第20話 従僕の独占欲(1)


 魔力中毒から回復した翌朝。

 ディートグリム家の伝統あるお仕着せに着替え、アルトがいつものようにティアベルの部屋へ向かうと、部屋の前にはいつも交代する夜勤の護衛騎士の姿はなかった。


 だがその代わりに、今の時間は絶対の部屋の中にいるはずだろう主人の姿があってアルトは驚く。


「おはようございます、お嬢様」

「あら? アルト、おはよう。早いのね」


 深い赤色のドレスへと着替えを済ませ、燦々と降り注ぐ朝陽に輝く真珠の髪をきっちり結い終えたティアベルは、アルトの姿を認めるとぱっと花が咲いたように顔を綻ばせた。


「お嬢様こそ、お早いお仕度ですね」

(この時間は、いつもならまだ眠られている頃なのに。本日の予定に何か変更でもあっただろうか? 朝は少し眠たげなお嬢様の目が完全に覚めている様子から見て、朝食も召し上がられた後みたいだ)


 アルトはかすかに目を丸めて、首を傾げる。


「今日は午後から、家庭教師と今後の進路についての面談が予定されていたはずですよね?」


 従僕として、ティアベルの予定は完璧に把握している。

 多忙な時には分刻みで予定を立て、ティアベルに進言するのもアルトの仕事だ。


「ええ、そうよ。でもその前に、メローナ様からお呼び出しの連絡があって。早い時間だけれど、今から王城へ向かうところなの」

「そうでしたか。すみません、予定の変更を把握していませんでした。僕もこのまま同行致します」

「アルト」


 ティアベルは腰に両手を当てて、怒っていますという顔をする。


「あなたは、今日から最低でも三日間は絶対安静なんだから。屋敷で休んでいて」


 そう告げられてやっと、旦那様から一ヶ月のいとまを言い渡されていたんだった、とアルトは思い出した。


(つい、いつもの習慣でお嬢様のもとへやって来てしまった)


 把握もなにも、今日の新しい予定はそもそもアルトに伝達されていなかったのだ。

 これから先一ヶ月もの間、本気で従僕としての任から完全に外されるらしい。


「いえ。この通り僕は元気ですので、従僕としてではなく、護衛騎士のひとりとしての同行を許可していただければ」


 アルトはなんだか不安になって言い募る。

 従僕としては罰を受けているが、護衛騎士団の一騎士としては暇を言い渡されていない。

 旦那様に罰を求めたのは自分で、もちろんそれを受けるべきだと思っているのだが……。ティアベルを前にすると焦燥感に駆られるのだ。


(お嬢様。どうか、許可を)


 せめて護衛騎士団の末端に置いてもらえるだけでもいい。

 けれども、アルトの願いは届かず。

 ぷんぷん怒った顔をしたティアベルが「だーめ!」と、まるで駄々をこねる弟を叱るように注意した。


「どうか私のことは忘れて、羽を伸ばして。せっかくの長期休暇なのだから、ゆっくり休んで鋭気を養ってね」

「…………はい。ありがとうございます。どうかお気をつけて、いってらっしゃいませ」


 強く言い渡されてしまえば、あとはもう見送るしかできない。


(これから先の一ヶ月間、僕は従僕として彼女の側に控えることは許されないのか)


 ティアベルの護衛には、アルトが従僕になる以前と同様に護衛騎士たちが数人一組で配属されていた。

 その様子を眺めていた瞳の奥で、何かが燻る。


(……羨ましい)


 アルトはティアベルと護衛騎士らの背中を見送りながら、つい口から出そうになった言葉を、慌てて飲み込む。

 言葉になっていたところで、どんどん離れていくティアベルには聞こえなかっただろう。

 けれども、アルトはこの心情に気がつかれてはいけない気がした。


 廊下を角を曲がるところで、こちらを振り返ったティアベルが〝いってきます〟と声にせず唇だけを動かし、ひらひらと手を振る。

 アルトは彼女へ振り返したい衝動を抑え、手を胸に当てて丁寧な礼を返す。


 彼女の微笑みが、真珠色の長い髪が、赤いドレスの裾が、壁の向こうに消える。その後ろに護衛騎士のお仕着せを着た男たちが続き、とうとう完全に見えなくなってしまった。


(本来ならば、今日もお嬢様に付き従う役目は僕のものだった)


 彼女のたったひとりの従僕が立つべき場所に、別の者が立っているのを見るのは、なんだか、胸の奥がもやもやとして苦しい。


(無意識とは言え、僕が大切な主人を傷つけようとしたのは事実だ。罰はしっかり受けるべきだと理解している。

 けれども、同時に、『アルトを魔力中毒にしてしまった』とお嬢様が自分自身を責めていることを知っているからこそ――)


