エルダーアップルという稀少な妖精植物の一種なんです」
「甘くて美味しい?」
「……エルダー、アップル?」
「稀少な妖精植物……ですか?」
「ええ!」
彼女たちは好奇心をくすぐられたのか、淡く光る林檎パイをソワソワとした表情で見つめている。
私は最近習得したばかりの召喚魔法を使って、自室の本棚から『妖精植物事典』を手元に呼び寄せることにする。
まだ無生物、しかも小さなものでしか成功していないので、失敗しないように呪文を唱えた。すると、腕の中にずしりと重く分厚い事典が現れる。よし、成功。
「ほ、本が出てきたわ!?」
「はい。召喚魔法で本棚から呼び寄せました」
「そんな……。しょ、召喚魔法なんてお兄様でもできないのに」
ご令嬢たちにすごく驚かれたので、私はあたふたと「ええっと、危険物ではないですよ。安心してください、ただの本です」と補足する。悪魔との取引でうんぬん、と思われていたら困るものね。
すると「あの……」とダックス伯爵令嬢がおそるおそる挙手した。
「もしかして、フィー・エルドラードの書いた『妖精植物事典』でしょうか? でしたら、わたくしの家にも、あります」
表紙を見て呟いたダックス伯爵令嬢に、他のご令嬢たちも注目する。
フィー・エルドラードは『大賢者』とも呼ばれている精霊族出身の有名な錬金術師だ。錬金術を極める傍らで、その材料にもなる稀少な妖精植物を研究し、第一人者にまでなっている奇才の持ち主である。
私が口頭で説明するより、彼の記した『妖精植物事典』の情報を示す方が安心してもらえるだろうと思って事典を用意したが、正解だったようだ。
「良かった。こちらのエルダーアップルの項目を見てもらってもいいですか?」
ページを捲って、写真と共に解説されている部分を差し出す。
すると三人はそれを覗き込んで、「まあ」「そんな」「毒林檎じゃないの!?」と感嘆の声をあげた。
「庭師たちと一緒に試行錯誤しながら育てて、収穫したんです。ぜーったいに美味しいので、騙されたと思って食べてみてくださいな」
アルトバロンが「どうぞご賞味ください」とお盆から、林檎パイの乗ったお皿をご令嬢たちに給仕する。
林檎パイは特大のホールを切り分けたもののため正方形をしていて、隣には生クリームが添えてある。白い小皿の上で、淡く輝く果実はほろほろと少し崩れており、やわらかさが感じられた。
魔法で保温されていたので、焼きたてさながらに湯気がほくほくと立ち上っている。
彼女たちは湯気を深く吸い込み、甘くて香ばしい匂いに目を輝かせた。
そんなやりとりを終始見守っていた大人たちも、「エルダーアップルだって?」「これがそうなの?」と今まで遠巻きにしていたテーブルに並び始める。
ふっふっふ! どうやら布教が上手くいったみたい!
私は内心ガッツポーズを決める。
「どうかパーティーを楽しんでいってくださいね」
最後にそう伝えると、彼女たちは頬を染めたままコクコクと頷いてくれた。
「アルト、私たちも皆さんに行き渡った後に並びましょ」
「はい」
ごきげんようと別れの挨拶を交わし、私たちは賑やかになった特大林檎パイのテーブルから離れる。
給仕が落ち着くまで、壁側でしばらく待つことにした。
そうして、美味しそうに林檎パイを食べている招待客の笑顔に癒されながら、アルトバロンとゆっくりお喋りに興じること数分。
突然、隣に立っていたアルトバロンがハッと顔をあげ、身を固くした。
「……どうしたの?」
「変な匂いがします。……お嬢様は、僕の後ろにいてください」
もふもふの毛はぶわりと膨らんで警戒心を露わにしている。彼は腰に下げた剣の柄に手をやり鋭い視線で辺りを見回した。
そして次の瞬間。どこからか絹を裂くようような悲鳴が響き渡った。
「きゃあああああ――――!!」
「火事だ!!」
「庭園が、庭園が燃えているぞ!!!!」
――――火事!?
た、大変! どうにかして庭園を守らなきゃっ!!
私はアルトの背から弾かれたよう飛び出し、脇目も振らずに駆け出した。
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