 彼女のせいではないと伝えるために、誰よりも彼女のそばにいたいと強く願う気持ちを止められない。


「お嬢様が少しでも顔色を曇らせた時、すぐにお心を軽くして差し上げたいのに」


 今の自分にはそれが許されないことが歯痒く、苦しい。



 こうしてティアベルの従僕としての任から完全に外されることとなったアルトの、長い長い一ヶ月間が幕を開けたのだった。




 ◇◇◇



(休むと言ってもな……)


 物心ついた時から常に気を張って生きてきたアルトにとって、休みという概念は非常に理解し難いものである。

 体力魔力ともに回復していたので、とりあえずはすぐ鍛錬に励もうと、敷地内にある護衛騎士の詰所に顔を出してみることにした。しかし。


「アルト? 今日から非番なんだろう?」

「お嬢様が『アルトに三日間は剣を握らせないで!』と言ってたぞ。あんなことがあった後だ、よく休めよ」

「そうだぞ、少年。お前は大人びているからつい俺たちと一緒に考えちまうが」

「いえ、大丈夫です。僕は」


 いつも一緒に鍛錬をしている護衛騎士たちから、「さあさあ、回れ右!」などと背中を押され、詰所から笑顔で追い出される。


「ティアベルお嬢様に愛されてるな、アルト」

「え、ちょっと。あの」


 バタン、と詰所の扉が閉まる。

 ついでにガチャリと内鍵までかけられる音がした。


 その後も至る所で同じような言葉をかけられた。

 使用人や庭師を手伝おうとしても「お嬢様に言いつけられていますから」と、微笑みとともに追い返されてしまう始末。


(まるで、ただの子どもみたいだ)


 アルトは使用許可を得た書庫で、読み終わり山積みになった本を本棚に返却しながら、眉根を寄せる。


 王都のディートグリム公爵邸に来て以来、なんと初めての仕事のない三日間を過ごしてしまった。


(無力さを突きつけられているようで、居心地が悪い)


 従僕という任から解かれるだけで、こうもティアベルと接触する機会が減るとは思わなかった。


(同じ屋敷に住んでいるにも関わらず、すれ違う時くらいしかお嬢様と会話する機会がない。メローナ様の呼び出しは、一体なんだったんだろうか。……お伺いしたいことも多いのに、周囲の目があるところでは迂闊に言い出せない)


 それだけではない。

 この三日間は、とにかく苦しかった。


 ティアベルと他の護衛騎士が会話しているのを見かけるだけで、言いようのない羨望がもやもやと胸に渦巻き、灰色に、黒色に染まっていくのがわかる。


 アルトは胸を埋め尽くす純黒の羨望が喉にせり上がるたびに、〝箱庭〟で過ごした秘密の時間を思い起こしては、なんとか心を穏やかに保つ。


 ――――『ありがとう、アルト。――大好き。……あなたに出会えて良かった』


 思い出の光景を切り取り、色褪せぬよう大事に大事に詰め込んだ〝箱庭〟。

 危険な檻とも呼べるその場所で無邪気にはしゃぐ無垢なティアベルの様子に、アルトはひと時も目が離せないほど、惹きつけられていた。


 まるで大切な宝物でも見つめるみたいにアルトへ目を細めた彼女の……甘やかな微笑みが、強烈に焼き付いて離れない。


「……――もっと僕を必要としてもらうためには、誰にも揺るがされないような付加価値が必要だ」


(僕がお嬢様の従僕として存在する意義…………それに、強固な理由づけが要る)


 今のままではいけない。

 地位や権力――それだけじゃない。公爵令嬢が従僕を手放せなくなるような、付加価値がいる。


(ディートグリム公爵家の護衛騎士団で剣技を磨き上げ副団長にでもなれば、彼女の護衛の全てを任せてもれるのだろうか。それとも、旦那様と肩を並べられるほどの魔術師であればいいのか? ……家庭教師の代わりを務められるほどであれば、あるいは)


 十六歳で王立魔法学院に入学するまで、ほとんどの学科が家庭教師による個人学習だ。

 全ての学科において家庭教師を超えるほどの才能と指導力を兼ね備えられたら、従僕としてお嬢様のそばにいる時間に加え、多くの時間を共に過ごせるだろう。


(いや、こうなったらそれらすべてを目指すのもいい)


「――誰よりも長く、僕がお嬢様のおそばにいるために」


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